【完全栄養食?】隣組にモンペ隊…枢軸国となった日本に「興亜パン」登場(昭和15年10月の戦時の献立)
もし戦時中に料理ブログがあったら?題して『戦時の献立』
今日は昭和15年10月号の主婦之友から「興亜パン」である。
知る人ぞ知る、戦時中の悪名高い(おいしくないという意味で)有名なパンだ。
しかし栄養面でいうと野菜もしこたま入るし、小麦粉だけでなく大豆粉も使う。さらにニボシや海藻まで入る。
だから献立表にも「榮養も完全(くわんぜん)です」と書かれている一品だ。
ちなみにこの時の主婦之友は「節米國策に協力しませう」というキャッチコピーと共に「栄養代用食 二十七種」の献立を掲載している。
「興亜パン」の他には、ネギやさつま揚げなどを入れた「お好み焼き」、うなぎの蒲焼を食パンにはさむ「うなパン」、蜜や味噌などを添えてお好みで食べる「ホットケーキ」などが掲載されている。
とにかく小麦粉を積極的に使おうというのがテーマだ。
以前の記事でも書いたように、当時の日本人は一人当たり1日に3合の飯を食べていたくらいだから、そう簡単に米離れができない。
しかも当時は、米より小麦粉の方が高価だったから、代用食に前向きになれないというのが一般的な感覚だったようだ。
婦人雑誌も、この献立集の冒頭にこんなことを書いている。
婦人雑誌が強く呼びかけるのも、ちょうどこの頃、日本はさらなる戦争拡大に突き進むと決心していたからだ。
ガラリと変わった国民の生活。モンペ隊に隣組が登場
日中戦争真っ只中の昭和15年9月、日独伊三国同盟が調印された。これで日本は枢軸国の一員となり、アメリカやイギリスまでも敵に回すことになった。
そういった社会情勢もあって、大阪ではこんな大行進が行われた。当時の政府の広報写真誌「写真週報」が伝えている。記事のタイトルは「七・七モンペ隊」。
七・七とは通称「七・七禁令」のこと。昭和15年7月7日に出された、ぜいたく品の製造や売買を禁止する勅令だ。
集まったのは、大阪市の町会婦人部から選抜された約2000人の女性。各自が手製のモンペ姿に身を固め、「ぜいたくは敵だ!」「偲べ戦線!」と書かれたプラカードを手に、大行進した。
質素で動きやすいモンペを、戦時下にふさわしい服装として、象徴的にアピールしたようだ。現代風に言えば「意識高い系」とでも表現されるだろうか。
もしもこの時代を生きていたら、自分もモンペを履かずにはいられないかもしれない。
また日本全国に「隣組」ができたのも、この頃である。隣近所、五世帯くらいが一組になって、協力して生活しようというものだ。
空襲に備えて防空訓練や消火訓練が隣組単位で行われるようになった。
近所にまわす「回覧板」が始まったのもこの隣組からである。戦費に回すためにいくら貯蓄しましょうとか、食料を自給するために畑を作りましょうとか、さまざまな情報を回覧板で共有した。
戦時下に隣近所で助け合いができるのは心強いが、何円貯蓄できているかまで知られるのは、かなりのストレスだっただろう…
もしもこの時代を生きていたら、自分はかなり無理して貯蓄していたかもしれない。
「モンペ部隊」も「隣組」も、現代で言う「同調圧力」か。
そんな窮屈な頃の「興亜パン」である。果たして本当にまずいのか?一体どんな作り方なのか?
ではここから先は、昭和15年10月20日だと思ってご覧いただきたい
昭和15年10月20日、日曜日。
曇り。というより、空一面に黄色いモヤがかかっている。砂か煙か、なんだか気味が悪い。
今日も家内の代わりに夕飯を作る。
献立は興亜パンなり。
きのう、今日と、隣組の防空訓練ですっかり草臥れた。訓練と言いながら実際に火を使って、煙までたくという力の入れよう。
意識高きことはなはだし。
組長が元海軍大佐であるから致し方なし。
しかしこの家が空襲にあったらひとたまりもないだろう。
家内が聞いた話ではモルタル製の家なら、壁は焦げても燃えないそうである。
それは良いナァと思ったが、建て替えには五千円かかるよし。
うらめしや金がない。
だがモルタルの家にしたところで、爆弾が直に当たればおしまいなのではないか?
そうなれば元の木阿弥である。必要なかろう。
そんなことを考えながらふと思ったが、昼間の空の黄色いモヤ、あれはあちこちの防空訓練で煙をたいているせいではないか?
では、こしらえていこう
【材料 5人前】
小麦粉 400g
大豆粉 120g
ベーキングパウダー 20g
魚粉 適宜
海藻の粉 適宜
水 140cc
砂糖(黒砂糖でも良い) 160g
塩 少々
ニンジンや大根の葉などの野菜 適宜
まず、パンに入れる野菜だ。今回は残り物のニンジンとほうれん草を使う。
次に小麦粉を100匁(約400g)、ベーキングパウダーを5匁(約20g)、大豆粉を30匁(約120g)、ふるいにかけて混ぜる。
さらにここへ魚粉を加えよう。これは家にあった煮干しをすりつぶした物だ。
分量が書かれていないので勘で入れていこう。
そして最後に海藻の粉。
これまた分量が書かれていないので勘に頼るほかなし。
粉類はこれで全て。
ここに先ほど切った野菜を加え…
8勺(約140cc)の水で黒砂糖40匁(約160g)と塩少々を溶かしたものを加え、しゃもじで混ぜあわせる。
献立によると、練らないようにさっくり混ぜ合わせるべしとのこと。
それにしても、ひどい見た目をしているナァ。
あとは出来上がった生地を軽く丸め、10分ほど蒸すだけだ。
興亜パンの完成なり
いただきます。
食べてみると…まずくはないが、これは手強い。魚粉の自己主張が半端ない。
まず黒糖の甘みが押し寄せ、後から魚粉の香りが追い上げる。
まるで波状攻撃なり。
噛めば噛むほど、口の中で魚粉と黒糖がぶつかり合って、自分がいま惣菜パンを食べているのか菓子パンを食べているのかわからなくなる。
ちなみに家内はというと、正直いってお気に召さなかったようだ。
野菜と黒糖の組み合わせは存外良いが、もう一口食べようとしたところで魚くささに手が止まってしまうという。
しかし私はだんだんと、魚くさいのは大して気にならなくなってきたナァ。このムッチリした食感と黒糖の組み合わせも悪くない気がしてきた。
とはいえ家内のことを考えると、次に作る場合は魚粉を入れずに作るべし。栄養面では劣るが致し方なし。
ごちそうさま。またうまいものを作ろうと思う。
動画も楽しんでいただけると有り難し!
詳しい作り方を動画で楽しみたい方はこちらをどうぞ。
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