【戦時の献立】ついに日独伊三国同盟調印。その頃、日本国民が食べていた物は?(昭和15年10月6日)
もし戦時中に料理ブログがあったら?題して『戦時の献立』
戦時中の料理をレシピ通りに作り、その味や調理方法をブログ風に伝える「戦時の献立」。
今日は昭和15年10月号の婦人之友から「バタ焼き豆腐」である。
この頃の婦人雑誌を見ると「バター」は「バタ」と呼んでいたらしい。献立にはいつも「バタ」と書かれている。
文字にすると愛嬌があって好きだ。
昭和15年10月の婦人之友は「少ない材料を豊富に生かした経済的な家庭料理」というテーマで、献立特集が組まれている。
その中から「パンによく合う豆腐料理」として紹介されていた「バタ焼き豆腐」が目にとまった。
豆腐でパンを食べる?
ご飯が進む豆腐料理なら、麻婆豆腐や肉豆腐などがパッと思いつく。
しかし豆腐とパンという発想は、私にはない。
こんなアイデアが生まれるのも、当時の戦争が新たな局面を迎えていたからだ。
日独伊三国同盟調印。銃後の国民の生活はさらに厳しく
昭和15年9月27日、ついに日独伊三国同盟が調印された。それまで日本は長期化する日中戦争により、物資不足にあえいでいた。
それがこの同盟によって、米英などとも敵対することになった。
当時の政府の広報雑誌である「写真週報」を見てみると、まず最初の見開きページで三国同盟について書かれている。記事のタイトルは「外交の新しき門出」である。
この写真は三国同盟成立を祝って乾杯している様子だ。左端には当時陸軍大臣だった東條英機の姿も見える。
記事の中にはこんなことが書かれている。
帝国というのは日本のこと。
日中戦争が始まって3年余り。
お米は節約し、着る服は質素に。「ぜいたくは敵だ!」という圧迫を受けながら、国民は戦争協力という名の下、ガマンを重ねてきた。
しかし政府は「心を一つにして今こそ一大決意」を求める。
ここからさらにツラい思いをするのか。もう戦争なんてまっぴらゴメンだ、と思っていても関係ない。一億国民は心を一つにまとめられてしまったのだ。
そんな頃の「バタ焼き豆腐」である。
ではここから先は、昭和15年10月6日だと思ってご覧いただきたい
昭和15年10月6日、日曜日。晴れ。
家内の婦人雑誌から選んだのはパンに合うという、バタ焼き豆腐なり。
これも節米の献立である。
バタの効いた豆腐が存外うまいし、トマトケチャップと良く合う。
豆腐とトマトだから、日本とイタリーが手を取り合ったというところか。
実際と良く似ている。
しかしイタリーやドイツと同盟を結ぶとは、どうにもしっくりこない。
最初は心強いと思ったが、いささか距離が離れすぎではないか。
ドイツとイタリーは分かる。
しかし日本は?
精一杯手を伸ばしても、届く気がしない。
近くにいたとしても、ふとすると手を取り合わないのが人間である。
どうも私の理解の範疇を超えた話なり。
では、こしらえていこう
材料
豆腐 一丁
卵 一個
バタ 大さじ1
トマトケチャップ 少々
まずは豆腐をマッチ箱くらいの大きさに切り、水を切っておく。
水気を切ったら、フライパンにバタを溶かし、焦げないように豆腐の両面を焼く。
そうしたら、割りほぐした卵を上からかけて、フタをして蒸し焼きにしよう。
最後にトマトケチャップをかければ完成である。
バタ焼き豆腐の完成なり
いただきます。
おぉ、これはなかなかやれるゾ。
バタと豆腐は案外相性が良いし、卵とケチャップのおかげで満足感もある。
確かにこれはパンが進むナァ。
ちなみに家内はというと、そのまんまの味ねェと言いながら、しっかり食べ切っていた。
どうやらうまかったようだ。
バタで油もとれるから体を太らせるには良い献立なり。
ごちそうさま。またうまい物を作ろうと思う。
動画も楽しんでいただけると有り難し!
詳しい作り方を動画でご覧になりたい方はこちらをどうぞ。
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