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元セレソンのMFがW杯に挑む日本人選手にアドバイス

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
(写真:ロイター/アフロ)

 元ブラジル代表のMF、カルロス・エドゥアルド・マルケス。リオグランデ・ド・スル州アジュリカーバで1987年7月18日に生まれた35歳は、現在、浪人の身だ。いつ契約書が送られてきても困らないように、自主トレーニングを欠かさない。

 ポルトアレグレ滞在中、マルケスの姿を目にした私は即座にインタビューを申し込んだ。

 「人口7000人ほどの小さな街で育った。父親は電気会社に、母は地方行政の事務所に勤務していた。僕は兄、姉に続く末っ子だよ。食べる物が無いという生活ではなかったが、3人の子供を養うために両親はとても苦労していた。

 また、『良い教育を受けなさい』と躾けながら、プロサッカー選手になりたいという僕の夢をサポートしてくれた。だから自分には、己を律することや謙虚さ、また自身を捧げるメンタルが身についている。父も母も、そうやって生きている人なんだ。

撮影:筆者
撮影:筆者

 父もサッカーをやっていたし、よくプロリーグ観戦に連れて行ってくれた。そして、僕をフットサルチームに入れてくれた。ブラジルには『プロサッカー選手になりたい』と考える子が多い。でも、最後まで自分を信じられるタイプは本当に少数派だ。

 当初僕はフットサルだけをやっていたんだが、グレミオのスカウトの目に留まって13歳で下部組織に入った。親元を離れて、ポルトアレグレにあるグレミオの合宿所に入ったんだ。ロナウジーニョに憧れていたよ。

撮影:筆者
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 でも、ご覧の通り体が小さいでしょう。どうすれば生き残れるかを常に考えた。それにはスピードを生かすこと、ボールを持った時の手の使い方、敵を背負った時、競り合う時のポジションの取り方。考えに考え抜いてプレーしてきた。

 13歳でグレミオのアカデミーに入った時、僕には3つの夢があった。一つ目はプロとしてグレミオのユニフォームを着ること、二つ目はヨーロッパでプレーすること、三つ目はセレソンに選ばれることさ。全部達成したよ。金持ちになることよりも、夢を成し遂げるために努力したんだ。

 アカデミーで6年ほど過ごし、2007年にグレミオのトップチームに昇格した。で、ドイツの899ホッフェンハイムに移籍。3シーズンプレーした後に、ロシアリーグのルビン・カザンへ。ここで左膝を痛めてしまったんだよ。手術したけれど、本調子に戻ったのか否かは未だ分からない」

撮影:筆者
撮影:筆者写真:アフロ

 以後、毎年のように祖国のチームを渡り歩くようになった。1部リーグではないカテゴリーでも、自分を必要としてくれるならマルケスはサインした。現在も、ピッチへの復帰を目指して、日々汗を流している。

撮影:筆者
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 そんな彼は日本代表がカタールで勝つためにと、問い掛けると、こう答えた。

 「日本人の特性は勤勉さと統制力だ。それを生かして、まずは失点しないように固い守りから入ろう。ドイツもスペインもコスタリカも強豪国だが、スピーディーなカバーで立ち向かってほしい。サッカーは進歩しているから、世界中を驚かせる可能性はあるよ。とにかく、ハードに戦うことだ。走り勝て。

 今後ワールドカップ出場を目指す若い選手に告げたいのは、心身をとにかく磨くこと。トレーニングはもちろん、栄養学も学習して、フィジカルで負けない強い体を作ってほしい。20歳でピークを迎える選手がいる反面、25歳や26歳で成熟する人もいるよね。成功したいなら、健康に気を付けて必死でトレーニングすることさ。そして、謙虚な姿勢を忘れないことも大事だね」

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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