日本代表の杉本健勇と北朝鮮代表の李栄直を育てた大阪・生野のサッカークラブと名物コーチが紡ぐ輪
小学生のころ、同じクラブチームでボールを蹴ったサッカー少年2人は、対戦相手として昨年12月9日の東アジアE-1選手権のピッチに立つはずだった――。
だが、一人のケガによる離脱で、それは叶わなかった。
その“2人”とは、セレッソ大阪で日本代表FWの杉本健勇と今季から東京ヴェルディでプレーする北朝鮮代表MFの李栄直(リ・ヨンジ)。
杉本は昨季リーグ戦終了後に左肋骨骨折と左足首の違和感を訴え、Eー1サッカー選手権の日本代表を辞退していた。
一方の李は北朝鮮代表のスタメンで出場し、日本代表戦で0-1で敗れはしたものの、存在感をアピール。
李は「健勇との試合を楽しみにしていましたが、仕方ありませんよね」と残念がっていたが、彼から「年始に(小学生のときの)クラブのOBの初蹴りがあります」と聞き、そこに杉本も参加するとのことだった。
ラモスのスピリットを子どもたちに
2人が小学生時代に所属していたのは、大阪で活動する「FCルイ・ラモス・ヴェジット」。元日本代表MFラモス瑠偉と旧知の仲である在日コリアンの金尚益(キム・サンイク)氏が立ち上げた少年サッカークラブだ。
現在は30人ほどのジュニア選手が所属しているが、過去には100人を超えていた時期もあったという。
このクラブの大きな特徴なのが、同クラブが主管となり、ラモス氏が主催・公認している「ウジョン(ハングルで“友情”の意)カップ」を毎年夏に開催していることだ。
金氏の「日本サッカーをけん引してきたラモスさんのスピリットを子どもに継承したい」との思いをくみ取ったラモス氏が、「サッカーは真剣勝負。仲間との絆を深め、心から笑顔で楽しみ、素敵な時間を共有してほしい」という趣旨を込めた大会でもある。
昨年で18回目を迎えた同大会は、参加チームは108と大所帯となった。
これだけ大きな大会を開催できるのは、全国各地のジュニアチームが同大会の意義に共感しているからに他ならない。
また、大会には東日本大震災で被害を受けた東北のジュニアチームを招待し、朝鮮学校のサッカー部や韓国のジュニアチームも参加して試合が行われている。
今ではこうして大きな輪を広げるまでになったが、金氏が求める原点には「生野から世界を目指せ」という熱い思いがあった。
李が当時をこう振り返る。
「ロート製薬本社(大阪・生野区)の裏にある巽公園、通称“ロート公園”で子どもたちだけでボールを蹴っていたのが、僕たちヴェジットのサッカー少年でした。練習っていってもゲームばっかりしていましたよ。少しばかり、やんちゃな子たちが集まっていたと思います。その中に健勇もいましたが、かなりやんちゃでしたから(笑)。昔からサッカーはうまかった。それに僕や健勇だけでなく、チームのみんなは“キンコー(金コーチの呼び名)”から、かなり厳しい指導を受けていましたからね」と懐かしそうに笑う。
実際に金氏と現場で会ったが、とにかくパワフルだった。子どもたちとOBたちを前に拡声器を持って、大声で現場を仕切っていた。
そして誰からも「キンコー!」と呼ばれ、多くの人に愛されていることに気がつくには、時間はかからなかった。
生野から代表選手が誕生
なぜこんな小さな大阪のクラブから代表選手が誕生するのか――。それがものすごく不思議だった。
聞くところによると、李や杉本のほかにも、ガンバ大阪ジュニアユース出身で2003年U-17W杯に韓国代表として出場し、サガン鳥栖にもいた在日コリアンの金正訓(キム・ジョンフン、現在はサガン鳥栖のフロント)も同クラブ出身。金氏によれば、彼はユース時代に本田圭佑、家長昭博と並んで「ガンバ三羽烏」と呼ばれていたという。
「このクラブでサッカーをした子は180人くらいいます。そこからプロになったのは8人。今では代表選手も輩出したからね」と金氏は誇らしげだ。
今年はセレッソで活躍した杉本、そして日本代表戦で何度もテレビに映り、時の人となった李のことをジュニア選手たちはよく知っていた。
杉本はケガのため、試合を後ろから見守り、ちびっ子たちだけでなく保護者とも一緒に写真に収まったり、サインをしたりして楽しく過ごしていた。そこでの人気ぶりは、昨季の活躍を象徴しているようだった。
当然、杉本を知らない子どもたちはいないし、憧れの選手の一人だ。
ただ、そこで驚いたのは、李を見て「あー、あの北朝鮮の選手だ!サインほしい!」と目をキラキラさせている子どもたちがいたことだった。サッカーに国境がないことを改めて感じさせてくれるシーンだった。
「俺は泣き虫でヘタレだった」
昼過ぎから始まった会は、日が暮れて終わりを迎えるころ、金氏をはじめ、このクラブを巣立ったプロサッカー選手たちが、子どもたちの前でメッセージを送った。
杉本は幼少期の思い出を語り始めた。
「セレッソに来て初めてタイトル(ルヴァンカップと天皇杯で優勝)を取ることができて、個人としてもキャリアハイとなるたくさんのゴール(22得点)を決めることができました。ここまで来られたのも、僕はここにいる金さんのおかげだと思っていて、一番感謝しています。僕は本当に金さんに鍛えられたし、ほんまに自分は小学校のとき、泣き虫で、ヘタレで、どうしようもない男やったんですけれど、金さんに鍛えられて、ここまで来ました」
一呼吸おいて、話を続ける。
「みんなも監督から厳しいこと言われるかもしれないけれど、絶対に先につながると思うし、めげずにがんばってほしい。この中から、プロサッカー選手になれるのはほんの一握り。でもその一人、二人になってほしい。僕は去年は1年間、Jリーグで得点王も目指していましたが、全然、満足できるシーズンでもなかったので、今年はもっともっと飛躍して羽ばたきたいと思っています。みんなもここから羽ばたいていけるようにがんばってください」
杉本は自分を鍛えてくれた金氏に、感謝の気持ちを伝えていた。このクラブに相当な思い入れがあることが言葉からにじみ出ていた。「金さんと出会ったことが、人生の転機になった」とも語っていた。
「サッカーが好き」が基礎に
そして、李も子どもたちにこんなメッセージを残した。
「自分も初めてサッカーを習いにいったクラブが、ルイ・ラモス・ヴェジットでした。その監督が金コーチ。金コーチはサッカーを好きにさせるのがむちゃくちゃうまかった。それが今の自分の基礎になっています。ここまで色々とうまくいかないことも多かったけれど、結局、サッカーが好きだから続けられたし、そのおかげでプロになれました。大学のときもそうだったけれど、周りにはうまい選手ばっかり。でも、サッカーが好きな気持ちだけは誰にも負けなかった。そういうのがあるから、ここまでやってこられました」
李は続けて、北朝鮮代表選手として、日本代表と試合をしたときのことを思い出しながら、言葉をつなげた。
「この前、日本代表と試合をしたときも、日本代表の選手はむちゃくちゃうまかった。自分も試合をやってて、ほんまに余裕がなかったですから。でも、『ここだけは負けられへん』とそういう気持ちだけで、あの試合は戦っていました。そのおかげで、いろんな人に『がんばってたね!』と声をかけてもらえるようになりました。なので、これからも今やっているサッカーをずっと好きでいてください。その気持ちがあれば、どこにいってもやれると思いますし、もっとうまくなれると思います。これからもがんばってください」
代表戦のピッチに立つ姿に涙
最後に金氏に聞いてみた。選手として代表する国は違えども、今こうして活躍する姿はどのように見えていたのだろうか。
「2人が一緒にピッチに立って対戦するのは、そりゃ見たかったですよ。健勇はケガで出られなくて残念でしたけれど、栄直(ヨンジ)が代表でプレーする姿を見て私は涙出ましたから……」
李と杉本はこの「FCルイ・ラモス・ヴェジット」で小学生時代、金氏にしごかれながら一緒にボールを蹴り、切磋琢磨してきた。
今では日本と北朝鮮を代表するサッカー選手に成長し、同じピッチで戦うはずだったが、それを一番楽しみにしていたのは、金氏だった。
「健勇はやんちゃ、ヨンジはマジメ」
「健勇はほんまにいろんなスポーツさせても一流になれるくらい、運動神経は抜群でした。ただ、小学生のときはやんちゃでね。仮病で練習を休もうとしたこともあって、それでも強制的に連れてきたりしましたから(笑)。しっかり鍛えてやらないかんと思いました。彼にまつわるエピソードはまだまだたくさんありますが、またゆっくり教えますよ」
一方、李は杉本とは正反対なほど、真面目だったという。
「ヨンジは人一倍、マジメな子でした。それくらいサッカーが大好きなんよね。下手くそやったのになぁ(笑)。でもほんまに日本代表との試合は感動しました。まさかここまでに成長するとは思ってなかったですから、うれしかったですよ」
「ラモスさんが一番喜んでいる」
奇しくも、今年はワールドカップ(W杯)イヤーだ。ロシアW杯に日本代表として出場を狙う杉本には、本大会までのシーズンが勝負になる。昨季、躍進したセレッソ大阪のエースとして再び注目を浴びることは間違いないだろう。
それに妙な運命を感じるのが李だ。昨季はカマタマーレ讃岐で不振だった彼が、今季は東京ヴェルディでプレーする。
それもラモス瑠偉がプレーした名門クラブに行くことになった。FCルイ・ラモス・ヴェジットで育った李が、ヴェルディでプレーすることは、きっとラモスの耳にも入っていることだろう。
「ヴェジットから代表選手が誕生したことをもっとも喜んでいるのは、ラモスさんなんですよ」
金氏はそう言って笑った。
(※写真はすべて筆者撮影)