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「別居のときに子どもの親権や面会交流について話し合うのは無理でした」-親子断絶防止法の困難

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

別居のときには、親権や面会交流の話し合いを?

今国会に提出されるかもしれない親子断絶防止法案の目的は、妻による「子の連れ去り」の防止だという。同法議員連盟の馳浩事務局長は、「黙って子どもを連れて出ていくケースがあるが、それは基本的にいけない。話し合うのに危険があれば、児童相談所やDV被害者の支援機関に相談するなどしてほしい。第三者に入ってもらうのがよい」(<子の幸せは?>離婚後も親の責任意識を 親子断絶防止法へ活動 馳衆院議員に聞く東京新聞 2017年2月9日朝刊)といっている。

福祉職従事者、DV被害者支援者、弁護士に聞いてみたところ、「児童相談所にそのような機能はないし、期待できない」。「現状でもDV被害者支援は緊張に満ちていて、どうにか暴力の現場から逃げさせるのが精いっぱいなのに、間に入る支援者の安全は誰が保証してくれるのか。とても無理だ」という声ばかりだった。私もとても現実的ではないと思う。

妻が思い悩んで住み慣れた家から子どもを連れて逃げるときは、のっぴきならない状態になっているときである。子どもの親権が実際に子育てを担っている妻に与えられることが多い現状で、巷で言われているような「親権目的で母親が連れ去る」という意図には、首をかしげざるを得ない。むしろ親権を得にくい男性によるものであれば、まだ理解可能である。

また「連れ去ったもの勝ち」といわれているが、そうでもない、と弁護士はいう。監護実績がない母親が連れ去ったときに、裁判所によって子どもの父親への引き渡し命令が出ている事例なども、実際にはある

巷には、「妻に子どもを連れ去られた」という夫たちの声が溢れている。親子断絶防止法案は、そのような夫側の要望に応える法案であるといわれている。その一方で、「連れ去った」と非難される妻の声は、ほとんど顧みられることはない。私は多くの妻の側に会ったが、「子どもを抱えて、日々の生活をおくるだけでいっぱいいっぱい」「ほかに手段がなかったのに、『連れ去り』だと非難され、夫に次々と訴訟を起こされて疲れ果てている」。何よりも「やっとDV夫から逃げてきたのに、自分だと特定されたら何をされるか怖い」という声に、声の大きさの非対称性が、すでに夫婦関係の非対称性を示しているのだなぁと思った。また特定の恐れも「もっともだ」と思い、ニュースをお願いするのは、ためらわれた。

別居時の取り決めの困難さ

今回、勇気を出して語ってくれるという方が現れたので、インタビューをさせていただいた。結局活字にするときには、詳細なエピソードは特定を避けるために削らざるを得なかった。親子断絶防止法について書くと、批判のコメントがたくさんつくが、暴力被害者に対してのものは、今回は遠慮していただけたらと思う(それに、品位を下げるようなコメントは、法案に対する支持者を減らすと思うのだ)。

話をお伺いしたのは、離婚がやっと決まったという田村恵子さん(仮名)である。田村さんは、元夫の側から、妻が子どもを連れ去ったことによって結婚生活が破たんしたと、多額の慰謝料請求をされたという。しかし恵子さんの側からすれば、事情はまったく異なる。

結婚生活が破たんしたのは、元夫による異常なまでの執拗な監視や暴言といった精神的DVが原因だったという。具体的に聞いた私も、それでは結婚生活の継続は困難だろうと思われた。その結果、両家の両親を交えて話し合い、別居が決まった。当面どうするかが緊急の課題であり、別居後の生活費や面会交流については、「まずは別居を決めることで精一杯で、とても話せる状況ではなかった」という。元夫は引っ越し先も決め、不動産屋にお金も支払った。

「にもかかわらず、突然元夫の側は『別居はやめた』といいだし、約束は反故にされてしまいました」と恵子さんはいう。緊張が高い同居生活が続き、子どもの心身にも、腹痛や情緒不安定など、異常が出るようになった。「先日、子どもがこのころのことについて『家はどうなるんだろうと心配で、学校でもいつもぼーっとしてしまって授業を聞けていなかった』と話してくれました。夫婦間の緊張は、家庭内だけではなく、子どもの生活すべてに影響するのです」。

同居しながら裁判所で争う

仕方がないので恵子さんは、今度は家庭裁判所に、子どもの「監護者指定」の調停を申し立てた。子どもを連れて別居すると、それこそ「連れ去り」といわれることを心配したのだ。調停は月に1回のペースで進んだ。裁判所で子どもの監護権をどちらがもつかを争い、話し合ったあと、また自宅でともに生活する。どう考えても難しい。

家庭内の緊張は高まりました。子どもの前でもいい争いをする機会が増え、とうとう「お父さん、そんなこと言っちゃだめ、やめて」と泣きながら元夫にしがみついた子どもを元夫が振り払い転倒させたのをみて、『子どものためにも、この生活は限界だ。とにかく子どもを、逃がしたほうがいい』と決心しました」。かくして恵子さんは、子どもを連れて別居した。

DVの証明の困難

別居と同時に元夫は子どもの引き渡しを要求し、審判、裁判へと進んでいった。元夫は、自分こそが妻によるDVの被害者だと主張し、自分はDVは行っていない、「でっちあげDVだ」と主張した。そして「子どもの連れ去りはハーグ条約違反だ」(ハーグ条約は、国際結婚の場合に、国によって離婚や親権にかんするルールが異なるため、まず子どもが住んでいた国に戻して、そこの国で離婚の取り決めをするための条約であり、国内では関係ない)、「連れ去りは犯罪だ。実子誘拐だ。子どもから父親を奪う虐待だ。子どもの親権をよこせ」と主張したという

裁判でのDVの認定は、とても難しいです。いった/いわない、やった/やらないは、水掛け論にしかなりませんから。自分からは元夫のDVを証明することはとても困難でした」。そう語る恵子さんだが、潮目が変わったのは元夫から会話の録音が出てきたからである。多くのケースで、会話の録音やGPSロガーによる追跡、ICレコーダーの設置などが語られ、ここまで一般的なのかとびっくりする。恵子さんの場合も、元夫が録音をしていた。しかし元夫が証拠として提出したその録音から逆に、元夫のDVが認定されたというのだ。

元夫は裁判のなかで、自分がやったDVは『やむを得ない行為だった』と正当化する一方で、自分こそが妻によるDVの被害者であると、本気で主張していました。自分の暴力行為を客観的に認識できないのだと思います。こういう相手と、家庭という密室の中で別居の話し合いをすることは、不可能であるというだけでなく、とても危険な行為です」。

幸いにして裁判では、元夫のDVによって結婚生活が破たんしていたことが離婚の原因であり、子どもを連れての別居はその結果であると認定された。夫婦の間にある緊張関係、その子どもへの悪影響、それまで母親が主に子育てを担っていたことを考えれば、母親が子どもを連れて別居したことは「違法であるということはできない」とされ、逆に元夫から恵子さんへ慰謝料を支払えという判決が下された。

元夫側が証拠を提出してくれるとは、稀な例だと思う。被害が深刻であればあるほど、被害者は冷静に証拠を集めることもできなくなるからである。また恵子さんの元夫のように、一流大学を出て、有名企業に勤めている場合は、さらに「こんな立派な肩書のひとが、そんなことをするのか。妻が嘘をついているのではないか、妻の思い込みではないか」と、信頼を得にくくなる傾向がある

「話し合いで取り決めできるような関係なら、離婚後の親子関係の継続もできる」

「『子の監護について必要な事項に関する取り決めを行い別居する』ことは、私のようなケースではまったく実現不可能です。話し合いをして円満に別居できるなら、そうしたかった。でも、できませんでした」。

このような取り決めを別居前からおだやかに対等に話し合える夫婦であれば、離婚後も円滑な親子関係を継続することは難しくはないはずです。話し合いができない相手となんとか取り決めをしようと、不毛な努力をしているあいだにも、家庭内の緊張は急激に高まっていきます。子どもたちは安心して生活できないまま、心身にさまざま不調が出てしまいます。別居前の取り決めは、非現実的だといわざるを得ません」。

面会交流の困難

恵子さんは、子どもの父親への面会交流はさせているという。しかし元夫は面会交流中の子どもたちとの会話をこっそり録音して、裁判所に提出することなどもしていた。裁判所から、面会交流中の録音は子の福祉に沿わない行為だからやめるようにといわれても、元夫は何度も提出する。

「面会交流における、安心安全の確保がされていないと思います。第三者機関もないですし、あったとしても双方の同意が必要ですから。私の周囲では、自分の父親に面会交流の連絡の窓口になってもらっていることが多いです。しかし年老いた父に、まだ迷惑をかけていると思うと心苦しいと、みなさんおっしゃいます。多くのお母さんは、面会交流に精一杯努力され、頑張っていらっしゃるのですが、『元夫の機嫌を損ねると、自分たちにどのような危害が及ぶかわからないから、元夫からの暴言や身勝手な要求にもガマンするしかない』とおっしゃる方もいます。

うちの場合も、元夫は『一方的かつ不当に父子の交流を制限している』『親権者として不適格』などと、面会交流を介しての非難をまだ続けています。離婚をしたにもかかわらず、攻撃的な言動を続ける元パートナーとの関わりを持ち続けることは、非常に重い負担です。面会交流において、子どもと同居親の安心・安全を確保することも、大きな課題のひとつなのではないでしょう。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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