人生が変わるロックバーのススメ:新宿3丁目upset the apple-cartの場合
無言で客に向けて曲のプレゼントをしてくれる“あうん”の呼吸のコミュニケーション
新宿3丁目のロックバー upset the apple-cart。音楽愛に溢れた、楽曲を通じての爆音コミュニケーションが魅力の非日常空間。ロックの歴史に触れられる、痒いところに手の届く選曲の素晴らしさ。このお店に救われた人は多いことでしょう。思わず長居してしまいます。
新宿末廣亭そば、雑居ビルの3階。エレベーターはありません。扉を開けて中に入ると、薄暗い中カウンターが5席ほど。あとは、4人テーブルと2人テーブル席がひとつずつのちょうどいい空間。
お客さんは、会話することなくiPadの曲リストをめくって、突き出しの歌舞伎揚などスナックをつまみに缶ビールやバーボン(ヘブン・ヒル)を音楽とともに楽しんでいます。
この店では、曲をリクエストしたくなったら配られた紙へ曲名とアーティスト名を書いて、ちぎってマスター(無口そうに見えるけど饒舌!)に渡します。自宅やイヤホンでは味わえない、大音量でかかる音楽へ没頭する至福のロック体験。うん、居心地最高です。
ロックの歴史の羅針盤=ナビゲーターとなり、客のリクエストに絶妙な選曲を織り交ぜ一期一会のプレイリストをリアルタイム表現してくれるマスター。場の空気を絶妙に読んだ選曲センス。時には、無言で客に向けて曲のプレゼントをしてくれる“あうん”の呼吸のコミュニケーション。
日々更新し続けるブログ記事からもロック愛の強さを感じるupset the apple-cartのオーナー、西川宏樹さんに話を聞いてみました。CDからストリーミング時代へと進化する過渡期である2018年の音楽シーン。そんな中、変わることない音楽愛の本質を教えていただくこととなりました。
プロフィール:西川宏樹(ロックバー upset the apple-cart オーナー)
ロックバーCommon Stock(コモンストック)を1991年3月11日にオープン。大音量でロックを流し続け、 1999年2月28日に閉店。2007年7月7日、 upset the apple-cart と名前を変えて“最後のロックバー”として復活。
ガキどもに音楽という世界を教えてあげようというおじさん、お兄さんがいっぱいいたんだよ
●西川さんが音楽を好きになったきっかけから教えてください。
西川:もともと興味があるものに対して分類好き、知識好きなガキだったんだよ。自分で見たものを自分の頭の中に置き場所を考えていて。一番初めは歌謡曲だった。メロディーのよさや歌唱力に感銘を受けて。当時、大橋巨泉や前田武彦の音楽番組があって、その辺から入ったよね。昭和40年ぐらいかな。それをやってるうちに、小学生ごろに日本のフォーク・ミュージックが出てきて。吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸とかね。フォークのレーベル、エレック、URC、ベルウッドとかにハマってな。で、聴いているとその根っこにあるボブ・ディランや、PPM、ウディ・ガスリーとかに興味を持つようになって。
●ナビゲーターがたくさんいた時代ですね。
西川:無償の善意というか、ガキどもに音楽という世界を教えてあげようというおじさん、お兄さんがいっぱいいたんだよ。たとえば、ニッポン放送社長だった亀渕明信とかは、俺が中学生の頃に『ビートルズ・ストーリー』という番組をやって、ビートルズのスタートから解散までを10分番組でひと月やったり、いいナビゲーターがいっぱいいたな。まずはポップスにハマっているうちに、どんどん分類して聴くようになってロックにハマって。ニール・ヤングやカーリー・サイモン。そういうのがビルボードで1位になった時代。
●最初にロックを感じたアーティストは?
西川:シカゴの「Questions 67 and 68」。中学校の体育祭で聞いたこともない音楽が鳴っていて。頭にパッカーンと穴が空いた感じなんだよ。横須賀出身だから、風土が保守的じゃなかったこともあってな。ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンとかも、先輩が文化祭で弾いてるので最初に聴いたから。全然、その人たちが今も聴いてるとは思わないけどね(笑)。そんな影響もあって、ガキの頃から海外に行きたかったんだよ。日本を外からみたくってな。生活をしてみたかったんだな。当時は、日本資本主義の黄金時代だったよね。1ドル360円超えてたし。それで、商社マンになって。偶然、なれるような学力、バイタリティーがあったから潜り込んでな。
商社マンがはじめたロックバー
●そうだったんですね。ロックバーをはじめることになったきっかけは?
西川:商社マンで当時、1千万は稼いでたんだよ。で、友人だった相方は1千5百万ぐらい稼いでいて。だったらやれるだろって。1991年に、ロックバーCommon Stockを開いたのが、32歳の頃。
●なぜ新宿だったんですか?
西川:偶然だよ。地図開いてコンパスで円書いてな。各ターミナル駅を検討して回って、偶然西新宿7丁目に手に入る物件があって。新宿で手に入るなんて夢にも思ってなかったよ。
●なぜロックバーだったんですか?
西川:ははは、ロックが廃れるとは思ってなかったんだよ。このムーヴメントは永遠に続くと思っていた。そういう、うっすらとした幻想があってな。及び、この業界(ロックバー)を見て思ったのは、俺たちはネイティヴなロックエイジだったんだよ。先輩方はブルースに影響を受けた世代で、本当にロックをティーンエイジャーの頃に間に受けた人たちではなかった。当時、今はもう無いけどローリングストーンや、吉祥寺にあった“赤毛とそばかす”とか。他は、まるまるA面かけっぱなしの店とかばかりで。喋っちゃいけね〜とかな。そういうのはオールドスクールだと思ったんだよ。なんで、ひとり1曲単位でリクエストを受けないんだよって。そこに価値を見出してロックバーをはじめて。改良点があると思ったんだな。
●その時点では、通っていた憧れのロックバーがあったわけではないんですね?
西川:ないよ。自分が行ってみたい店を作りたかったんだよ。ニッチな居場所ぐらい作れるんじゃないかなって。当時、俺は物書きになりたかったから、年に300本ぐらい映画を観て書いてたな。Common Stockの時は、ロックバーに対してまだ真剣ではなかったんだよ。でも、一緒にやってた友達がおかしくなってしまって……。友達と別れるのも悲しくてな。9年ぐらい続いてな。
●伝説の店だったと聴いてます。
西川:君の知っている井戸雄次君(道玄坂ロック)とかな。京都から出てきてから店の客だったんだよ。
ロックバーは“自分で演奏しないバンドをやってる気分”
●そうなんですねぇ、スピリットが受け継がれているんですね。西川さんは、その後作家やライターもされたそうですが、upset the apple-cartを立ち上げたのはいつ頃?
西川:1件目の後、当時、寝ないでFXやっていたんだよ。今考えれば3人ぐらいでやればよかったんだけど、1人じゃ無理だったんだよな。あっという間に退職金も擦って、ロックバーをもう一度やってみようと思ったのが2007年。でも、前の店の時代より景気が悪くなっていて。家賃がえらい安くなってた。3丁目だしな。当時、この辺はもっとみんなインディーズな感じだったんだよ。今じゃうちが一番インディーズなんじゃないの?
●upset the apple-cartはどんな店にしたいと思いましたか?
西川:前の店は、客が転ぶと店が壊れたんだよ(笑)。でも、今は客が転ぶと客が壊れるんだ(笑)。テーブルや椅子が鉄製だから痛いぞ。店を作るにあたっては、ネットの時代なんで調べて、田中稔郎という鉄のアーティストに依頼したんだ。グリッドフレームっていう会社で。好きにやってくれってお願いしてな。
●このお店自体が作品になっていますよね。開店時は、Common Stockのお客さんが引き続き来てくれたんですか?
西川:昔の客がみんな来てくれたよ。でも、10年以上経ってるから、今は客も入れ替わったけどな。不易流行? うまく言えねぇな……。前の客とは一言も喋ってなかったんだよ。今よりも爆音すぎて、言わば客とのコミュニケーションを拒絶した店だった。今は、ひとりでやってるから。会話も、音を聴いてるのと同じぐらい面白いタイミングがあるから。人が少なかったら客と喋ることもあるよ。そこは随分変わったね。この店はじめてから、前来てくれていた客の顔や名前を初めて知ったから。
●以前、ロックバーは“自分で演奏しないバンドをやってる気分”だっておっしゃられてましたよね?
西川:昔はロック自体、MCをそんなに必要としていなかったからね。時代も変わったよな。でも、喋らなくても、この曲のリクエストが来たから、この曲で返して反応をみてみよう、みたいな。特にはじめて来たようなお客さんには全員やってるよ。それが浮かばなくなったら、この商売無理だと思うときかな……。今はまだ、何かしら曲が浮かんでくるから。お客さんの選曲から、同時代でぶつけるとか、同系統でぶつけるとか、会話で語っている内容でぶつけるとか、身についた技みたいなもんだね。それをコミュニケーションというなら、楽しいよな。とてつもなく離れたリクエストが来た時は、たとえばロンドンからロサンゼルスに行く時に1回シカゴを経過する、みたいなことは考えているよ。
音楽を知らなそうな子がいたら、モーニング娘。をかけてみたりな
●空気作りなんですよね。まさに、今の時代でいうSpotifyなど、ストリーミング・ミュージック時代のプレイリスト選曲にも通じてくると思います。選曲家として、学べる要素がいっぱいあります。
西川:たとえば4人できた客で、まったく音楽を知らなそうな子がいたら、モーニング娘。をかけてみたりな(笑)。そういう話よ。
●なるほど(笑)。柔軟性めっちゃあるじゃないですか。主なお店の客層はどんな感じなんですか?
西川:80年代に青春だった子たちが多いかな。90年代は、もっと個人主義になるんだよ。こんな連帯感ですらウザい、みたいな。
●絶妙な距離感が心地よいお店なんですけどね。ひと回りして、今だからこそロックバー文化にハマれる若い子もいるかもしれないですよね。ひとりでもひとりじゃないというか、居場所として機能するというか。
若い世代のガキでもロックを感じられるヤツはいると思うんだよ
西川:今、若い世代のガキでもロックを感じられるヤツはいると思うんだよ。R&Bやヒップホップ全盛の時代でもな。昔の自分みたいに、青いというかヒリヒリしているというか、そういうのを求めているヤツが来れるような空間を維持したいね。もちろん職業意識としては、今の音楽だって聴いてるよ。どんなサウンドをいいと思っているんだろうってチェックはしているよ。
●ちょうど、ツイッターでもカサビアンの音の変化について語られていましたよね?
西川:うん、あんな感じですよ。この店にいる客は、みんな音楽が好きなんです。それに俺は基本物書きだから、好奇心の人間なんだよ。だから、お客さんのことも知りたくなる。無駄話はしないけどな。なので、お客さんに順列はつけないんだよ。みんな同価値。そもそもロックバーを音楽に救いを求めているような人間がやると窒息するね。ロックに限らずジャズもクラシックもだけど、音楽バーをやっているマスターには自殺が多いんだよ……。俺みたいに鈍感な、アイアン・メイデンもボブ・ディランも同価値という、非常に雑な感性がないとね。
●だからこそ、音楽が好きな人の思いを託せるような場所となったんですね。
西川:だといいけどな。もうちょっと客が欲しいけどね(笑)。
●今って、歴史上もっとも音楽に触れられる、聴ける、調べることのできる時代だと思うんです。そんな時代の羅針盤=ナビゲーターとして、ロックバーは必要とされていると思います。
西川:それこそナビゲーターだから。いい音楽はたくさん知ってるんですよ。出し惜しみする気もないし。それに、店に来たのをきっかけに自分で、掘って行くか遮断するかも自由だし。でも、少なくとも意味がないものや悪いものは省いてるつもりなんだよ。店で音楽を聴いたことを肥やしにして絵を描くのもいいし、仕事を頑張るのもいいし。自由な使い方をしていただきたいですね。
ロックバーがロックバーであるための理由
●非日常な空間でありながらも、日常の力になる場ということですよね。では、最後の質問です。西川さんにとって、ロックバーとはどんな存在ですか?
西川:俺が思うロックバーの基本ってのはね。まずは音がでかいこと。ある程度暗いこと。あと、この店に何があるかをすべてオープンにしていること。客のリクエストを受けること。他の客がかけた曲について“なんだこんなの” とかいう奴がいたらつまみ出すこと。というのがロックバーの基本だと思っています。
●それは、大事な要素ですね。お客さん的にも嬉しいです。
西川:たとえば、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリン、ジョン・レノン、サム・クック、オーティス・レディングが歌っていること。自分が受けた感動や感銘は全部一緒なんだよ。それはAC/DCでもグランド・ファンク・レイルロードでも、レッド・ツェッペリンでも一緒だということを体得した瞬間があったんだ。俺だって個人だから、自分にとっての音楽の自分史はあるんだよ。でも、パブリックな立ち位置からみると全部基本的には一緒で、それは善なるものだと。よき魂によって導き出されているんだよ。意味があるんだよな。今もその気持ちは変わらない。だからこんな人生を送っているんだよ。
●ロックはジャンルではなく、ライフスタイルであり、今もあらゆる音楽にその考え方は受け継がれているということですね。
西川:うん。映画にも絵画にもあるよな。ロックという言葉が発見、発明されたことによって、いろんな考え方が変わったんだよ。それは永遠なんだよ。……えっと、今日は少しは客やってくの?
●もちろんです。 ※その後、夜更けまで爆音でロックを楽しませていただきました。
<INFOMATION>
新宿3丁目ロックバー upset the apple-cart
〒160-0022 東京都新宿区3-10-9, FBビル 3F
営業時間: 19:00〜2:00
https://twitter.com/apple_cart