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【戦国こぼれ話】木造復元で揺れる名古屋城。そもそも築城された謎と真相とは?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
名古屋城の天守。名古屋空襲で焼失したが、戦後、寄付などにより再建された。(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

■焼失した名古屋城

 現在、名古屋市は名古屋城天守閣(名古屋市中区・北区)の木造復元を進めているが、エレベーターを設置するか否かなどの問題を含めて、なかなか進展しない。昭和20年(1945)5月の名古屋空襲により、名古屋城は本丸御殿、大天守などを焼失した。現在の天守は、寄付などにより昭和34年に再建されたものだ。

 では、そもそも名古屋城は、いかなる経緯によって築城されたのだろうか?

■徳川義直のために築城される

 慶長15年(1610)、徳川秀忠は家康の九男・義直の居城として名古屋城を築城した。かつては近くの清須城(愛知県清須市)に拠点が置かれ、伊勢街道や中山道が通る陸上交通の利便性が重視された。しかし、城下町を作るには不便な土地で、以前からたびたび水害に悩まされた。そこで、代替地として今の名古屋城の所在する地が選ばれたのだ。

 重要だったのは、南と東には大規模な城下町を築くだけの十分なスペースがあったことだ。また海路は熱田湊(名古屋市熱田区)に利便性があり、陸路は東海道に面していた。つまり、交通の至便性によって、将来的な経済発展が十分に見込めたのだ。名古屋城のある場所は経済、文化、軍事などの多様な目的を叶える、唯一無二の土地柄だったのである。

 名古屋城が築かれた場所は、名古屋台地の北西の隅で、低湿地の北側にある丘陵地帯にあった。台地の北面と西面は10メートルの段差があり、その下は泥沼だった。典型的な平城である。さらに、付近には木曾三川(木曾川、長良川、揖斐川)と庄内川が流れており、単に河川交通の利便性だけでなく、天然の要害としての防御面も優れていた。

 まさしく名古屋城の立地は、徳川御三家の一つ尾張徳川家にふさわしい場所だったといえよう。

■天下普請により築城される

 慶長15年1月、秀忠は西国方面の20家の大名に対して、名古屋城の普請を命令した。天下普請である。天下普請とは、各国の大名を動員し、城郭の普請に従事させることだ。ところが、諸大名は度重なる要請に対し、経済的な負担の大きさに音を挙げたという。当時、天下普請によって、多くの城が築かれていたが、幕府の命令に逆らう大名は皆無だった。

 やがて、名古屋の状の本丸、二の丸、三の丸、西の丸が次々と築かれ、城の周囲には堀と石垣がめぐらされた。また、城の要である空堀や土塁も構築され、入り口となる楼門には枡形になっていた。こうして慶長17年頃には天守が完成したが、すべての作業が完了したのは、おおむね元和6年(1620)頃だったという。

■侮れなかった豊臣家

 名古屋城には、どのような役割が与えられたのだろうか。慶長5年9月の関ヶ原合戦終了後、豊臣秀頼は摂津、和泉、河内の一大名になったとはいえ、豊臣公儀は大きな存在だった。戦後、家康は豊臣家の大坂城を牽制すべく、重要な拠点には一門や譜代衆を配置するなど、豊臣家への対策を怠らなかった。

 名古屋城は、まさしくその要となる中心の城だったのである。また、大坂城を包囲するように、天下普請によって築かれた城々(篠山城など)も、豊臣家への警戒心から築城されたものだった。つまり、一連の天下普請とは、「豊臣包囲網」を構築するための策だったといえよう。

 慶長13年、伊奈忠次は家康の命を受け、木曽川東岸に「御囲堤」と称される大堤防を築きあげた。築かれた目的は木曽川などの治水だけでなく、大坂城の豊臣方からの攻撃を想定して作られた防塁でもあった。ここが大きなポイントである。

■天下の名城「名古屋城」

 つまり、名古屋城の築かれた場所は政治、経済などの中心地としての要件を兼ね備えていたが、さらに対豊臣家の防御ラインとしてもふさわしい立地条件にあったのだ。

 名古屋城は由緒正しき名城である。木造再建に際しては、いろいろな問題があるかもしれないが、一刻も早く事業を進めてほしいものである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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