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鳥羽一郎にシビれた幼稚園児、へそ出し・ミニスカ時代を経て20周年!丘みどり、新たな夢かなう

島田薫フリーアナウンサー/リポーター
デビュー20周年を迎える丘みどりさん(写真提供:すべて松竹)

 アイドルとして活動し、演歌界に入ってからもへそ出し・ミニスカートの衣装で歌うなど、常に画期的チャレンジが話題だった丘みどりさん。近年は「千鳥の鬼レンチャン」(フジテレビ系)で、圧倒的な歌唱力を武器に子どもなど若い人にまで知名度を広げています。今だから語れる過酷な経験と支えてくれた人たち。デビュー20周年を期に、夢だった女優活動も幕を開けます。

―来年デビュー20周年を迎えます。振り返っていかがですか

 長いような短かったような、不思議な感じです。デビューしてからの10年間は、決して順調ではありませんでした。30歳で東京に出てきてから、振り返ると10年ではないくらい、いろいろなことをしました。

―一番大変だったのは?

 やはり、上京してからの10年間です。その頃は延々とお休みをいただきまして、歌いたくても歌えなかった時期です。「もうお休みはいりません。365日歌わせてください」とお願いして本当に毎日歌いました。どんなに小さい場所でも、過酷な場所でも、1人でも聴いてくださる方がいらっしゃれば、会いに行きました。東京に部屋を借りても、2週間旅をして一瞬お洗濯で帰宅、また旅、の繰り返しです。

 新幹線で移動中、地元の兵庫・姫路駅で停車した時には、ここで降りたら楽になると、何回もデッキまで行っては戻っての繰り返しでした。本当にあの時期が一番つらかったです。

 まだ名前を知ってもらえていなかったので、キャンペーンでカラオケ喫茶やスナックに歌いに行くと、そこには歌自慢の方が集まっていて、私が歌っている途中でも「俺の方がうまい」とマイクを取られたこともあります。途中で曲を止められたり、他の方がマイクを手にして歌うのを私がステージ上で聴くという、地獄のような時間も過ごしました。

 歌う環境が整った場所ばかりではありませんでしたから、着替えが人の家の廊下とか、半分外だったりしたこともありました。ワンピース1枚持って自分でヘアメイクしながら、それでも続けて歌いに行くと、応援してくださる方が1人、2人…と増えて5人くらいになったんです。すると、CD即売会にその5人の方が来て、行列があるかのように皆でぐるぐる回って何枚もCDを買ってくれて、賑わっている風に見せてくれたんです。

 その5人の方は、私が東北に行けば全箇所一緒に回ってくれました。そのうち、私もその方たちも旅疲れしてきて(笑)。終盤は皆「やっと家に帰れる」という感じで、「あと1日頑張ろう」と家族のように支え合いながら旅をしていました。

 

 その数が10人、20人と増えていく感覚はすごく心強かったし、うれしかったです。つらい思いもしたけど、この方たちを幸せにしたい、恩返しがしたいという思いで続けてきました。「応援が報われた」と思ってもらえるように、という責任感でやってきた感じはありますね。

 その方たちは、ご家族にも「誰?その演歌歌手」と言われ続けてきたけど、最近は近所の人からも「テレビで丘みどりさんを見たよ」と言ってもらえるようになった。自分はこの人を応援してきたんだと分かってもらえるようになった。「だから僕は十分報われたよ」と、今も応援し続けてくださっているんです。今コンサートで、皆さんの前で歌えていることが何より幸せです。

―丘さんは数々の民謡コンクールで優勝し、アイドルを経て演歌、という珍しい変遷です

 今ならネットで望むものが探せますが、私の時代はオーディション雑誌しかなかったんです。でも、いくら見ても演歌歌手の募集はありませんでした。

 その中で「ホリプロ大阪アイドルオーディション」というのがあって、調べたら昔は石川さゆりさんもホリプロにいらっしゃったことが分かり、事務所に入ればなんとかなるだろうと応募したのがきっかけです。

 合格後、事務所の方に「アイドルになって何がしたいですか」と聞かれたので、「鳥羽一郎さんみたいな演歌歌手になりたいです」と答えたら「なんでうち受けたのかな?」みたいになりまして。

 でも、せっかく所属させてもらったので1年間アイドルとして活動しましたが、ここでは演歌は無理だということになり、演歌歌手になる夢を諦めきれずに事務所を辞めました。

―演歌の魅力とは?

 幼い頃から、演歌が一番カッコイイ!と思って生きてきました。小学生の頃から友達にも「なんで演歌なの?」と聞かれましたが、「カッコイイから」としか言いようがなくて(笑)。

 友達と好きなCDを交換して聴くことが流行ったので鳥羽一郎さんのCDを持っていきましたが、誰も借りてくれません。当時はアイドル、「SPEED」や安室奈美恵さんが人気でした。母に「まだ皆には鳥羽一郎さんの良さが分からないのよ」と慰められ、私は最先端を行っているのだと信じていました。

―鳥羽さんの好きなところは?

 初めて見た時、「こんなカッコイイ人がこの世にいるんだ!」と幼稚園児の私は衝撃を受けました。生バンドの中で一切動かないんです。振り付けもないのにこんなカッコイイってあり得るのだろうかと。祖母にCDを買ってもらったら声がカッコよすぎて、ますます夢中になりました。

―来年の正月公演『おちか奮闘記』はどういう経緯でやることに?

 実は、お芝居にチャレンジしたいという気持ちはデビュー当時からあったのですが、演歌歌手としてまだ何も“丘みどり”が仕上がっていないうちに「お芝居をやりたい」は違うと思ったので、内に秘めていた夢でした。

 初めてNHK「紅白歌合戦」に出演が決まり、これからの夢をマネジャーさんと話した時に「本当はお芝居もやりたい」と伝えたんです。そうしたら、マネジャーさんがいろいろな所に「丘みどりはお芝居をやりたいです」と言い続けてくださって、今回のお話が決まりました。夢をかなえていただき、とてもありがたいのですが、決まったら今度は喜んでもいられなくなりました。

 内容を見たら、主演・お正月公演・三越劇場で、いきなりスゴいプレッシャーですが、こんな機会をいただけることはなかなかありません。本当に命を懸けて頑張ろうと思っています。

 『おちか奮闘記』は、夫で義太夫節三味線方の豊澤団平(三田村邦彦)を支える妻・おちかが、壁にぶつかりながらも成長していく物語ですが、私にとっては“みどり奮闘記”です。奮闘しながらおちかになれればと思っています。

―主演はセリフが多いです

 本当に膨大でビックリしています。想像以上の長ゼリフもあるので覚えられるのか…。関西の言葉だからやりやすいと思われますが、全然そんなことないです。今は使わない明治時代の言葉がたくさんあるので、意味を調べる作業からやっています。ハードルしかないです。

―役柄はいかがですか

 おちかの性格は、一度決めたら周りがどんなことを言おうと突き進む。この人を信じると決めたらついていく。この気持ちは、自分と重なるところがあって好きです。

 私は東京に出てくる際、家族や友人から「うまくいくワケがない」と反対されましたが、歌で成功すると決めたからと、押し切って出てきました。そんな何を言われても突き進む気持ちは、何としても自分の夫を日本一の芸人にするというおちかの強い気持ちと重なるところがあるかなと思います。

―歌のシーンもありますが、よく演歌歌手は女優とも言われます

 確かに、私は曲の主人公になりきって歌い、演じてみせることをテーマにコンサートをしているので、それは常に思っています。

 ただ、舞台では自分の歌も丘みどりが歌っているのではなく、“おちか”の心で歌えるように気持ちを変えていかなくてはいけません。普段のコンサートとは違う歌を伝えたいのですが、これが意外と難しいです。それに初めて歌うカバー曲もあり、本当に覚えることだらけなんです。

―今年はどんな年でしたか

 多くのことにチャレンジしました。どこを切り取ってもやり残したことのない充実した1年でした。皆さん「1年が早い」とおっしゃいますが、私にとっては「長い1年」でした。お仕事だけでなく、子育てもあるので、すごく長く感じるのだと思います。

―お子さん、かわいい時期ですよね

 3歳になったばかりですけど、おしゃべりが上手で、女友達といる感覚で話せます。1歳から滑舌もはっきりしていて、赤ちゃん言葉がないんです。大人のように喋っていますね(笑)。

 「お仕事に行ってくるね」と言うと、「丘みどりさん、今日もいい歌歌ってくださいね」と返されます。テレビを見て「丘みどりさん出てるね」と言うので、「今日の丘さんはどうですか?」と聞くと「いい歌、歌ってますね」とか言うんです(笑)。

 かと思えば、「好き嫌いせずに食べてね」と言うと、「私は3歳でまだ子どもだから食べられないものもあるよ」と言ってきます。何も特別な教育はしていませんけど、私が話しているのをマネしているのでは…ということなんですよね(苦笑)。

 子どもに対してしていることと言えば、「ダメ」とは言わずに、会話で説明して一緒に考えるようにしていることでしょうか。例えば「道路に飛び出したらどうなる?」と聞くと「死んじゃう」と答えるので、危ないことはそうやって教えるようにしています。

―来年の抱負は?

 来年は20周年なので、夢をかなえる1年にしたいと思っています。節目の年に1月2日からこんな大きなチャレンジをさせていただくのはありがたいことで、丘みどりとしては永遠の挑戦者でいたいと思っています。20周年の年に、これ以上ないスタートが切れます。

 そして、演歌の良さや生の舞台の楽しさを改めて皆様に知っていただきたいです。歌もお芝居も、一つ一つのステージを大切に、全国を回って行きたいです。

■編集後記

お話が面白く、滑舌よく元気に話される内容は一つの物語のようでした。子どもの頃から変わらない大好きなこと、一本芯が通ったゆるぎない夢、すべてがハッキリしています。つらい経験から、歌を続けられたファンの存在、内に秘めた夢まで、ご本人が本気で取り組んでいるからこそ、周りの応援・サポートも温かいものでした。

■丘みどり(おか・みどり)

1984年7月26日生まれ、兵庫県姫路市出身。5歳から始めた民謡は、数々のコンクールで優勝を飾る。アイドル活動を始めた後、演歌に転身。2005年、「おけさ渡り鳥」で演歌歌手・丘みどりとしてデビュー。2016年に上京し、事務所・レコード会社移籍第一弾「霧の川」で第9回日本作曲家協会音楽祭「奨励賞」、第49回日本作詞大賞「優秀作品賞」を受賞。2019年、第61回輝く!日本レコード大賞「日本作曲家協会選奨」を受賞。第68~70回NHK「紅白歌合戦」出場、多くの歌・バラエティ番組に出演する。松竹創業百三十周年『おちか奮闘記』は、2025年1月2~26日まで三越劇場にて上演予定。

https://www.shochiku.co.jp/play/schedules/detail/mitsukoshi_2501/

フリーアナウンサー/リポーター

東京都出身。渋谷でエンタメに囲まれて育つ。大学卒業後、舞台芸術学院でミュージカルを学び、ジャズバレエ団、声優事務所の研究生などを経て情報番組のリポーターを始める。事件から芸能まで、走り続けて四半世紀以上。国内だけでなく、NYのブロードウェイや北朝鮮の芸能学校まで幅広く取材。TBS「モーニングEye」、テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド!スクランブル」で専属リポーターを務めた後、現在はABC「newsおかえり」、中京テレビ「キャッチ!」などの番組で芸能情報を伝えている。

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