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【その後の鎌倉殿の13人】北条政子、病に倒れる!尼将軍はどのように亡くなったのか?

濱田浩一郎歴史家・作家

嘉暦元年(1225)5月29日、北条政子は、体調を崩していました(鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』)。政子は保元2年(1157)に、北条時政の娘として生まれたとされますので、この時、68歳でした。現代では68歳というと「まだまだこれから」という年齢かもしれませんが、当時の68歳はかなりの高齢というべきでしょう。

政子の体調不良の要因を『吾妻鏡』は記していませんが、年齢からくるものかもしれませんし、その年に流行っていた流行病によるものかもしれません。6月2日には、北条泰時の命令により、祈祷が開始されます。もちろん、政子の体調の回復を願ってのものです。

陰陽師の安倍国道らが数々の祭りを執り行い、政子を回復させようと尽力します。同月5日もお祈りは続けられました。

しかし、8日には逆修(生前にあらかじめ死後の菩提を祈願して仏事を修すること)が行われます(指導僧は信濃僧都・道禅)。これは、先はもう長くはないと判断されたからでしょう。

そうしたなか、大江広元が亡くなります(6月10日)。享年78。広元もまた日頃から「痢病」(赤痢の類か)を患っていたということです。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では政子と広元は良いコンビという感じでしたが、2人は奇しくも同じ年に亡くなることになるのです。政子に臨終の時が迫っていました。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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