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12年続いた安倍一強体制を終わらせた岸田文雄と菅義偉そして福田達夫

田中良紹ジャーナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 メディアは岸田文雄と菅義偉は敵対していると繰り返し報道してきた。理由は岸田が菅政権をわずか1年で退陣に追い込んだからだ。しかし今回の総裁選で石破茂が勝利したのは、最終段階で岸田と菅が国会議員票を石破に回すよう指示したからである。

 つまり岸田と菅は敵対関係にあると周囲に思わせ、しかし協力して石破政権を誕生させた。そして12年間にわたりこの国の政治を支配してきた安倍一強体制を終わらせた。そこには安倍派の福田達夫も一枚かんでいると私は見ている。

 メディアはその構図が読めず、当初は小泉進次郎総理が誕生すると言い、次に高市早苗の可能性を報道し、最後に石破が勝利すると「大逆転」と書いた。しかし私は高市の勝利は天と地がひっくり返ってもあり得ないと思っていたので、進次郎が3位になり石破対高市の戦いになれば、石破が勝つと考えていた。

 メディアと私の見方のどこが違うか。メディアは安倍晋三の3度目の総理就任への意欲を私より過小評価していたと思う。安倍は菅と岸田を競わせながら、2人を自分が返り咲くための道具と考えていた。従って菅と岸田は敵対しながらも、安倍の「駒」という共通の立場にあった。それが安倍一強体制を終わらせるために協力したのである。

 安倍にあって菅と岸田にないのは、岩盤支持層と言われる宗教票である。07年にぶざまな退陣劇を演じた安倍は、そこで政治生命が終わっても不思議でなかった。それを再び自民党総裁に担ぎ出したのは菅である。麻生太郎と甘利明に協力を依頼し、石原伸晃が本命と言われた12年の総裁選に挑戦した。負ければ自民党を出て維新に合流する覚悟だった。

 菅の狙いは09年の反省にある。09年の総選挙で民主党の小沢一郎は農協以外のすべての業界団体票を自民党から奪い、自民党は初めて選挙で野党に転落した。政権を取り戻すには業界団体票に頼るだけではだめだ。公明党を見ても分かるように宗教票は固い。安倍には「日本会議」と旧統一教会の宗教票があった。

 菅の思惑通りに安倍は総裁になり、自民党は政権に復帰した。そして自民党は二度と野党に政権を渡さない方策を練った。一つ目は固い宗教票の強みを生かすため、低投票率の選挙を繰り返すことである。だから大義のない解散を頻繁に行って野党の議席を減らし、公認権を持つ安倍の派閥は党内最大派閥になる。自民党は安倍一強の政党になった。

 二つ目は官邸に内閣人事局を作り、霞が関の幹部人事を完全コントロールした。日本と同じ議院内閣制の英国では政治は官僚人事に介入しない。しかし大統領制の米国で官僚人事は政治任用である。安倍は米国を真似て官僚人事に介入し、霞が関を支配下に置いた。

 こうして第二次安倍政権は麻生副総裁が「ナチスを真似たらどうか」と言ったように独裁政権を目指した。総務省に権力基盤を持つ官房長官の菅は、免許事業であるテレビ局に圧力をかけ、番組司会者や出演者を相次いで降板させ、メディアを委縮させた。

 しかし独裁は必ず腐敗する。安倍には「森友学園」、「加計学園」、「桜を見る会」などの不祥事が相次ぎ、安倍政権はその内実が暴露されないよう、官邸官僚を通じて関係官庁に圧力をかけた。さらに検察を従属させるため黒川弘務東京高検検事長の検事総長昇格を画策した。検察人事への介入に検察庁はOBを含めて猛反発した。

 同時期に岸田が県連会長を務める広島で、安倍は自分を厳しく批判する溝手謙正参議院議員を落選させようと、対立候補を擁立し1億5千万円という巨額の選挙資金を渡し、溝手を落選させた。溝手は岸田と同じ派閥の大先輩で岸田は屈辱にさらされた。一方で安倍に反発する検察はこの選挙の不正摘発に積極的に乗り出した。

 独裁権力を握った安倍は、郷里の先輩である桂太郎の憲政史上最長の在任記録と、3回の総理就任に挑戦する夢を見る。19年11月に在任最長記録を抜いた安倍は次に総理3選に挑戦する計画を立てた。

 自分が招致に成功した2020東京五輪を開催するまで総理を務め、五輪直後に劇的に退陣する。そこで自分に従順な岸田を後継総理に指名し、憲法改正の道筋をつけさせたところで再び自分が総理になる計画である。

 ところがコロナ襲来で計画が狂う。安倍のコロナ対策は国民に不評で、東京五輪も延期された。安倍は病気を理由にいったん退陣し、菅にコロナ対策と東京五輪開催をやらせ、それが終われば岸田につなぐ計画に変更した。

 ところが菅は異なる構想を抱いていた。地球温暖化やデジタル時代の到来に備え、自らの長期政権と若手への世代交代である。河野太郎と小泉進次郎を安倍内閣の閣僚として育て上げた。3選を夢見る安倍には受け入れられない構想だ。

 菅政権がスタートすると、菅の権力基盤である総務省のスキャンダルが週刊誌に暴露され、スキャンダルは菅の家族にも及び、菅政権はわずか1年でぼろぼろになった。そこを狙って岸田が総裁選出馬を表明、さらに菅政権の後ろ盾である二階幹事長を辞めさせる党改革案を打ち出した。

 21年の総裁選で菅は岸田の対抗馬に河野太郎を立て世代交代を図る。この時、安倍は決選投票で岸田を勝たせるため高市早苗を出馬させた。岩盤支持層を自民党につなぎ止め、自分の返り咲きに利用するためである。安倍は高市には総理になれない「傷」があることを知っている。安倍にとって高市は「かませ犬」だった。

 安倍のシナリオ通りに岸田政権は誕生した。ところが従順だと思っていた岸田が豹変する。岸田は安倍にとって親の代からの「天敵」である林芳正を外務大臣に起用し、しかも衆議院に鞍替えさせ、総理候補に引っ張り上げた。安倍の総理3選を阻止する考えだ。さらに安倍に忠実な防衛事務次官を辞めさせ、岸田は人事で安倍に対抗した。

 安倍は最大派閥の力を強める必要に迫られ、22年参議院選挙の応援に全力を挙げた。また3選を狙うため旧統一教会との関係も強め、旧統一教会の関連団体に教祖を称賛するビデオメッセージを送った。そのビデオを見たのが旧統一教会に人生を狂わされた元自衛官の山上徹也である。

 22年7月8日、高市の選挙区である奈良を遊説中の安倍は山上に銃撃され、帰らぬ人となった。自民党の実権を握る最大派閥のリーダーが不在となって岸田は困惑した。安倍がいれば政治家同士で妥協も図れるが、安倍がいないとそれができない。

 その時に助けてくれたのが森喜朗だった。森は安倍派を集団指導体制にして岸田に対抗させないようにした。それに助けられながら、しかし岸田は一方で最大派閥の解体を狙っていた。そのキーマンとなったのが福田赳夫の孫の福田達夫である。彼には派閥解消を主張した祖父のDNAが受け継がれていた。

 自民党政治に派閥が生まれたのは岸田が所属する「宏池会」が最初である。吉田茂の直系である池田勇人を総理にするため「宏池会」が生まれた時、福田赳夫はそれを批判し「党風刷新連盟」を作って派閥政治に反対した。その息子の福田康夫は安倍の独裁的な一強政治に批判的だった。

 達夫は岸田が総裁に選ばれる21年の総裁選で、「党風一新の会」という若手議員の派閥横断的な組織を作り岸田を応援した。それに応えて岸田は達夫を総務会長という要職に就けた。それ以来2人には通じるものがあった。

 安倍が不在になると、検察は安倍派をターゲットに派閥のパーティ資金裏金事件の捜査に取り掛かる。派閥のパーティ資金を所属議員にキックバックしても、収支報告書に記載していれば違法ではない。ところが安倍派では所属議員に不記載を強制していた。

 そこには森が選挙に弱い若手議員の面倒を見ようとした「親心」がある。森は若手を助けるためにやったと考え、悪いと思っていない。面倒を見られた議員たちは森の「親心」を正面から糾弾できない。法的には全く許されないことだが、実態の解明には困難が伴った。

 岸田が自民党に「政治刷新本部」を作って麻生と菅の総理経験者を顧問に据えた時、私は「刷新」の2文字に注目した。福田赳夫の「党風刷新連盟」と似ている。すると菅が「派閥解消」を言い出した。裏金問題と派閥解消は何の関係もない。ところが岸田は直ちに「宏池会」解散を決めた。福田赳夫の主張が時空を超えて実現した。

 この時、私は一連の動きがつながっていると感じた。目的は安倍派の解体である。「宏池会」に次いで森山派、二階派が解散を決め、安倍派も不満ながら解散せざるを得なくなった。抵抗したのはポスト岸田を狙う茂木敏允と、茂木と岸田を競わせて影響力を保持しようとする麻生である。

 そして安倍派解体に危機感を持ったのは森だった。最大派閥がなくなれば自分を守る壁がなくなる。森が麻生と茂木の事務所を訪れ協力を要請したことがニュースになった。こうした自民党の動きは国民の反発を買う。それが岸田政権の支持率下落につながり、岸田は追い詰められた。政権交代の可能性が言われるようになる。

 政権交代が実現すれば森を筆頭とする安倍派の裏金問題は白日の下にさらされる。森は小泉純一郎を口説いて息子の進次郎を総裁選に担ぎ出す動きを始めた。メディアには進次郎総理誕生が既定路線のように報道された。自民党議員は選挙を意識して進次郎を担ぎ上げようとする。ついに岸田は総裁選不出馬を表明した。

 その時、真っ先に出馬を表明したのは若手の小林鷹之である。それを担いだのは安倍派の福田達夫だった。これで安倍派は結束して一人の候補を担ぐことができなくなった。安倍派が結束すれば総裁選の帰趨はそれで決まる。それがなくなれば党員に人気のある石破を総理にする可能性が生まれる。

 この構想の先陣を福田達夫が担った。それは岸田にとって石破に岸田路線を継承させる方法でもある。岸田はいったん退陣するが、岸田の政治は石破によって継承される。それに菅も、森山も、二階も協力する体制が出来上がった。

 小林の出馬は森の進次郎構想に冷や水を浴びせ、一方では出馬をためらっていた進次郎に火をつけた。同じ40代の小林に負けるわけにはいかない。進次郎はこれに刺激されて出馬を決めた。一方の岸田は総裁選を派閥にとらわれない多数が戦う形にし、票読みを難しくして最後は岸田派の票が勝負を決するようにした。

 安倍一強政治を支えた岩盤支持層はなぜか安倍が総理になれないと考えていた高市を担いだ。しかし高市は党内に信望がなく推薦人を集めるのがやっとだ。ただ「日本会議」や旧統一教会が支えれば、地方票を伸ばすことはできる。その岩盤支持層を刺激するように進次郎は選択的夫婦別姓容認の法改正を1年以内に行うと主張した。

 進次郎は党内の議員票ではダントツだが、地方票では石破や高市に後れを取る。岩盤支持層は進次郎を敵視して地方票獲得に力を入れた。その結果、高市が地方票で予想以上の支持を集め、一方の進次郎は討論の不安定さもあって急速に支持を失う。すると麻生が議員票を1回目から河野太郎ではなく高市に入れるよう指示した。

 これで私は決選投票が石破対高市になり、進次郎に集まっていた議員票と岸田の指示による議員票が石破に向かうことから、石破が勝利すると確信した。そしてその後の人事は見事に安倍一強時代の終わりを物語るものになった。

 その象徴は一貫して安倍一強を批判してきた村上誠一郎が総務大臣になったことだ。しかしなぜ総務大臣なのか。総務省が菅の権力基盤であることを考えれば、菅の人事と見ることができる。茂木派でありながら茂木と一線を画した加藤勝信が財務大臣になったのも菅の推薦だ。菅は加藤に自分の政権の官房長官をやらせた。

 そして安倍派は誰も処遇されなかったとメディアは言うが、福田達夫が幹事長代行という要職に就いた。菅は12年の総裁選挙で安倍を総裁にした時、論功行賞で幹事長代行に就任したが、それに匹敵する人事である。

 小林も広報本部長を要請されたが固辞した。小林は総裁選中に山口県の安倍の墓参りをするなど安倍家から後継の扱いを受けた。そのための遠慮があったのかもしれない。岩盤支持層が担いだ高市は安倍家から安倍の後継と見られていない。

 官房長官に林芳正が再任されたことは岸田政治が継続されることを示した。総裁選に出馬した林は将来の山口県選出の総理になる道が確実になった。人事の全体像を見ると石破の意向が反映されていることは当然だが、菅のカラーが予想以上に前面に出ている。

 第一次政権の失敗で政治生命が終わりになった安倍を復活させた菅が、安倍一強という独裁政権を作り、それがゆえに総理3選という夢を安倍に与え、日本政治は大きく歪んだ。それを是正する総裁選を岸田と共に仕組んだのは菅の当然の責務だった。

 これで自民党は一強ではなく、主流と反主流が競い合う体制に戻った。問題は野党である。いまだに遠心力が働いてまとまることができない。来年の参議院選挙までに候補者調整ができるようにならないと、日本の政治は万年与党と万年野党が相変わらず続くことになる。(文中敬称略)

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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