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新年度は子どものメンタル不調に注意 SOSのサインを見逃さないために

関谷秀子精神科医・法政大学現代福祉学部教授・博士(医学)
写真はイメージです (提供:イメージマート)

 4月になると、外来診療ではこの時期に特徴的な悩み事をよく耳にします。 「入学した学校の雰囲気が自分に合わない」、「新しいクラスになじめない」、「担任の先生と合わない」。 

 4月は、子どもにとって大きな環境の変化がある時期です。新しい自分を見つけるワクワクやドキドキもありますが、未知の世界を切り開いていく不安や緊張といったストレスにも見舞われます。春休みから一転して、新しい環境に適応していくという課題に直面しなければなりません。

 このようなストレスを上手く乗り越えられる子どももいれば、前に進むことが難しくなってしまう子どももいます。環境の変化をきっかけに鬱積していた悩みが露わになって、死にたい気持ちを抱いたり、自殺を考えたりしてしまう子どももいます。

 そんな状況に直面したときにどうしたらよいか、考えてみたいと思います。

父親が決めた高校が合わないA子さん

 高校1年生のA子さんは勉強が得意でしたが、大人しくて引っ込み思案な性格でした。何人かの友達が志望している近所の女子高校に進学したいと思っていましたが、父親の強い意向で家から離れた男女共学の高校に進学することになりました。

A子さんは入学式とオリエンテーションには出席したものの、その後体調不良を理由に朝から保健室に行くことが多くなっていきました。口数の少ないA子さんでしたが、保健室に何度も行くうちに、「この学校は私には合わない。男子と話すのも苦手だし。女子もオリエンテーションで皆仲良くなっているから入っていけない」と自分のことを少しずつ話すようになりました。保健室の先生はA子さんの話を一生懸命に聞いて、A子さんを元気づけたり、励ましたりしました。そして担任と情報を共有し、A子さんがクラスになじめるためにはどんなことができるかなどの話し合いをしました。

保健室で出た言葉から精神科クリニックを受診へ

 ある朝、A子さんは泣き腫らした目をして保健室登校をしてきました。ただならぬ様子のA子さんに「何かあったの?」と先生が尋ねると、涙をこらえながら「本当は生きていても意味がないと思っている。引き出しには薬局で買った薬やカッターやロープが入っている。昨日はもう死んでもいいと思った。でも・・・」とポツリと話しました。先生は、A子さんの悩みは、男女共学の学校になじめず、人見知りのために友だちの輪に入れないことだと思っていたので、深刻な言葉を聞いてびっくりし、これは放っておいては大変なことになると考えました。A子さんをなんとか説得し、母親にも状況を説明し、精神科クリニックを受診するように強く勧めました。しかし、A子さんが「親と一緒には行きたくない」と言ったのでA子さんと親は別々にクリニックを受診することになりました。

写真はイメージです
写真はイメージです提供:イメージマート

在宅勤務がきっかけで進路に介入するようになった父親

 A子さんは診察室に入ると、小さい声でしたが、自分についてきちんと話すことができました。

中学2年の終わり頃から、父親はコロナ禍による在宅勤務が増えて、ほとんど家にいるようになったそうです。それまでは仕事が忙しく、家庭のことは全て母親に任せていた父親でしたが、急に勉強や進路について口うるさく介入してくるようになったとのことでした。

自分の志望した大学に入学できなかった父親は、成績の良いA子さんの大学受験に期待をかけるようになりました。

 「大学受験のために今のうちから男子と張り合っておかないとだめだ」とA子さんが進学したかった女子高校ではなく、偏差値の高い共学の高校を第一志望に決め、「それ以外なら金は出さないから働け」と言い切ったそうです。A子さんは「父親は昔から人の話は聞かない人で、何を言っても無駄なのでやるしかありませんでした」と付け加えました。

「誰も私の気持ちをわかってくれない」

 在宅勤務の父親の一番の関心事はいつのまにか仕事よりもA子さんの成績や進路になっていました。ある日の夜、父親は母親とA子さんに「平日の夜と土日は大学受験に備えてA子に勉強を教える。始めるなら早い方がいいだろう」と告げたそうです。母親とA子さんは一瞬目を合わせました。母親は父親と表立って揉めることは避ける傾向にあり、高校進学についても「お父さんはああいう性格だから、言うことをきいておいた方がいいと思う」とA子さんに伝えていました。一方、A子さんは最近になって母親に「死にたい」と何度か伝えていました。母親からは何も言われてなかったものの、「自分の気持ちは母親に伝わっているに違いない、今度こそ母親が自分の代わりに父親の提案に反対してくれる」と思っていました。

 しかし、A子さんの期待は裏切られ、父親の提案に対して「そうするのがいいね。お父さんに勉強を見てもらいなさい」と母親は答えたそうです。このことがA子さんに大きなショックを与えました。A子さんはこの時、「何かが崩れ落ちていく感じがした。誰も私の気持ちを考えてくれない。お父さんだけじゃなくて、お母さんも。どうせ味方はいない。もうどうでもいい。もう死んでもいい」と思ったそうです。しかしA子さんは、「死ぬ前にとりあえず、保健室に行ってみよう」と思い立ちました。家にも教室にも居場所がないA子さんでしたが、いつの間にか、保健室の先生がいる保健室が唯一安心できる場になっていたのでした。

 A子さんは一気に話し終えて、私が「随分大変な気持ちを一人で抱えていたんですね」と伝えると、「話してすっきりした。誰かに全部聞いてもらいたかったんだと思う」と答えました。そして死にたい気持ちについて尋ねると、「今は大丈夫だと思う。次に来るときには用意していた道具を預かってほしい」と答えました。

 A子さんの中には死んでしまいたくなるほど辛い気持ちもあるけれど、自分をコントロールしてそれを止めたいという気持ちもあることがわかりました。

 その日の午後に険しい表情をした父親と慌てた様子の母親がやってきました。父親は「『死ぬ』と言えば何とかなると思っているに違いない」と怒った様子で話し、母親は「A子はうつ病になったんでしょうか」と心配そうな様子で話しました。私はそのどちらでもないことを次のように説明しました。

子どもからのSOS

 大人の場合には希死念慮や自殺企図はうつ病によると考えられることも多いのですが、中学生や高校生の場合には必ずしもそうとは限りません。自分の将来に夢や希望を持てなくなって、大人への道筋が見いだせなくなってしまった場合や第二次性徴が始まり、思春期に増大するエネルギーを健康的に発散できずに、それが自分の内側に向いてしまうと自傷行為や希死念慮、自殺企図がおきてしまうことがあります。そして誰にも本当の気持ちを打ち明けられない、誰にも気持ちを分かってもらえない、受け止めてもらえない場合にはその苦しみから逃れるためにも自分を傷つけたくなったり、死にたくなったりしてしまうこともあるのです。

 ですからそのような子どもに対して「どうしてそんなことをするのか」と子どもを責めたり怒ったりしても子どもが救われることはありません。子どものこれらの行為は子どもからのSOSでもあるわけです。周囲の大人は子どもの本当の気持ちや考えを十分理解して、倒れそうな子どもをしっかり支え、認め、励ましていくことが大切です。

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写真はイメージです提供:イメージマート

適応困難の背景にあるいくつかの問題

 A子さんは入学した高校への適応が難しいという問題がありました。しかし、その後のA子さんと両親の話から、いくつかの問題が重なっていることがわかりました。

 父親はコロナ禍の在宅勤務により仕事の量や質が変わったことでストレスがたまり、今まで仕事に向けていたエネルギーをA子さんの勉強や進路に向け変え、A子さんをコントロールしようとすることでストレスを解消していた部分がありました。また、大学受験に失敗し学歴コンプレックスを抱いていた父親は、無意識に自分のできなかったことを娘に成し遂げさせることで自分のコンプレックスを解消しようとしていました。母親はそれに気づいていたものの家にいる時間の長い父親の機嫌を損ねると面倒なことになるため、A子さんの気持ちを知りつつも父親の機嫌をとってしまい、その結果A子さんの気持ちを受け止めることができなくなってしまいました。母親はA子さんに「死にたいな」と言われたけれど、A子ならば大丈夫だろうと、軽く考えて取り合いませんでした。そしてA子さんにとっては母親に自分の気持ちを受け止めてもらえなかったことが大きなショックとなってしまいました。

 A子さんについては、大人になっていくためには自分の気持ちを率直に伝えたり、母親の力を借りずに自分で父親に意見を言えるようになることも必要な課題でしょう。

本質の見極めを

 新年度にはさまざまなこころの問題が起こることがあります。

 一見それは本人を取り巻く環境の変化が原因のように見えることありますが、必ずしもそれだけとは限りません。ですから、特に問題が長引く場合には丁寧に話を聞き、問題の本質がどこにあるのかを見極めることが大切です。

 大人は、子どもが自分の人生を生きられるように、子どもを守り保護し、励ます役割を担う必要があります。保健の先生はその役割を果たしたのでしょう。守られた体験、励まされた体験、は子どもの心にとどまって、それを与えてくれた人が自分自身として心の中に住まうようになっていきます。子どもと関わる大人はそのことを心にとめて子どもと接する必要があると思います。それは新年度に限らずいつの時期にも必要なことと言えるでしょう。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

精神科医・法政大学現代福祉学部教授・博士(医学)

法政大学現代福祉学部教授・初台クリニック医師。前関東中央病院精神科部長。日本精神神経学会精神科専門医・指導医、日本精神分析学会認定精神療法医・スーパーバイザー。児童青年精神医学、精神分析的発達心理学を専門としている。児童思春期の精神科医療に長年従事しており、精神分析的精神療法、親ガイダンス、などを行っている。著書『不登校、うつ状態、発達障害 思春期に心が折れた時親がすべきこと』(中公新書ラクレ)

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