【落合博満の視点vol.54】発想の転換——無死三塁で「最低でも犠牲フライ」を打つには
中日の監督に就任した時、落合博満は選手たちにこう問いかけた。
「1回表の無死満塁で打席に立ったら、何を考えるか」
選手から「最低でも犠牲フライになるボールを待つ」や「三振だけは絶対に避ける」という答えが出る中、落合は自身の考えを述べた。
「ショートゴロかセカンドゴロでゲッツーになってくれればいい」
なぜなら、三塁走者が還って先制の1点が入り、それを先発投手が守り抜けば勝ち星を得られるからだ。無死満塁でヒットを打てれば最高だが、併殺打でも先制点を取ったほうが勝利に近づく。それが、自身の目指す野球だと説明したのだ。
福岡ソフトバンクと対戦した2011年の日本シリーズは、中日の2勝1敗で第4戦を迎える。1対2とリードされていた6回裏のことだ。先頭の森野将彦が左前安打を放ち、トニー・ブランコの二塁打で無死二、三塁にすると、五番の和田一浩は相手投手の投球をよく見極めて四球で歩き、無死満塁とチャンスを広げる。
だが、一塁側ベンチの落合監督は、思わず「参ったな」と感じたという。それはなぜか。無死二、三塁になった時点で、福岡ソフトバンクは同点に追いつかれる覚悟を決めた。内野手に前進守備をさせず、定位置のままだったからだ。こういうケースで落合は、相手の思惑通りに内野ゴロを打ち、まず同点にしておこうと考える。さらに一死三塁となり、逆転は許すまいと福岡ソフトバンクの内野陣が前進守備に切り替えれば、今度はゴロが内野手の間を抜ける確率も高くなるし、何よりバッテリーにかかる重圧はさらに大きくなる。
その考えを現実にするには、和田はうってつけだった。通算2050安打をマークした一流の打者ではあるが、ボール球に手を出して内野ゴロを打たされてしまうという弱点もあった。だが、この場面ではその弱点を突かれても同点になるし、スタンドの期待に応える快打を放てば逆転できる。そういう意味で、これ以上のチャンスはなかった。
それなのに、和田はこの場面に限って、普段はバットを出しているボールもよく見極め、四球を選んだ。和田の働きは間違っていないものの、チームを勝利に近づけるのなら、いつも通り内野ゴロに打ち取られてくれればいいのに……。しかも、無死満塁というのは動き辛く、結果的に無得点というケースも少なくない。それが「参ったな」の意味であり、落合監督が懸念した通り、次打者から三人が打ち取られて同点にはできなかった。
自分が凡打してしまうボールを狙うという発想
また、現役時代の落合は「無死か一死で走者が三塁にいれば、簡単に犠牲フライを打ち上げる」と言われ、実際に犠飛を打つ技術について聞かれることも少なくない。その際、質問してきた打者のタイプを把握した上でアドバイスはするのだが、ユニークな発想も伝えることがある。
「私を含めてどんな打者でも、すべてのストライクを確実に打ち返せるわけではない。自分では好きなコースだと思っていても、データを取ってみると凡打が多いことに気づかされることもある。それに、スイングには必ず個性があるから、どうしてもフライになってしまったり、詰まったゴロになってしまうコースもあるはずなんだ。ならば、同点の9回裏無死か一死でランナーが三塁にいる場面で打席に立ったら、フライになってしまうボールにあえて手を出せばいいんじゃないか。一死一、三塁でどうしても1点がほしいなら、詰まってしまうコースを打ちにいき、ボテボテの内野ゴロで三塁ランナーを還す手もあるだろう」
打者ならば、1本でも多くのヒットを打とうと練習に励む。だが、どんなに努力しても100%ヒットを打てる技術を身につけることはできないし、仮にできたとしても、打球が飛んだ先に野手がいればアウトになる。そうして、プロの世界で打率は4割にさえ届かない。ならば、1本でも多くヒットを打とうと技術向上に取り組むのと並行して、ヒットでなくても得点を奪い、勝利に近づく方法を広げていくのが落合の考え方なのだ。
そのために不可欠なのが発想の転換である。「得点を奪うにはヒットを打つ」から「ヒットがなくても得点を奪う」へ。発想の転換によって感性を豊かにすれば、あえて苦手なボールを打って得点につなげるなど、成功への道筋は増えていくはずだ。