SUPER☆GiRLSを卒業する渡邉幸愛 「いま良かったと思えるのが15年のアイドル活動の答えです」
SUPER☆GiRLSのリーダー・渡邉幸愛が6月で卒業する。グループ加入から7年、地元・仙台でアイドル活動を始めてからは15年。3年前に一度決めた卒業を後輩のために撤回したが、ついに完走を迎える。最後になるシングル『はじまりエール』の発売を機に振り返ってもらうと、紆余曲折ありつつ「やり残したことはありません」と晴れ晴れとした笑顔で語ってくれた。
MVを撮り終えて「最後だったんだな」と
――卒業ライブまで2ヵ月足らずとなりましたが、まだしんみりする感じではないですかね?
渡邉 全然ないです。でも、発表してから早かったなと思います。「あと半年」だったのが、あっという間に過ぎました。
――卒業シングル『はじまりエール』のレコーディングやMV撮影で、「これが最後」みたいな感慨はありました?
渡邉 MV撮影の最後は泣きました。曲をデモの段階から選ばせていただいて、MVも理想をいっぱい叶えてもらえて、撮影自体は楽しかったんです。でも、終わって花束をいただいたとき、いままで何度も撮ってきたMVも「これが最後だったんだな……」と実感して、ウルッときました。
――曲はあえて明るく楽しい感じのものを選んだのですか?
渡邉 しんみりさせるのがイヤだったんです。アイドルの卒業ソングは世の中にいっぱいありますけど、私は寂しさより、次の夢へキラキラしているような曲がいいなと思いました。
――MVで要望したことは、幸愛さんと入れ替わりだった初代リーダー・八坂沙織さんの卒業ソング『空色のキセキ』とのリンクとか?
渡邉 はい。最後に私がサプライズで歩いて入ってきたので、今度は出て行く姿を残したくて。未来に踏み出して、光のほうへ歩いていくシーンで終らせたかったんです。あと、歴代の衣装をMVの中に残したいというリクエストもさせていただいて、私が加入した『花道!!ア~ンビシャス』の衣装を眺めるシーンから始まりました。
――最後のレコーディングはどんな感じでした?
渡邉 カップリングの『Bloom』が後だったので、自分で作詞させていただいた曲を最後に歌わせてもらう幸せを噛みしめました。でも、「ここはこうしたい」という想いが出すぎて、最後っぽくはならなくて。まったくしんみりせず、「ああ良かった」という達成感が強かった気がします。
――『Bloom』の作曲はメンバーの坂林佳奈さん。
渡邉 昨年の4月ごろ、スパガ(SUPER☆GiRLS)が結成10周年ということで、私とかなぽん(坂林)に「曲を作ってみない?」とお話をいただきました。詞を書いたことはなかったんですけど、興味はあったので「やってみたいです」と言って、メンバーへの感謝の気持ちを書きました。結構直して大変でしたけど、やっと1曲できて、ありがたい経験でした。
15年続けたものを手離すのは勇気が要りました
――もともと2年半ほど前に一度卒業を決めたのを、他の同期や先輩たちも卒業することになって、「3期メンバーだけを残して行けない」と撤回した経緯がありました。その時点で「あと2~3年」くらいの想定だったんですか?
渡邉 第4章が始まった時点では、いつまでとかはまったく決めていませんでした。自分の中で「長くはないかな」という気持ちはありましたけど、今のメンバーで日本武道館に立つ目標を叶えたい想いのほうが強くて。そこに向けて、みんなで頑張っていた2年半で、4期が本当に成長しているのがわかったんです。3期の(阿部)夢梨と(長尾)しおりもどんどん大人になって、次の世代で新しい形のグループとしてやっていけると、希望を持てました。それで、もう任せてみようと、卒業を決めました。
――一方で、「決断するには長い時間がかかりました」とのコメントもありました。
渡邉 私自身、アイドルという職業にすごく誇りを持っているし、大好きなんです。一度は辞める決断をしたものの、取り消して活動していた中で「やっぱり続けて良かった」と思う瞬間もすごく多くて。自分がそこまで慣れ親しんできたものを手離すには、めちゃめちゃ勇気が要りました。
――小3から15年もやってきたことですもんね。
渡邉 すごく長くやってきたので、自分がアイドルから離れることが想像つかなくて、悩みました。いまもまだ、あまり想像はしていません。
やり残したことは「ない」と言えます
――『はじまりエール』で<ゴールを切った>と歌っているように、アイドルとしてやり切った感もあるのでは?
渡邉 めちゃくちゃあります。「やり残したことはある?」と聞かれたら、正直「ない」と言えるくらい、自分のやりたかったこと、楽しかったことが真っ先に浮かぶのが、やり切った証拠だと思います。
――スパガ時代だと、どんなことが思い浮かびますか?
渡邉 2期メンバーとして加入して、最初は悩んだりもしましたけど、認めてくれる方が増えて、やり甲斐を感じました。それから、出会いもいっぱいあって。メンバーはもちろん、スタッフさんも7年いれば結構入れ替わった中で、どの方もすごくグループへの愛を持って接してくださいました。ファンの皆さんも、17歳とかの子が普通に生活していたら、30代や40代の方と出会うことなんて、なかなかないじゃないですか。そんな方たちと話したり、同じ時間を共有できたのは、本当に素晴らしいことでした。当時はそこまで考えてなかったんですけど、いま振り返ると、そう思います。
最初は「来なきゃ良かった」と思いました
――スパガ加入当初は、しんどかったそうですね。
渡邉 そうですね。宮城から上京して環境に慣れなくて、東京には頼れる人もいなかったし、学校も通信制で友だちも少なくて。息抜きでどこかに出掛けようともせず、お金もなかったので、近所のスーパーのパン屋さんで一番腹持ちしそうなフランスパンを買って、3日に分けて食べたりしていました(笑)。
――初参加の『花道!!ア~ンビシャス』から良いポジションで、大きな期待を掛けられていました。
渡邉 プレッシャーがあって、ファンの方から認めてもらえない部分も多くて、グループ内でも勝手にアウェイ感を持っていました。大好きだったアイドル活動に、楽しさを感じられなくなってしまって、「来なきゃ良かった」と思ったときもありました。
――それがまた楽しさに転じたきっかけは?
渡邉 遠征が大きかったかもしれません。全国ツアーをしたり、ハワイにも行かせてもらって。その中で少しずつ交流を深めていったら、すごく楽しくなって、「やっぱりアイドルが好きだな」と思いました。あの頃の自分には「自信を持ってやりなさい」と言ってあげたいです。プレッシャーに負けてしまうメンタルだったので、最初から自分らしくやれていたら、もっとできていたんじゃないかと思うこともあります。
王道を貫いたことが強みになりました
――15年もやっていると、アイドルのあり方や取り巻く環境も大きく変わりましたよね?
渡邉 そうですね。私がスパガに入った頃(2014年)はアイドル文化が定着していて、どちらかというと、ブームの全盛期からは少し下がったくらいでした。自分も地元でアイドルをやっていた中で、2010年から2012年くらいが一番盛り上がっていた気がします。
――そうした変化をどんな形で感じたんですか?
渡邉 たとえば全盛期の頃は、テレビで女性アイドル特集みたいな番組が当たり前のようにあって、アイドルがすごくメディアに出ていた印象があります。そこから少しずつブームが下がっていく中で、逆にアイドルの数はどんどん増えて、ファンの方もいろいろな方面に分散して。それで、おととしくらいには解散が多くなりました。一緒に戦ってきた仲間がどんどん減っていくのは、寂しかったです。
――そんな中で、スパガは王道アイドル路線を貫きました。
渡邉 「王道って何?」みたいなところで、悩んだりもしました。変化球のアイドルが増えた時期があって。
――“空の旅”とか“魔法学院”とか、いろいろなコンセプトが出ましたね。
渡邉 そういうわかりやすいコンセプトがあるグループが、羨ましいときもありました。取材とかで「スパガにしかない強みは何ですか?」と聞かれるんです。自分たちは“王道”に自信を持ってやっていましたけど、幅が広い言葉だからブレ気味になることもあって。それでも貫いてきたから、今は王道グループが多くない中で、私たちの強みになったかなと思います。
――王道路線は幸愛さん自身が目指していたアイドル像でもあったんですか?
渡邉 「こういうふうになりたい」みたいのは正直なかったです。もともと「モデルさんになりたい」「テレビに出たい」という気持ちで地元の事務所に入って、レッスンを受けるうちに「アイドルっていいな」と思うようになったので。だから、自分が理想のアイドルになれたのかはわかりませんけど、いろいろなグループがいる中で「スパガでやってきて良かった」と感じています。終わり良ければすべて良しで、いまのこの気持ちが答えなのかなと。
放課後デートはしてみたかったです(笑)
――スパガに入って最初の頃以外は、そんなに苦しいことはありませんでした?
渡邉 第2章、3章の頃は、自分がもっと目立ちたい、前に立ちたいという想いが強かったので、歌割りがあまりもらえないと悔しかったりしました。3章でそういう曲が結構あって、泣くまではしなくても「もっと歌いたいのに!」と思ってはいました。
――グループ内でも他のグループでも、ライバルだと思っていた人はいましたか?
渡邉 ライバルという言い方が正しいのかわかりませんけど、私がスパガに加入したときは、あみたさん(前島亜美)がセンターポジションにいて、大事なオチサビは(溝手)るかちゃんが歌って、2人がグループの柱というイメージがありました。そこに自分が良いポジションで歌割りをもらったとき、プレッシャーを感じながら「負けたくない」という想いがあったので、心のどこかでライバルだと思っていたんでしょうね。今だと、「昔のほうが良かった」とは言われたくないプライドはあって、ライバルは昔のスパガや自分自身だと思います。
――アイドルとして「やり切った」とのことでしたが、あえて心残りを挙げるとすると?
渡邉 やっぱり日本武道館には立ちたかったですね。アイドルとして、憧れの最終地点なので。あと、野外でスパガ主催のフェスをやりたかったです。昔は何度かやっていたんですけど、私が入る前で、映像でしか観られてなくて。野外フェスはすごく楽しいイメージがあって、雨が降っても伝説っぽいじゃないですか。そういう開放感のあるライブを一度はしたかった、というのはあります。
――アイドルをやっていて息苦しさは感じませんでした? 恋愛のこととか……。
渡邉 それは全アイドルが思うことですよね(笑)。スクールラブは二度と戻ってこないじゃないですか。そこだけはちょっと、やりたかったです(笑)。
――制服デートとか?
渡邉 放課後デートがしたかったです。仙台に「光のページェント」という夜のイルミネーションがあって、みんなそこでデートしていたので。私は友だちと行きましたけど、制服のカップルが羨ましかったですね。彼氏からのプレゼントみたいなストラップをカバンに付けた子とか、「いいなー」と思って。自分と同じ学校の制服の子がいると、「相手はどこ高?」みたいな感じで見ていました(笑)。
昔の自分はガムシャラでかわいかったなと(笑)
――3月の生誕祭のソロライブでは、『セツナソラ』などParty Rockets時代の曲も歌いました。あの頃を振り返ると、どんなことを思い出しますか?
渡邉 中3から高1までやっていたのかな? 最近もたまに『セツナソラ』とかのMVを観ることがあって、ダンスひとつでもすっごい張り切っていて、「かわいいな」と思います(笑)。いまだとちょっと力を抜くカッコ良さもありますけど、そういうことを知らなくてガムシャラだった自分がガンガン踊っているのが、一生懸命でいいなと。
――『セツナソラ』は名曲ですよね。
渡邉 本当に素敵な曲で、また歌えて良かったです。
――その後を描いてもらったという新曲『ハルカソラ』も披露しました。
渡邉 歌詞がリンクしている部分があります。<そしてみんな大人になるのかな>というところがあったのが、大人になって、<きれいに見えてたものが今はちょっと違って見える>とか、『セツナソラ』のその先が描かれているので、いまの自分の気持ちともリンクします。他のメンバーがどう思っているのか考えたり、すごく感慨深い曲です。せっかくなので、自主制作かYouTubeか、どこかで出したくて。二度と世に出なかったら、もったいないと思うので。
リーダーにならなかったら気づけなかったことも
――スパガの最後の2年半は、リーダーとしても全うできましたか?
渡邉 私はあまり引っ張るタイプではなかったかもしれません。みんなにキツく注意してあげられなくて、そこは逃げてしまった部分ですけど、自分なりにはできたかなと思います。
――最初に出たように、後輩を育てましたよね?
渡邉 自分が育てた感じはまったくなくて、むしろ自分がリーダーとして育ててもらったと思います。夢梨とか、4期の(最年長の)ゆうきりん(金澤有希)にいっぱい支えてもらって、後輩たちも育ってくれて。自分もメンタル面で成長できたので、良い関係だったと思います。
――メンタルがどう成長できたと?
渡邉 リーダーをやらずに卒業していたら、たぶん気づけなかったことがありました。すごく初歩的なことですけど、“人にやさしく”とか。同じことを言っても、言い方や伝え方次第で受け取り方が変わることも、人としての学びになりました。
――リーダーとして心掛けていたことはありますか?
渡邉 中立でいよう、という。私が加入したとき、先輩となかなか話をできなかったので、後輩には何でも言ってもらえるようにしたくて。できるだけ近くで寄り添いつつ、全員とちょっとだけ距離を置いていました。
――4期が入ってきたときの合宿では、先行きの不安から口内炎がたくさんできたとか。
渡邉 ありましたね。自分が弱音を吐いたらグループが折れちゃうと思って、メンバーやスタッフさんの前では、前向きな言葉を言うようにしてましたけど、実は口内炎だらけでした(笑)。
――でも、表には出さなかったと。
渡邉 出したくなかったです。負けず嫌いなこともあって、たとえば卒業したるかちゃんや浅川(梨奈)に「最近どう?」と聞かれると、「楽しくやってるよ」とか言ってました。先輩たちには弱音を吐いても良かったのかもしれませんけど、言っちゃうと自分のメンタルがたぶん崩れて、モチベーションが落ちてしまいそうだったので。
生まれ変わってもまたアイドルになります
――幸愛さんのアイドル人生は本当に幸せな形で幕を閉じそうですが、卒業ライブでの希望はありますか?
渡邉 同じタイミングで卒業する(松本)愛花のやりたいことも入れて、私も自分が歌わせてほしい曲はありますね。プラス、衣装はまだ決まっていませんけど、アイドル卒業ライブあるあるでドレスをよく着るじゃないですか。そこは憧れがあるので、着られたらいいなと思っています。
――幸愛さんが15年打ち込んできたアイドルって、何だったんでしょうね?
渡邉 私にとっては、アイドルは人生そのものです。当たり前にやっていたことなので、ずっと名字くらいの感覚でいました。
――アイドルをやってなかったら、どうしていたでしょう?
渡邉 想像つかないですね。きっとそれなりに、やりたいことを叶えようと頑張っていたと思いますけど。でも、たぶん生まれ変わっても、もう1回アイドルをやると思います。
――3ヵ月後には、アイドルでない第二の人生が始まっています。
渡邉 アイドルでない自分は、正直全然イメージできません。でも、それはそれでワクワクします。もちろん不安はあるし、自分がやってきたことが一度ゼロになると思うと、怖さもあります。羽ばたいてみて、1人でどれだけやっていけるのか。ただ、人には常に恵まれてきたので、またいろいろな人と出会って、新しい人生を歩いていけたらいいなと思います。
デビュー10周年のSUPER☆GiRLS。王道を突き進んだ強み
SUPER☆GiRLS・渡邉幸愛、卒業撤回からリーダーに就いた1年の想い
Profile
渡邉幸愛(わたなべ・こうめ)
1998年3月17日生まれ、宮城県出身。
小学3年生からの地元での活動を経て、2014年2月にSUPER☆GiRLSに2期生として加入。2019年1月からの“第4章”でリーダーを務める。2018年11月にファースト写真集『koume』を発売。女優として、ドラマから映画に展開した『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』などに出演。SUPER☆GiRLSの26thシングル『はじまりエール』が4月21日に発売。6月12日にZeppDiverCityで結成11周年記念の卒業ライブを開催。
『はじまりエール』
4月21日発売