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情報公開・・・政治・政策リテラシー講座3

鈴木崇弘政策研究アーティスト、PHP総研特任フェロー

日本は、国民に主権がある民主主義の政治制度を取り入れている国です。民主主義は、人民(国民、市民あるいは有権者)が中心になって社会を運営していく仕組みです。それは、直接民主主義だろうが、代表民主制(間接民主制)だろうが同じです。因みに、日本は代表民主制を採用しています。

この民主主義においては、人民・国民が最終的には、国の政治や政策をチェックし判断し、国や社会の方向性を決めることになっています。それを別のいい方で表現すると、国民がそのような役割を的確に果たせない限り、国や社会がうまく機能しないということです。日本も、その民主主義の制度に基づいてつくられた国・社会です。正確には、そのような理念に基づいて造られたはずの国・社会です。

そして人民・国民が、その役割を果たせるには、十分に情報を与えられている市民(well-informed citizens)でなければならないわけです。そのような市民であるためには、情報がキチンと公開されていることが非常に重要です。その意味では、情報公開こそが、民主主義において最も重要な要素であるということもできます。

日本でも、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律(いわゆる情報公開法)」という法律があります。それは、1995年5月に制定、2001年4月に施行された法律です。これにより、行政情報の公開は進展しました。

しかしながら、行政は、基本的に情報公開をしたがらないという傾向があるために、行政の情報公開に根本的に大きな変化があったとはいえません。また公開された情報も、それへのアクセスや使い勝手が必ずしも良いものにまだまだなっていないというのが現状です。さらに行政ではない、立法府である国会には、情報公開に関する法制度自体が存在していないのが現状です。

このような行政や立法に関する情報は、税金によって収集、作成されたものですから、本来は納税者・国民のもののはずですし、彼らに公開されていなければならないもののはずです。しかし、現実は必ずしもそうなっていないのです。

要は、日本は、民主主義の国・社会であるといいながら、実はその核心的な要素ではずの情報公開を前提にして、政治や政策形成をしていくような環境が必ずしもつくられてきていないのです。

特定秘密保護法案が国会で審議されたときには、日本では国会の内外で多くの議論や批判がなされましたが、このような前提を基に議論が必ずしもなされていなかったのではないかというように感じられます。別言すると、日本では必ずしも十分な情報公開がなされていない状況であるのに、情報管理の法整備がなされてしまったように思います。 

つまり、必ずしも現実にはそうならなかったのですが、本来は、まずは日本における情報公開が制度的にもまた実態的にも的確になされていて、その環境のなかで、その原則を守りながら、国の利益を確保していくために、情報管理をどうするかという議論がなされるべきだったのです。

民主主義を守り、育てていくためにも、日本における「情報公開」の問題を今一度、基本から考え直してみる必要がありそうです。

政策研究アーティスト、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。新医療領域実装研究会理事等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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