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愛子さま21歳のお誕生日 雅子さまご出産エピソードを主治医が語る「医者冥利につきる感無量の想い」

つげのり子放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)
雅子さまと愛子さま(写真:ロイター/アフロ)

去年12月に成年を迎えられてから1年。愛子さまは21歳になり、大人の階段をまた一段登られた。お誕生日に際して公開された映像には、成年の記者会見時よりも落ち着いて、さらに品格と知性が漂っていらっしゃったように感じられた。

そんな愛子さまのご誕生には、日本中が大きな喜びに包まれただけでなく、出産に画期的な医療上の進歩を促し、より多くの赤ちゃんの命をつなぐことに貢献していたということをご存じだろうか。

その詳細を伺うべく、当時、雅子さまご出産の主治医を務めていた、山王病院名誉病院長の堤治(つつみ おさむ)氏にインタビューした。

◆医療革新につながった皇室のご出産

上皇后美智子さまの徳仁親王(今上天皇)をご懐妊の折、皇室初の病院出産が計画され、皇居内の宮内庁病院で出産された。今ではごく普通のことであるが、当時は助産師さんが自宅を訪れて出産を補助するというのがほとんどであった。陛下が生まれた昭和35年は、助産師による自宅分娩が半分以上、病院出産は17%程度だったという。

しかし、美智子さまのご出産を機に病院での出産を希望する妊婦が増加し、同時に新生児死亡率も劇的に改善している。確かに出産の際、不測の事態に陥っても病院には医師が待機し、迅速に適切な処置を講じることができることは、大きなメリットだ。

この点について堤氏は…

「美智子さまが病院で出産されたのは、とても画期的な出来事でした。お世継ぎとなるかもしれないお子様のご出産ですから、万難を期して安全確実な体制で臨まなければなりません。そうした意味で病院でのご出産は、賢明な選択と言えました。徳仁親王が美智子さまに抱かれて、宮内庁病院を退院される姿は国民の目に焼き付きました。まさに徳仁親王のご誕生は、日本の分娩習慣の大きな転換点であり、多くの妊婦の方たちに病院での出産を定着させたと言うことができます」

そして美智子さまは、ご出産と同時に皇族として初めて「母子手帳」の交付も受けられた。実は雅子さまも愛子さまをご出産の折、「母子手帳」の交付を受けられているが、堤氏はその中のあるページを見た時、涙が出るほど感激したという。

◆妊娠中も深い愛情を抱かれていた雅子さまと陛下

それは、「妊娠中と産後の体重変化の記録」のページ。

普通の人は健診に行ったときに付ける程度なのだが、雅子さまは毎日、付けていらっしゃった。毎日の体重は点で表され、それを結ぶと詳しい変化の線グラフとなる。

「雅子さまは、毎日、生まれてくる愛子さまのことを思って付けていらっしゃったのだと思うと、赤ちゃんへの思いの深さを感じましたね。毎日付けていたとしても、食事をする前とした後では体重に変動があるので、でこぼこになるのですが、それもなくきれいな線になっていたので、同じ時間に付けられていたのだと推察でき、真面目なお人柄と愛子さまへの愛がにじんでいました」

「母子手帳」の几帳面な記録ばかりではなく、陛下もまた、雅子さまの定期健診の折には、スケジュールをできるだけ調整され、ほぼ毎回一緒に来られたという。

当時、公務に多忙な陛下が妊婦健診に同行されるのはいかがなものかと週刊誌に批判的な記事も出たが、陛下はそれを意に介さずに雅子さまに寄り添い続けられたのである。

こうした陛下の姿勢にも、堤氏はおおいに共感したという。

「妊婦健診は女性だけのものではなく、ご夫婦で受けるものだという価値観を、陛下が身を持って示されたのです。妊娠・出産・育児は女性の役割ではなく、夫婦で行うことであると、自ら示してくださいました。陛下が国民を導いてくださったと言っても過言ではありません」

こうした陛下の姿勢が世の中の定番となり、今では、夫婦で子どもを育てることが当たり前になった。現在、ほとんどの夫が相当な回数を妊婦健診に同行している。

生まれて間もない愛子さまと母となった雅子さま(写真:ロイター/アフロ)
生まれて間もない愛子さまと母となった雅子さま(写真:ロイター/アフロ)

◆雅子さまご出産時に導入され、今では出産の常識となった装置

愛子さまを胎内に宿されていた時期、不測の事態に対応するためインターネット回線による、「遠隔分娩監視装置」が導入された。それは小さなセンサーをお腹に装着し、定期的に胎児の心拍数や子宮の収縮を測るものである。

「当時はまだ実証実験段階でしたが、雅子さまが率先して使用して頂いたおかげで、今では医師のスマホに直接データが来るように進化し、急速に普及しています。特に病院から遠い遠隔地や離島の妊婦の方たちにおおいに活用されています。これもまた皇室のご出産によってもたらされた医療の革新であり、恩恵と言えるのではないでしょうか」

と答えてくれた堤氏。

最先端の医療装置を使って万全の体制でご出産に臨み、無事、愛子さまがお生まれになった直後のことは、とても印象深く記憶に残っているという。

「陛下にお子様ご誕生の報告をすると、普通ならすぐに赤ちゃんの顔を見に行きたいものですが、陛下は姿勢を正して、『先生が教えてくれたとおりに物事が進み、安心して出産の日を迎えることができました。先生にお願いして本当に良かった』とおっしゃってくださいました。医者冥利につきる感無量の想いでしたね」

皇室の出産という重責を感じてきた堤氏にとって、陛下のお言葉はなによりの労いとなったことだろう。

         堤治医師(本人提供)
         堤治医師(本人提供)

退院された際、乗られた車には陛下と雅子さまの間にチャイルドシートが設置されていた。徳仁親王が誕生された際は、ご退院時に赤ちゃんのお顔がよく見えるよう美智子さまが抱いていらっしゃったが、愛子さまの時には、前年の道路交通法改正に伴い、チャイルドシートの使用が義務付けられていた。

そのため、チャイルドシートですやすやと眠っていた愛子さまのお姿は垣間見えるだけであったが、それは法令を遵守される両陛下の姿勢を表していたとも言えるだろう。この年以降、チャイルドシードの使用率が上昇したのも、両陛下がいち早く国民にお手本を示されたからかもしれない。

21年前、愛子さまのご誕生は、国民にとっても大きな幸せを運んできたのだ。

放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)

2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。西武文理大学非常勤講師。日本放送作家協会、日本脚本家連盟、日本メディア学会会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)などがある。

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