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大谷翔平もやっちゃったベース踏み忘れ事件簿

横尾弘一野球ジャーナリスト
今季24号本塁打を放った大谷翔平は、一塁ベースを踏みに戻った。(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 福岡ソフトバンクから埼玉西武へ移籍し、7月9日の北海道日本ハム戦に七番ファーストでスタメン出場した野村大樹は、第2打席でセンター右へ会心の当たりを放つ。だが、颯爽と二塁まで到達した直後、北海道日本ハム側からのアピールで、一塁ベースを空過したとしてアウトを宣告される。埼玉西武の渡辺久信監督代行はリプレイ検証を求めたが、判定は変わらず。せっかくの移籍後初安打は、ピッチャーゴロと記録されてしまった。

「プロなのだから、ベースを踏み忘れるなんてあり得ない」

 ファンはそう思うはずだが、プロでも意外にあるものなのだ。

 長く語り継がれているのは、ルーキー・長嶋茂雄の事件だ。巨人へ入団した1958年、長嶋は打線の中心で目立つ活躍を見せていた。9月19日の広島戦でも、5回裏二死から左中間スタンドに一発を叩き込み、小躍りしながらダイヤモンドを一周した。ところが、広島からのアピールで一塁ベースを踏まなかったと判定され、アウトになってしまう。この年の長嶋は打率.305、29本塁打92打点で本塁打と打点の二冠王に輝き、37盗塁もマークした。この時に一塁ベースを踏んでいれば30本塁打となり、新人でトリプルスリーという大偉業を達成するところだった。いや、実際には達成していたのに……である。

 また、2017年シーズン途中でオリックスへ入団したクリス・マレーロは、初出場した6月9日の中日戦で5回裏無死一塁から左中間に逆転2ラン本塁打を放つ。そして、一塁、二塁、三塁ベースはしっかり踏んだのだが、なぜかホームは跨いでしまう。これを中日の松井雅人捕手に見られてアピールされ、同点三塁打となってしまった。

一塁走者の空過で幻の本塁打になった悲劇

 本塁打を放った本人はしっかりベースを踏んだのに、という不幸な事件は2006年に起きた。6月11日の千葉ロッテ戦、巨人の李承燁は二死一塁から豪快な2ランアーチを描いた。すると、千葉ロッテの三塁手・今江敏晃(現・東北楽天監督)が、一塁走者の小関竜也が三塁ベースを踏まなかったとアピール。三塁塁審もこれを認めた。二死だったため、小関のアウトで攻撃終了となり、李には単打が記録される。他の選手のベース空過で本塁打が取り消されたのは史上初だったが、小関は「踏んだ」と主張したし、球団も「踏んだ(ように見える)映像がある」として猛抗議。こうした事件を契機に、ビデオ判定導入の議論が進められるようになる。

 このように、ベースの空過は本塁打が取り消されたものが象徴的だが、プロでもついやってしまうのが帰塁の際の空過である。例えば、一塁走者が大きな外野フライの間に二塁を蹴って三塁へ向かい、その打球を外野手がキャッチしたために一塁へ戻ろうとする時、二塁ベースを踏まないというものだ。

 3月20日にソウルで行なわれたサンディエゴ・パドレス戦で、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平は、8回表一死一、二塁からレフトへ5点目のタイムリー安打。続くフレディ・フリーマンがライトへ打ち返すと、一塁走者の大谷は二塁ベースを回ったが、打球がダイレクトでキャッチされる。大谷は一塁へ戻るも、この時に二塁ベースを踏まず、走塁死が記録された。

 大谷はクレバーなプレーに定評があるだけに、開幕戦でかなり高揚していたのではないかと伝えられたシーンだ。また、6月25日のシカゴ・ホワイトソックス戦では1回表に先頭打者アーチを放った時、二塁へ向かう途中で気づいたように一塁へ戻り、しっかりとベースを踏み直す姿が見られた。プロ選手に聞けば、何かに躓いたり、いつもと違う歩幅でベースに近づいた時は、しっかりベースを踏もうと意識するけれど……ということだ。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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