「10年後の春」を目指して。東北復興の希望、陸前高田の「奇跡の一本松球場」
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、野球、いやスポーツ界も逆風にさらされている。東京五輪の延期はもとより、プロスポーツも試合開催が凍結されている。プロ野球も延期された開幕のめども立たないまま休止を余儀なくされている。
そんな中、止まない雨はないと復興に向けて着々と歩を進めているプレーの場がある。東京五輪がその開催意義のひとつとして挙げた2011年東日本大震災からの復興の中心地と言っていい陸前高田である。この町は、あの地震による津波の被害を最も大きく受けたところで、町ごと波にさらわれたと言っていいほどの惨状となった。私事になるが、学生時代の30数年前、ここを訪ねたことがある。JRのローカル線の駅から暗い中を延々歩いて海辺にあるユースホステルにたどり着き、一夜を過ごしただけなのだが、あの津波の中、流されず立ち続けた「奇跡の一本松」はそのユースホステル前にあったものだ。震災のモニュメントとすべく、一本松と破壊されたユースホステルは現在も震災後に建設された防潮堤の内側に残されている。
震災後、政府は町に面した広田湾に沿って防潮堤を建設するとともに、高田の町を復興すべく、壮大な工事を行った。再び襲ってくるかもしれない津波に備えて町全体を大量の土砂でかさ上げし、新たな町を建設するのだ。工事は今なお進んでいる。
そのかさ上げされた新しい陸前高田の町には、流されてしまった線路の代わりに走ることになったバスの「駅」(JRの駅を再現している)の周囲にショッピングセンター、商店街、市役所などが建っているのだが、いまだ町特有の血の通った人間臭さを感じることが難しい。建物すべてが新しいこともあるが、多くの住民が返ってこず、空き地が延々と広がっているからだ。あれから9年。いまだ復興は道半ばだ。
その町の中心から2キロほど離れた「一本松」へ下っていく道の途中に建設されているのが、この町の新球場だ。実はこの町には以前にも野球場があったのだが、初めてのプロ野球の試合としてイースタンリーグの試合が組み込まれたその年にあの震災が起こり球場ごと津波にのまれたのだ。現在工事は進み、スタンドはほぼ完成、フィールドもほぼ出来上がっている。正式な開場は来年3月が予定されている。市としては、こけら落としにプロ野球の二軍戦を誘致したいとの意向だ。
陸前高田のある岩手県は、いまや野球選手の名産地と言っていい。かつて「みちのく」と呼ばれた東北地方は名馬の産地として都でその名を馳せたが、現在も野球選手という「名馬」を生んでいる。同時期に菊池雄星(マリナーズ)、大谷翔平(エンゼルス)というメジャーリーガーを2人も輩出しているのだから、野球人気のほどがうかがい知れる。そういう県にあって陸前高田はとくに野球が盛んなところであるという。
「でもね、少年野球はすごく強いんだけど、そのあとはどんどん弱くなっちゃうの。他所にとられちゃうからね」
と地元民が嘆く中、希望の星となったのがいわずもがな佐々木朗希(千葉ロッテ)である。地元の仲間と甲子園を目指したいと地元の公立高校、大船渡高校に進学した彼は、たぐいまれなる速球で一躍高校野球界のスターにのし上がった。その後のことについては言う必要はないだろう。
佐々木が生まれたのは、実は大船渡ではなく、陸前高田である。佐々木は、9歳の小学4年の時、あの津波に遭い父を失っている。震災後、ひと山越えた大船渡に移住し、高校卒業までを過ごしたのだ。昨年は、甲子園前の県大会時には、両市の町中で佐々木の登板の可否をめぐる論争が巻き起こり、ドラフト前には、過疎化に悩む三陸海岸に多くのメディア関係者が押し寄せたという。震災後人口流出に悩まされている三陸にとって、佐々木は希望の象徴なのである。そして、第2の佐々木を育てるべく町の少年野球の灯を消さないためにも新球場の建設は「野球の町高田」にとっての悲願でもある。
ロッテ球団は、佐々木という逸材を焦ることなくじっくり育てる方針だという。キャンプでの評判を聞く分には今シーズン中の一軍登板もありそうだが、やはり「100年にひとりの逸材」の扱いには慎重にならざるを得ない。となれば、来年のこけら落としの際に、彼がまだファームにいる可能性は決して低くない。
復興を目指す町の新球場のマウンドにその町で生まれた未来の大投手が立つ姿は、復興シンボルとしてこれ以上のものはない。地元の人々に大きな希望を与えることであろう。
新球場の名は、「奇跡の一本松球場」。スポーツ交流パートナーシップ協定を結ぶ楽天イーグルスの名が冠せられるが、おそらく来年ここで二軍戦を行うであろう楽天球団も地元ファンが何を求めているかは十分に理解しているだろう。あの震災から10年目の2021年、復興のシンボルとして「令和の怪物」がマウンドに立つことがあれば、ぜひともその雄姿とスタンドの人々の顔を目に焼き付けるため、足を運びたいものだ。
(写真はすべて筆者撮影)