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【河内長野市】だんじり前の秋祭り前夜祭!西代神楽は、吉宗の改革を支えた殿様の徳を偲ぶ三百年の伝統芸能

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

3年ぶりの秋祭りでにぎわう河内長野。先月行われただんじり試験曳きも無事に終わり、今日8日と明日9日がいよいよだんじり秋祭りの本番です。

今日と明日の2日間の河内長野市内は、バスを含めた市内の交通がいつもとは違う様相になりそうです。またお店も特別体制を敷いているところが多いですね。

さて西代神社では、昨夜、大阪府河内長野市指定無形重要文化財の西代神楽が、3年ぶりに行われました。

2022年1月撮影
2022年1月撮影

西代神社について軽くおさらいすると、河内長野市の旧長野町地域にかつて西代村がありました。その場所(現:河内長野市西代町)に鎮座しているのが、この西代神社(にしんだいじんじゃ)です。

西代神社の明確な創建は不詳。ただし南北朝時代には、すでに楠木氏ら南朝側の武将から崇敬されていた記録があるそうで、少なくとも中世以前に存在していたようです。

こちらが7柱の祭神です。この中でも最初の国之常立神(くにのとこたちのかみ)は、日本神話でも最初の天地開闢(てんちかいびゃく)のときに登場する神様。神話の記述では最後までその姿を現しませんでした。

ではこの西代神社で、なぜ300年近くの伝統がある市指定無形重要文化財の西代神楽が行われるようになったのでしょうか?それは江戸時代にこの地に大名(西代藩)が来たことに由来します。

西代藩は、徳川家康のいとこで家臣でもあった、本多康俊(ほんだ やすとし)のひ孫にあたる本多 忠恒(ほんだ ただつね)が立藩しました。

1679(延宝7)年に、忠垣の父・近江膳所藩3代藩主・本多康将(ほんだ やすまさ)の死に伴い、領地を相続する際、近江国高島郡・甲賀郡に加え、現在の河内長野市に該当する河内国錦部郡の合わせて1万石が分与されたからです。

忠恒の子、本多忠統(ほんだ ただむね)は、父の領地を相続して2代藩主となります。

忠統は5代将軍徳川綱吉の小姓を務めた後、寺社奉行などの幕府の職を歴任し、1711(享保10)年には若年寄の地位に上り詰めた人物。8代将軍・徳川吉宗の享保の改革にも関わった人です。

西代神社の隣にある長野小学校の正門は西代藩陣屋跡
西代神社の隣にある長野小学校の正門は西代藩陣屋跡

さてその忠統が幕府の命により、1732(享保17)年に伊勢神戸藩に転封(領地替え)となります。そのときに、村の人々が忠統の徳を偲んで、西代大明神(西代神社)で奉納したのが西代神楽の始まりだそうです。

西代神社は西代えびすとしても有名
西代神社は西代えびすとしても有名

幕府の重責を担う若年寄として活躍したのに加え、その後神戸藩に移ってからも享保の大飢饉において窮民救済に努めているという記録が残っているようなので、それだけ慕われた殿様ということなんですね。

ちなみに西代のだんじりについている家紋は、本多氏の家紋でもある本多葵(表紋・丸に立ち葵)です。

ラブリーホールの場所にある西代藩陣屋跡遺跡の説明版
ラブリーホールの場所にある西代藩陣屋跡遺跡の説明版

西代神楽の伝統は一時期途絶えましたが、1848(弘化)4年に、当時西代村に住んでいた松本主計と松本(旧性六道)富蔵という人物の手により神楽が再興されます。

その後明治初期のころには、松本吉三郎という人が伊勢太神楽を取り入れ、従来の曲と合わせて舞曲を整理統合し今日の形になりました。

そのようなことから西代神楽は伊勢太神楽の流れを汲み、9舞1曲の10種類で構成されています。

市の担当者の方のお話では、実際に伊勢の神楽を見にいったそうですが、一部を除いてほぼ西代神楽と同じだということがわかったそうです。

さて、そんな西代神楽はどんなものでしょうか。昨夜西代神社に行き、実際に神楽を見てきました。

神社の入口には、関係するだんじりの提灯が点灯しています。

境内に入り神楽が奉納される舞台の前に行くと静まり返っています。いったいどういう事でしょうか?

昨日は夕方近くまで雨が降っていたので、武道館で行うことになったそうです。担当者の人の話では、雨はやんでいるが地盤が悪いから武道館の中ですることが決まりました。

こちらが神社の隣にある武道館ですね。さっそく中に入ってみましょう。

少し早い時間に来たので、まだ見学者のいない状態。でも武道館の中には結界が貼られ、神楽が奉納される空気に満ちています。

神楽で使用される獅子舞や楽器類が置いてあります。西代神楽で使用する楽器は笛、太鼓、それにチャッピン(チャッパ?)とよばれる小型のシンバルのようなものを使うそうです。

余談ですが、武道館では各地域の剣士を募集しているようです。

ぎりぎりまで設営の準備をされていました。

開始直前になり、観客が集まってきました。

開始に先立ち、島田市長のあいさつ。市の無形文化財ということで、伝承をしていく人がいないと続けられないから市民で盛り上げましょうという話でした。

続いて浦野衆議院議員の挨拶がありました。この中で「自分の地元には神楽がない」という話がありました。

そうなんです。南河内にだんじりを出しているところは数多くありますが、神楽を奉納しているところは西代神社くらいですから、本当に貴重です。

いよいよ神楽が始まりました。

西代神楽は獅子舞がメインで登場します。獅子舞について簡単に触れると、日本伝来の時期は不明で、諸説あるようです。

一説には室町のころに伊勢から江戸に広まったそうです。伊勢や熱田の神楽が獅子舞を使って全国に行脚したことで、全国的に有名になったとも。獅子はライオンではなく、猫や麒麟(中国の伝説の生き物)、あるいは鹿がモデルになるところもあるそうです。

獅子舞の意味としては、疫病などの魔除けと村人の娯楽としての意味があるそうで、楽しみながら悪いものを排除しようという願いが込められているのでしょう。

始まりました。最初は鈴之舞という演目です。これは場所を清める意味を持っているそうで、獅子舞をよく見ると右手には神社の巫女さんが祈祷でお清めに使っている鈴を手にしていますね。

さらに左手には、神社の祭祀でささげられる御弊(ごへい)を手にしています。神楽は神聖なものですから、最初に清めるところから始めるんですね。

神楽の演目は休みなく続き、次は衝え(くわえ)剣です。獅子舞が加えているものが剣ですね。この剣の力で邪悪なものを追い払います。

途中からは加えていた剣を手に持ち、さらにさやを取り刀身が見えます。刃が両方あるのが剣(片方が刀)というそうなので、これは左右どちらからでも切れるわけですね。

ここで中休みが入ります。とはいえただ休んでいるだけではありません。見学には多くの子供たちが来ていましたが、その子供たちの頭を獅子舞が噛みつきます。

これは子供に付いた邪気を食べてくれるそうで、噛んでもらえると健やかな成長につながるそうです。

しかし、小さな子どもにとって、獅子の赤い頭と黄金の歯は脅威な存在のようで、何人かの子供は泣き出してしまいました。

しかし周りでは笑い声が起き、とても和やかな雰囲気が続きます。

次は四方掛という演目です。

ここで演者が背負われて登場しました。これにも意味があり、演者は神のような存在なので、地に着くと良くないからだそうです。

その代わり神楽を演じる赤い敷物内は、結界の中なので問題ないそうです。

演目の内容は、獅子舞が踊って眠っているときに、真ん中の猿田彦(サルタヒコ)が登場して獅子舞を起こします。そして一緒に踊ります。

猿田彦は導きの神様とされ、擦り簓(すりざさら)と呼ばれる打楽器を手にしています。

演目が終わると、やはり背負われて立ち去っていきます。

この後中休みになりますが、お菓子が配られていました。和やかなひと時ですね。

次は玉之舞です。

ここに登場するのは、貧しいが心根が優しいおじいさんです。手に持っている玉は宝物です。

ところが、この玉を獅子舞が狙います。一度は獅子舞に奪われおじいさんは戸惑います。

獅子舞から球を奪い取ろうとしますが、ひっくり返されてしまいます。

しかし負けじと何度も玉を取り返そうとするおじいさん、このやり取りが非常にコミカルで、それまでの神楽とは違う雰囲気となります。

必死に何度も挑戦するおじいさん。

いろいろなやり取りがありましたが、

最後は球を取り返したようです。

さあ最後の演目です。

最初は、神来舞(しぐるま)という演目です。これは御幣をもった獅子舞が踊りますが、河内長野以外の地域でも獅子舞の踊りとしてよく見られるものなのだそうです。

迫力ありますね。

最後は白獅子です。これは獅子舞が虫を追いかけたり、のみを取ったりするしぐさを演じるものだそうです。

獅子舞が本当は生き物ではないかと思えるような微妙な動きは相当練習をされているのではと思いました。

こうしてすべての演目が終わりました。本当はこのほかに、歌剣、吉野舞、扇の舞、花の舞があるのですが、今回はコロナ禍の影響で練習時間が限られてしまい、演目数を絞って開催したそうです。

演目数が少ない、あるいは雨のため室内というのは本来の西代神楽の姿ではないのかもしれませんが、ようやく3年ぶりに開催できた無形文化財。本当に素晴らしかったです。

少しだけですが動画にも撮影しました。

河内長野市には西代神楽以外にもいろんな伝承の残る神事や行事がありますが、まだまだ多くは今年も取りやめたようです。

来年は復活してくれるものだと信じたいところですが、あまり中断が長くなると伝承が絶たれてしまわないか、それだけが気になりますね。

2022年9月の試験曳きの様子
2022年9月の試験曳きの様子

ということで西代神楽の様子を紹介しましたが、いよいよ今日8日と明日9日が秋祭りとしてだんじり曳きが始まります。西代神社が関係するのは次のだんじりです。

西代 下西代 長野 石坂 上原 野作 原 古野 

だんじりは河内長野だけでなく南河内の各地にこの時期に行われますが、前夜に神楽も奉納される西代神社のその様子を間近で見るとひと味違う気がしました。

西代神社御旅所は、長野小学校の東側敷地内にある畳半帖程の石です
西代神社御旅所は、長野小学校の東側敷地内にある畳半帖程の石です

また西代神楽は本日の本祭の神輿渡御時(午前10時前後)に、長野小学校の奥にある御旅所でも少しだけ神楽が奉納されるそうです。気になる方はぜひ見にいってみましょう。

西代神社
住所:大阪府河内長野市西代町16-5
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩13分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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