【富田林市】えっ、どういうこと?大阪1番ヘアドネーション数のエメールヘアは、お坊さんが髪を切る美容室
金剛マルシェなどのイベントが定期的に開催されている金剛銀座街。イベントのない日はひっそりしているのかなと思うのですが、実際にはあるお店の前でいつも楽しそうな笑い声が聞こえています。
日替わりオーナーのコミュ二ティスペース「わっくCafe」かと思えばそうではなく、何と美容室のエメールヘアさんです。
美容室と言えば、普通は心地よいBGMを聞きながら静かにスマホや雑誌を見ながら髪を整える印象があるもの。それがエメールヘアさんの場合、美容室なのにいつも笑い声がするのでとても気になりました。
私はちょうどリニューアルが終わったばかりのエメールヘアさんで体験取材しようかと思ったのです。エメールヘアさんにはある秘密がありました。それは「ヘアドネーション」をやっていて、なんと大阪では1番の数を誇っているというのです。
ドネーションとは「寄付、寄贈、贈与、助成」を意味しています。ヘアドネーションとは、病気やけが、脱毛症などの影響で髪を失った人々に医療用ウィッグを作る際に、美容室で切った髪を寄付しようという活動です。ちなみに本日11月11日はポッキー&プリッツの日が有名ですが、数字の1が並ぶ様子が毛髪の流れに見えることから、ヘアドネーションの日でもあります。
31センチ以上の長さがあれば髪の毛をドネーションできるので、美容室で伸びた髪を切る際に切った髪を処分せずに寄付できるシステムです。白髪が混じっているなどの髪の毛の色でも問題がないとのことでした。
今回私はそのドネーションをお願いして、実際に作業を行っていただいた画像を紹介しながら、後日、エメールヘア店主の木全剛司(きまたつよし)さんにお話を伺いました。
その理由はヘアドネーションをリーズナブルに行っているだけでなく、美容師さんである木全さんの経歴がとても個性的だからです。
木全さんは美容師ですが、僧侶(お坊さん)を兼任しています。つまり、私は僧侶の資格を持つ美容師さんにヘアドネーションを依頼したのです。お坊さんが髪を切る美容室!美容師という華やかな世界と僧侶という、どちらかと言えば静かな世界、真逆的ともいえるふたつの職業を兼任できているという木全さんはどんな人なのかとても気になりました。
1、寺の住職の子が美容師になったわけ
木全さんはご自身のブログにも書いてある通り、美容師も僧侶どちらも本業とのこと。和歌山県橋本市にある浄土真宗大谷派の徳明寺副住職で、木全さんの父方で代々住職を出しています。
木全さんの母方が京都だったため、子どものころは家族で京都での生活でした。その当時の木全さんは、僧侶の跡を継ぐ気がまったくなかったとのこと。しかし最初から美容師を志したわけではなく、電気工事士を目指していたそうです。
木全さんは本心から僧侶を継ぐ気はなかったようで「普通のサラリーマンになったら、休みの日曜日に法事の手伝いさせられるから」という理由で、手に職をつけようと電気工事士を目指したとのこと。
電気工事士の資格が取得できる学校に入って勉強し、資格試験では筆記では合格しました。しかし、好きではない内容で遊んでばかりだったので、単位が足りず、学校を中退します。これは木全さんにとっては想定外のことでした。中退したため卒業することで得る予定だった電気工事士にはなれなかったのです。
そのころ御両親と兄弟は後を継ぐため和歌山の寺にもどりましたが、僧侶になる気のない木全さんは、引き続き京都にとどまりフリーターとなります。
そんな木全さんが美容師の世界に入ったきっかけは、河内長野三日市にあった中山美容室との出会いでした。木全さんが19歳の時です。
中山美容室は美容師一族と言えるような家柄で、美容室を複数店舗経営していました。金剛にも店があったために、木全さんはそこに配属されることになります。木全さんが美容師を目指したきっかけは「きれいな美容師さんが多くて人に優しい業界に見えたから」とのこと。
もちろん実際にはそんなことはありません。とはいえ、電気工事士に代わって手に職をつけられる美容師になることで、寺の手伝いから逃れられると考えた木全さんは、そのまま中山美容室に見習いとして金剛の店に入りました。
店に入って経験を積めばやがて美容師になれると思っていた木全さん。驚くべきことですが、当初美容師になるために免許が必要なことを知らなかったのです。
「美容師免許を取ったらどうか」と美容室で働いていた先輩のアドバイスもあり、夜に美容学校に通いながら引き続き美容室で働き、3年後に免許を取って正式に美容師になりました。
2、美容師だった木全さんが僧侶になった理由
木全さんは美容師として働き始め、本来ならこのまま美容師としての人生を全うする予定で、前にも書いた通り、僧侶になるつもりはありませんでした。
ところがその後、木全さんが美容師と僧侶を兼任にすることになったのには、あるエピソードがありました。それは、夏のある時に和歌山の実家に戻った際、家族はみんな僧籍を持っているため、法事などで檀家さんの家に通うなど外出していた時のことです。木全さんは涼しいクーラーのある部屋で、のんびりひとり、電話番をしていました。
「喉が渇いたなぁ」と近くのコンビニに出かけたところ、偶然、お祖父さんが歩いているのを見かけたのですが、そのときに衝撃を受けたというのです。80歳を過ぎているのに炎天下に歩いている足元もおぼつかないお祖父さんの姿を見て、慌ててその場から逃げ出します。
「80歳になって、檀家さんのところに行くために暑いところを歩いているのに、20歳代の自分が涼しいエアコンの部屋にいるなんて」と、1日中自問自答を繰り返します。
木全さんは「やっぱり僧にならないといけない」と決断。家族に相談すると、待っていたとばかりにすぐに、大阪・南御堂で僧になるための学校への入学が決まります。
南御堂では、僧になるための基本を学びます。お経の読み方はもちろん、衣(服装)の着かたなどを学びました。本来なら9歳のころに学ぶべきことを30歳近くに習うことになったので、子どもたちと一緒に並んで学んだとのこと。
最終的に得度を受けた木全さんは正式に僧侶になります。僧侶にはなったとはいえ、ペーパードライバーのような状態だったのです。ところが得度を受けた時が非常に良いタイミングでした。
直後にさらに上の資格を取るために行なわれる修行を行うことになりました。この修業は3年に1度しか行われないものでしたが、木全さんが得度を受けた翌月から行なわれる予定だったので、これまでの遅れを取り戻そうと木全さんはそれも受けることになります。
3年間通いましたが、その間美容室を辞めたわけではありません。通年行っているのではなく季節ごとに夜間に集中して行われるからです。そのため美容室に通いながら必要に応じて早退等を行っていたとのこと。
こうして、結果的に美容師と僧侶の2足の草鞋を履くことになった木全さんですが、ここで興味深いことを言いました。「生活が変わった」そうで、それまでの美容師としての人生とは真逆的な僧侶の人生が新鮮だったそうです。
「特に儀式を学ぶときは、本当に美容師とは真逆の世界観だったから」と、木全さんは懐かしそうに語りました。
とはいえ、27歳からのスタートということで、他の人より3~5倍頑張りました。こうしてついに修行が終わるのですが、その前の月に僧侶の世界に入るきっかけだったお祖父さんが亡くなられます。
葬儀が行なわれましたが、その場に木全さんも知らない仏教界の重鎮たちが姿を見せたことから、お祖父さんがとても偉い人であることを初めて知ったと言います。そして葬儀で知り合った高僧との出会いがきっかけで、別の学びの機会を得たということで、次は本山の京都東本願寺に3年通いました。
こうしてスタートが遅かった木全さんの僧としての学びは順調に進み、気が付けば準導師と呼ばれる立場になりました。
ちなみに導師とは指導的な立場で寺の中でも高い位を持ち、運営にも携わる僧とのこと。準導師は導師に次ぐ地位ということになります。
3、大事故からの復帰と二足の草鞋
さて、そんな僧侶としての学びをしている時、木全さんは大きな事故に遭遇しました。紀見トンネル付近で信号待ちをしたときに、後ろから車が突っ込んできて玉突き衝突にあいます。運悪く前にも車があったため、前後の車に挟まれてしまいました。
木全さんは首の頸椎(けいつい)を損傷し、1か月動けなくなります。スマホすら持つことができず、ただ病院の天井を眺めている生活が続きました。
「俺の人生終わった」と木全さん思ったそうですが、お祖母さんが毎日見舞いに来てくれたとのこと。お祖母さんは「これは長い人生の一時期のことだから」と話しながらニコニコ座っているだけだったのですが、言霊のようなもので、木全さんの気持ちもだんだんそんな気になってきます。
「美術師はもう無理かもしれない。だが今学んでいる僧の仕事なら」と思いながらリハビリを続けると、徐々に体が動くようになります。退院後自宅で1か月療養を得たのち、美容師として復帰することができました。
こういった経験を得て、僧侶としても一定の地位を築いた木全さんですが、一見真逆的な僧侶と美容師の世界は意外に融合することに気づきます。木全さん自身のブログには、両立について次のような言葉が書いてあります。
- 心を落ち着けてリラックスできる空間を作る
- お客さんの話をよく聞く
- 感謝の心を忘れずに
詳しくは、木全さんのブログ記事(外部リンク)をご覧いただきたいのですが、僧として檀家さんに行なっている重要なことは、サービス業としての美容師としても十分役になっているということがわかります。
それが実践されているためか、エメールヘアさんは美容室の印象である静かな空間ではなく、お客さんと美容師さんとで会話が弾み、店の外まで笑い声が聞こえる楽しい雰囲気になっているわけですね。
4、独立してエメールヘアに
木全さんは、今から12・3年前に独立します。きっかけですが、現在のエメールヘアさんは、もともと中山美容室の物件でした。
木全さんは中山美容室の金剛店の店長として働いていたのですが、中山美容室のオーナーが大病を患ったことがきっかけで、入退院を繰り返すようになります。
そのようなこともあり、多店舗展開していた中山美容室を縮小する方針になり、木全さんも本店に戻るよう指示を受けます。
木全さんはこの時に「いまさら本店に戻って仕事があるのか」と考えました。すでに金剛店を任されていた立場だったからです。「他店に移籍しようか?」木全さんは他の美容室の面接を受けるなどして、美容師としての道を模索します。
ところが「店の閉店」を告知した際に、お客さまの多くがとても残念がって「私たちはこれからどこに行ったらいいの?」と口々に。中にはその場で泣いてしまう方もいたそうです。「当時はどうしたらいいのかわからず、不眠症になるほどでした」と木全さんは悩んだそうです。
そんなあるとき、金剛駅で偶然に常連のお客さんに会いました。その時に木全さんは無意識にその悩みをお客さんに話したところ、即座に「独立したら」という言葉が返ってきました。
「独立は想定外でした」と木全さん。「自分で店を経営する。その手があったのか!」ということで、木全さん中山美容室のオーナーが入院している病院に行き相談します。その結果、金剛の美容室の譲渡が決まったのです。
その年の9月末までは中山美容室の店長として働き、10月1日から独立した木全さんのお店となりました。それを知ったお客さんが喜んだのは言うまでもありません。
店の丸々譲渡となりましたが、独立ということでそれまで一緒に働いていたスタッフは引き上げられ、木全さんひとりからの再出発となりました。また薬剤なども別途用意しなければなりません。奥さんとの二人三脚でそれを乗り越えていきました。
すでに店長時代に持っていたお客さんはそのまま引き継ぎ、大掛かりな工事も行わなかったので、全く最初からの独立よりは良かったのではということでした。
しかしながら、当初は混乱を避け「中山美容室」の名前のままだったそうです。オーナーとは別に中山美容室の経営を行なっていた社長が「せっかく独立したのに、自分の名前でやった方が良い」とのアドバイスを受けたので、店名が今の名前になりました。
エメールヘアという店名の意味ですが、フランス語でaimer エメ(好き)、Sourire スリール(笑顔)を足した造語で「笑顔あふれる」というニュアンスが含まれています。実際の店内の様子がそのまま店名になっているわけですね。
4、美容を通じて社会と共存共栄
そんな木全さんですが、独立のタイミングで結婚し、現在エメールヘアのスタッフは6名となりました。その中には高校生のバイトで入り、卒業後もそのままエメールヘアで働いている若者、大前さんもいます。
大前さんが木全さんに相談する前に、いきなりお客さんにエメールに就職すると宣言。木全さんも驚いたそうですが、改めて話し合いを行なった上で、正式に社員としての就職が決まりました。
エメールヘアさんでは、スタッフ研修でほかの美容室に見学に行くこともありますが、その時に他の美容室のシーンとした静かな雰囲気を見てみんな驚くそうです。
エメールヘアさんはそういう意味で珍しい美容室ですが、木全さんは、「お客さんとおしゃべりする楽しさ」を重視したいといいます。それが僧侶を兼任している美容師の役目ではないかとも言いました。
お客さんといろんなことを話してわかることのひとつに、お客さんの健康状態があげられます。もしかしたらお医者さんよりもお客さんの健康状態が詳しいかもしれないと語っていました。
そして木全さんはエメールヘアと僧侶の2足の草鞋をはいて仕事をしているだけにはとどまらず、社会との共存共栄を考えました。
かつて金剛銀座街の隣にピュア金剛という公設市場がありましたが、それが閉鎖となり取り壊されました。
ニュータウンならどこでも起こりうる「衰退への足音」への対策として、金剛地区の再生という町全体の問題にも木全さんは積極的にかかわります。木全さんは金剛銀座街商店会会長はじめ、様々な町づくりの役員を勤め、金剛マルシェなどのイベントにも積極的に関わっています。
とはいえ、複数の役職を兼任しているのはさすがにまずいということで、いくつかはほかの人にゆずっていっているとのこと。それでも金剛銀座街だけでなく、金剛地域全体の顔役のような存在として、地域を盛り上げようとしています。
「美容を通じて社会と共存共栄を図っていきたい」と木全さんは笑顔で答えました。
5、ヘアドネーションを少しでも安く
今回私が経験したヘアドネーションについて、最後にお話を伺いました。通常はヘアドネーションを行っても、自分で送らなければなりませんが、エメールヘアさんでは店が代わりに送ってくれます。
木全さんは「手間を省けることで、ヘアドネーション希望者の方の敷居や不安を取り除きたい」といいます。「ヘアドネーションの意義に賛同しているので、これで儲ける気はありません。地域の相場を意識してできるだけ安い料金で」ということで、送料込み4,400円(シャンプー・ブロー込み、写真撮影OK)でと、格安でヘアドネーションできます。
切った髪が再びヘアドネーションが可能になるまでの期間は3~~4年程度、そのためヘアドネーションのリピーターさんも多いそうです。
そんな木全さんには5歳の娘さんがいますが、娘さんは美容師よりも僧侶に興味があるとのこと。唱えるお経の最初のうちが暗唱できているそうで、「4年後には僧になれるから」と、木全さんは父親の顔として目を細めていました。
というわけで、ヘアドネーションが目的なのに、店主の木全さんの熱い思いをお伺いすることの方が主目的となりました。地域に愛された美容室のスタッフさんの明るい笑顔を見るとこちらまで気持ちが明るくなるのが不思議だなと思いました。そんな明るい気持ちになりながらすっかり暗くなった金剛銀座街を後にしました。
エメールヘア美容室(外部リンク)
住所:大阪府富田林市寺池台1丁目9-20 金剛銀座街1階
TEL:0721-29-1465
営業時間:9:00~19:00(日曜日は18:00まで、最終受付は1時間前まで)
定休日:月曜日、火曜日(予約優先)
アクセス:南海金剛駅から徒歩9分
instagram
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