最後まで必死に抵抗した、火薬陰謀事件
イギリスでは11月5日がガイ・フォークス・ナイトという記念日となっています。
このガイ・フォークス・ナイトは1605年に起こった火薬陰謀事件に由来しているのです。
この記事では火薬陰謀一味の最後の抵抗について紹介していきます。
最後まで抵抗したケイツビー達
1605年11月6日、ガイ・フォークスが沈黙を守る中、ケイツビーたちの逃亡劇は続いていました。
彼らはウォリック城を襲撃し、武器や物資を手に入れると、仲間のロバート・ウィンターと合流すべくハディントンに向かったのです。
ケイツビーは道中、ガーネット神父に挙兵の支援を求める手紙を送ったものの、ガーネットはこれを拒否し、逆にケイツビーに計画を止めるよう懇願しました。
しかし、ケイツビーは挫けず、仲間たちを励まして戦う意志を固めていたのです。
11月7日、ケイツビー一行はハディントンに到着します。
彼らは反乱のために武器や弾薬を集めたものの、期待していた大規模な支援は得られませんでした。
地元の人々は「神と国」のために戦うという彼らの呼びかけに、「神と国だけでなく、ジェームズ王も支持している」と応じ、反乱への協力を拒んだのです。
状況が厳しくなる中、ケイツビーたちはスタフォードシャーのホルベッチ・ハウスへと逃げ込むことにしました。
11月7日夜、ホルベッチ・ハウスに到着したケイツビーらは、湿った火薬を乾かすために火の前に広げたものの、運悪く火の粉が火薬にかかり、爆発を引き起こしたのです。
この爆発でケイツビー、ルックウッド、グラントらが重傷を負い、ケイツビーも深い火傷を負ったものの、まだ生きていました。
不運にもグラントは失明し、残る仲間たちも絶望的な状況に追い込まれていたのです。
それでも、ケイツビーたちは最後まで抵抗を試みる決意を固めました。
11月8日朝、200人の部隊がホルベッチ・ハウスを包囲します。
戦闘が始まると、トマス・ウィンターが肩を撃たれ、続いてジョン・ライト、彼の弟クリストファー、そしてルックウッドが次々に撃たれました。
ケイツビーとパーシーは、伝説によれば1発の銃弾で共に倒れたといいます。
こうして反乱者たちは次々と倒れ、戦闘は終息。ケイツビーは命を落とし、生き残った数名が捕らえられました。
こうして、火薬陰謀事件の中心人物であったケイツビーは、その壮絶な最期を迎えたのです。
参考文献
アントニア・フレイザー著 加藤弘和訳(2003)『信仰とテロリズム:1605年火薬陰謀事件』慶応大学出版会