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実行直前に内部告発が行われた、火薬陰謀事件

華盛頓Webライター
credit:unsplash

イギリスでは11月5日がガイ・フォークス・ナイトという記念日となっています。

このガイ・フォークス・ナイトは1605年に起こった火薬陰謀事件に由来しているのです。

この記事では実行直前に国王に送られた内部告発の文書について紹介していきます。

実行直前に国王に送られた内部告発の文書

1605年10月26日、火薬陰謀が露見する大きなきっかけとなった「モンティーグルの手紙」が、第4代モンティーグル男爵ウィリアム・パーカーの元に届けられました。

この手紙は差出人不明で、陰謀の背後にいるとされる人物たちの中でも、特にフランシス・トレシャムが書いたのではないかと噂されているものの、その真相は定かではありません。

さらには、モンティーグル自身の自作自演説や、ロバート・セシル(当時のソールズベリー伯)が関与していたのではないかという説もあります。

物語は、モンティーグルがホクストンにある古い邸宅で食事をしていた時に始まります。

突然、召使いが現れ、道端で見知らぬ者から渡された手紙を持ってきました。

その手紙には、モンティーグルに議会の出席を避けるようにと助言する謎めいた内容が記されていたのです。

そこには「議会で大きな打撃(blow)が加えられる」との記述があり、何か恐ろしい計画が進行中であることを示唆していました。

モンティーグルは、すぐにこの手紙を国王秘書長官であるセシルに届け出たものの、この時点でセシルはすでに何らかの陰謀が進行していることを察していました。

しかし、計画の全貌を把握していなかった彼は、状況をもう少し見守ることにしたのです。

一方、この手紙の存在が陰謀者たちの耳にも届きました。

モンティーグルの使用人で、ケイツビーの仲間であるトマス・ワードがケイツビーに知らせたことで、ケイツビーは自分たちの計画が露見しかかっていることを知ります

最初に疑いをかけられたのは、従兄弟でもあるトレシャムでした。

ケイツビーとトマス・ウィンターはトレシャムを問い詰め、「お前を吊るしてやる」と脅したものの、トレシャムは必死に自分の無実を主張し、手紙を書いたのは自分ではないと説得したのです。

結局、手紙の内容は国王に伝えられ、陰謀は明るみに出ることとなりました

しかし、この時点ではセシルも、国王もまだ事件の全貌を掴めておらず、誰が陰謀に関与しているのか、どのように行動するか慎重に見極めようとしていたのです

参考文献

アントニア・フレイザー著 加藤弘和訳(2003)『信仰とテロリズム:1605年火薬陰謀事件』慶応大学出版会

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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