決行前夜に露見した、火薬陰謀事件
イギリスでは11月5日がガイ・フォークス・ナイトという記念日となっています。
このガイ・フォークス・ナイトは1605年に起こった火薬陰謀事件に由来しているのです。
この記事では火薬陰謀事件の決行前夜について紹介していきます。
決行前夜にすべてが発覚する
1605年11月4日の夜、火薬陰謀事件はついにその全貌を現し、決行前夜の緊張感がピークに達していました。
この日、王宮周辺の建物を捜索する命令が下り、ガイ・フォークスと仲間たちは最終準備を進めていたのです。
フォークスは導火線の準備を整え、懐中時計で時間を計ろうとしたが、その時、事態は急転します。
すべての発端は、モンティーグル卿に届いた謎の手紙でした。
これを受け取ったジェームズ1世は、「blow」という言葉に着目し、何か火薬を使った陰謀が進行中であると察したのです。
王の命により、サフォーク伯トマス・ハワードらが議会周辺の捜索を開始します。
探索隊は貴族院の地下室に積まれた大量の薪と、その場にいたフォークスを発見したのです。
彼は「ジョン・ジョンソン」と名乗り、薪は主人トマス・パーシーのものだと説明しました。
一度はその場を離れた探索隊だったものの、パーシーの名が出たことで王の疑念は深まり、再度の捜索が命じられたのです。
そして、夜遅く、フォークスは再び地下室で発見されました。
今度はマントと帽子、拍車付きのブーツを履いたフォークスが、ランタンとスローマッチ、火つけ木を持っていたのです。
地下には、石炭や薪の下に隠された36樽もの火薬が眠っていました。
フォークスはその場で逮捕され、翌11月5日の未明、王のもとに連行されました。
この夜、陰謀は露見し、イングランドを揺るがす大爆発は未遂に終わったのです。
参考文献
アントニア・フレイザー著 加藤弘和訳(2003)『信仰とテロリズム:1605年火薬陰謀事件』慶応大学出版会