着々と準備を進めていった、火薬陰謀事件
イギリスでは11月5日がガイ・フォークス・ナイトという記念日となっています。
このガイ・フォークス・ナイトは1605年に起こった火薬陰謀事件に由来しているのです。
この記事では最後の詰めを行う火薬陰謀一味について紹介していきます。
着々と準備を進めていったケイツビー一味
さて、1605年の秋も深まる頃、火薬陰謀の計画は最終段階に差し掛かっていました。
ガイ・フォークスはロンドンに戻り、トマス・ウィンターと共に地下室に隠された火薬が腐っていることを発見します。
慌てて新たな火薬を運び込み、薪で隠すという対応を行いました。
そして、最後の仲間がこの時期に加わることになります。
9月29日の聖ミカエル祭、ケイツビーはカトリック教徒でありながら裕福な馬屋経営者アンブローズ・ルックウッドを仲間に引き入れることに成功しました。
彼の馬が、後に反乱を起こす際に必要となる軍馬として重要な役割を果たすのです。
また、人望の厚いエベラード・ディグビーもケイツビーの説得に応じ、彼は計画のために屋敷を提供し、パーシーの借金も肩代わりするほどの協力を約束しました。
10月になると、ケイツビーは従兄弟であり、かつてエセックス伯の反乱にも加わったフランシス・トレシャムに接触しました。
トレシャムは裕福なカトリック教徒で、莫大な遺産を相続していたものの、放蕩や罰金で財産を減らしていたのです。
ケイツビーは彼に資金援助とラシュトン・ホールの提供を求めたものの、トレシャムは断ったといいます。
ただし、トマス・ウィンターには100ポンドを渡し、何らかの形で計画に協力したことは間違いありません。
10月中には計画の細部が固まり、ロンドンとダヴェントリーの酒場で最終的な打ち合わせが行われました。計画はこうです。
フォークスが導火線に火をつけ、爆発の瞬間にテムズ川を渡って逃走する。
そしてミッドランズで反乱を起こし、ディグビーの率いる狩猟隊がエリザベス王女を確保。
フォークスはヨーロッパに渡り、カトリック勢力に事態を報告する。
こうして、すべての駒が揃い、陰謀者たちは運命の日へと突き進んでいきました。
参考文献
アントニア・フレイザー著 加藤弘和訳(2003)『信仰とテロリズム:1605年火薬陰謀事件』慶応大学出版会