原発事故 災害弱者の高齢者「とりあえず避難」の落とし穴
避難した高齢者の死亡率は2.68倍
英インペリアル・カレッジ・ロンドン公衆衛生大学院生、野村周平さんは、福島県南相馬市と相馬市の老人施設を対象に福島第1原発事故後の高齢者避難を追跡調査している。
南相馬市の南3分の1は福島第1原発から20キロの避難区域。マスク着用などを守れば外出できる20~30キロの屋内退避区域を含めると、同市の南4分の3が該当する。
相馬市は30キロ圏外だ。
野村さんらは南相馬市の5施設と相馬市の2施設を調査した。30キロ圏外の相馬市の施設は避難しなかったが、20~30キロの範囲にある南相馬市の5施設はすべて避難した。
南相馬市の5施設からは328人が避難したが、約1年内に75人が死亡。死亡率は過去5年の平均に比べ2.68倍にハネ上がっていた。
野村さんが調べてみたところ、他にも同じような傾向を示す調査結果が出ていた。
国会事故調報告書によると、20キロ圏内の7病院から850人の入院患者が避難、1カ月以内に60人が死亡した。
福島県立医大の安村誠司教授らの調査でも、20キロ圏内の32老人施設から避難した1770人のうち263人が8カ月以内に死亡。死亡率は前年度の2.4倍に達していた。
毎日新聞の喜浦遊記者の報告では、2013年末時点で福島県における「災害関連死」者数は1605人にのぼり、津波による死者数1603人を上回った。
放射線リスクの実相
主要メデイアでは原発災害による放射線被害が強調される傾向が強いが、避難者が放射線被害の深刻な影響を被ったというケースは報告されていない。
野村さんは、避難する直前の食事や暖房、避難中の移動手段、自治体からの支援、避難後にも介護が継続されたかどうか、介護のレベルについて聞き取り調査を行った。
1~2週間かけて計画的に避難した施設より、あわてて避難した施設の方が死亡率が高くなっていた。事故直後に避難することは環境の変化に弱い高齢者にとって「最善の選択」ではなかった可能性が浮かび上がる。
野村さんは「高齢者にとって避難は生命にかかわる冒険なんです」という。
どうして避難したかについて、避難後に死亡率が4倍近く上昇した施設では次のような声が聞かれた。
「今思えば避難しなくても良かったんじゃないかって思うけど、放射能という目に見えない恐怖で皆パニック状態だった」「入所者を避難させず、自分も避難しないという選択は考えられなかった」
原発災害で物資の供給が途絶え、放射線への恐怖から避難を選択せざるを得ない状況は十分に想定される。
しかし、野村さんは、「とりあえず避難」というマニュアル化した対応は逆に、避難した高齢者の死亡率を上げてしまう恐れがあると警鐘を鳴らす。
自治体の避難計画
7月に、佐賀県が九州玄海原発から30キロ圏内の全241医療機関、社会福祉施設の避難先が決まり、原発災害時の避難計画が策定された。
鹿児島県でも九州川内原発から10キロ圏内の17施設826人の受け入れ先が確定。
8月には茨城県が東海第2原発から半径30キロ圏内14市町村の住民の避難先案を発表した。
国の災害対策指針では、30キロ圏内の住民の避難は放射線レベルによって原発災害発生後、1日あるいは1週間以内に講じられることになっているが、野村さんは次のような「落とし穴」を指摘する。
(1)放射線被ばくと避難による身体的・精神的負荷の両リスクを考慮した上で、住み慣れた環境に留まるという選択肢が欠如している。
(2)施設側が単独で行うのは困難が伴う具体的な避難の実施が施設側に丸投げされている。
野村さんは「高齢者が避難するリスクは報じられるようになったが、高齢者の避難計画を策定するのに福島第1原発事故の教訓は活かしきれていない」という。
野村さんたちの研究は「とりあえず避難」というマニュアル思考が災害弱者の高齢者には逆に死亡というリスクを増す恐れがあることを指摘している。
原発か、反原発か、というゼロイチ思考に陥らず、科学的なデータを現実の生活に活かすことができるかどうか。
野村さんは科学者が一般市民にわかりやすく説明していかなければならないと優しい眼差しで言ってくれるものの、私たちもデータ・リテラシー(データを読み解く能力)を高めていく必要がある。
次回は、どうしてデータが公共サービスなどの行政部門の「カイゼン」に活かされにくいのかについて考えてみる。
(つづく)