選挙制度の信頼を保つために~ミャンマー、米国、大阪、そして愛知の出来事から
ミャンマーで軍によるクーデタが起きた。
報道によれば、国軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問とウィン・ミン大統領を拘束、国軍出身の副大統領が大統領代理として「非常事態宣言」に署名し、立法・行政・司法の全権が国軍総司令官に移った。
選挙結果を受け入れない国軍
同国では、昨年11月8日の上下両院選挙で与党が改選議席の8割以上を獲得して大勝。国軍系の野党は大きく議席を減らした。しかし国軍と野党は、「不正があった」として結果を受け入れず、選挙管理委員会などに詳細な調査を求めていた、という。
一方、国連などの選挙監視団は「選挙は公正に実施された」として、国軍側に自制を促していた。
今回のクーデターは、選管に圧力をかけても、思うような結果が出ないため、国軍側が実力行使に打って出たのではないか。選挙結果を力尽くで覆そうというやり方は、まさに民主主義の否定である。民主化が進み、先進国の投資も活発になってきたというのに、再び軍政に戻ってしまうのだろうか。そこに中国がどう絡んでくるのか。懸念は尽きない。
敗北を認めなかった米前大統領
選挙での敗北を認めず、力尽くで結果を覆そうとしたのは、アメリカのトランプ前大統領も同じだ。最高権力者だった同氏が、「不正があった」と言い続けた挙げ句、議事堂乱入事件まで起きた。とはいえ、こちらで動いたのは軍組織ではなく、根拠不明の情報に煽られ、陰謀論に染まった支持者たちだった。
議会で進行中だった選挙結果を確定させる作業は、暴徒の乱入で一時ストップした。それでも、その日のうちに議会は秩序を取り戻し、ペンス副大統領(当時)もトランプ氏の圧力に屈せず、粛々と自らの役割を果たした。アメリカの民主主義は、大きく傷ついたとはいえ、底堅さを見せた、とも言える。
ただ、この乱入事件の後に行われた世論調査でも、7割以上の共和党員は「選挙に不正があった」と答えている。自国の選挙制度やそれに携わる人達への信頼が必ずしも高くないのは、今後のこの国の民主主義のありようを考える時、気になるところだ。
速やかに敗北を認めた都構想住民投票
いずれも昨年11月に行われた、ミャンマーとアメリカの選挙の直前、日本でも注目の投票が行われた。政令指定都市の大阪市を廃止して4つの特別区に再編する、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票である。
投票日前の世論調査では賛否が拮抗。結果が予測できない状況だった。投票率は前回の住民投票より低いとはいえ、62・35%に達し、137万5000人余りが票を投じた。
投票の締め切りは午後8時。それから3時間も経たない午後10時40分過ぎ、報道各社が相次いで「反対多数」の速報を打った。この時点で、開票率は99%。メディアも、ギリギリまで状況を見極める接戦だった。
それでも、速報から約20分後には、都構想を推進してきた松井一郎・大阪市長(大阪維新の会代表)と吉村洋文・大阪府知事(同代表代行)が並んで記者会見に臨み、敗北を認めた。松井氏は、「私の力不足」として自身の責任を認め、市長の任期満了後に政界を引退することも明らかにした。
コロナ禍の最中に、このような投票を行うことには疑問を覚えたが、開票結果が出た後、リーダーがすみやかに、このような態度表明をし、支持者が結果を受け入れるように導いたことは、非常に重要だったと、今、改めて思う。
日本でも不正が全くないわけではないが…
日本でも、疑問票の処理などを巡り、落選者が数え直しを要求したり、不正が行われたりするケースが全くないわけではない。
2015年4月に行われた相模原市議会選挙では、最下位当選者と0.661票差で敗れた次点候補からの求めに応じ、票の再点検をしたところ、有効票1票が見つかり、当選者が入れ替わった。この点検作業の際に、選管職員の不正も見つかった。票の数が投票総数より6票多かったため、白票の数を操作してつじつまを行っていたのだ。市が告発し、職員らは罰金の略式命令を受けている。
2019年4月に行われた同市議会選挙も、最後の1席を巡ってトラブルが起きた。新人2人が同数で並び、くじ引きで一方が当選となった。落選した候補者は無効票の扱いを巡って裁判を起こし、最高裁まで争ったが認められなかった。
投開票が正しく行われているという共通認識が持てる幸せ
完璧な制度はない。日本でもまれに問題は起きる。それでも、票の点検や裁判で解決してきたし、不正があれば厳しく処罰されてきた。組織的に不正が行われ選挙がゆがめられる状況は、まずないだろうという信頼は、日本人の多くが共有しているのではないか。
選挙に関する仕組みやそれに携わる人達への信頼は、民主主義の根幹だ。この信頼があってこそ、敗者は不本意な結果も民意として受け止め、社会はそれを元に次の段階に歩を進められる。大阪でのすみやかな敗北宣言の背景には、このような信頼があると言えるだろう。
開票作業は公正かつ適切に行われている、という共通認識を国民の多くが持てるのは幸せなことだ。
リコール署名不正8割超の衝撃
しかしその幸せは、実は今、脅かされているのではないか。
愛知県知事のリコール(解職請求)運動で、集めた署名の8割以上が不正だと明らかになって、危機感を覚えた。
リコールが成立するには、有権者約87万人の署名が必要になる。期限までに各市町村の選挙管理委員会に提出された署名の総数は43万5231人分で、リコール成立にはとうてい届かない。しかも8割超が不正となれば、その数はなんと約35万人分に達する。
自治体首長へのリコールは、住民の直接の意思表示によって、首長の解職を求める制度だ。有権者の一定割合以上の連署があったと認められた場合、住民投票が行われ、過半数の同意があれば首長は失職する。
リコールは選挙制度を補完し、住民自治や民主主義を機能的に実現する仕組みであって、単なる署名運動とは意味も重みも違う。不正な署名によって選挙で選ばれた首長を解職しようとしたのであれば、住民自治、民主主義の仕組みを破壊しようとする行為にほかならない。
そういう行為が、平然と行われたことに驚く。署名の数が足りず、リコールが成立しないのだから、選管は厳正にチェックはしないと侮っていたのだろうか。
陰謀論を展開する高須氏・共鳴する支持者
今回のリコールを主導してきた医師の高須克弥氏は、不正な署名が8割以上との報道について、ツイッターで「印象操作」と繰り返し非難。「正面から敵の攻撃と謀略を受け止め戦います」「二度とリコールを企てないような陰謀と印象操作が行われているようです」などと述べている。
不正に高須氏自身が直接関わっているのかどうかは、現時点では分からない。ただ、指摘を受けても署名運動を検証する姿勢すら見せず、被害者意識を高ぶらせ、他責思考で陰謀論を展開する態度は、トランプ氏やその支持者と重なる。
そして、そんな同氏と物語を共有し、支持を表明する人達がいる。
こうしたコメントを見ていると、ミャンマーはともかく、アメリカで起きたことは、決して他人事ではないと思う。
ファクトチェックと事実の共有を
民主主義は、手段が大事だ。いかなる高尚な目的を実現するためであっても、手段は選ばなければならない。そして、民主主義というのは案外もろい。トランプ氏出現以来のアメリカの状況は、それを教えてくれている。
今回のリコール不正署名疑惑を、一自治体の出来事、一部の変わった人達がやらかしたこと侮っていてはいけない。これを1つの警告と受け止め、リコールや住民投票を含め、投票制度への信頼を保っていく努力を、不断に、そして意識的にしなければならない、と思う。
まず、不正署名疑惑は、捜査と裁判によって真相が明らかにされなければならない。そして、この問題を巡る様々な言説は、こまめにファクトチェックして、虚偽や陰謀論が広く出回らないように努めていきたい。