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【ハッケン!土浦まち歩き】土浦城の縄張りを歩くその1~本丸の出入口である「櫓門」はなぜ造られた?

コイケケイコ土浦在住ライター(土浦市)

3回目を迎える「ハッケン!土浦まち歩き」。今回は、土浦市立博物館が2020年に発行した江戸時代の土浦城周辺が描かれた絵図、「復刻 土浦城絵図―常陸国新治郡土浦城図―」を手に、当時に想いを偲ばせながら街歩きを楽しみます。

敵の襲来を監視するために築かれた櫓門

土浦城周辺のハッケンスポット案内人は、土浦市立博物館の学芸員・西口正隆さん。「周辺を歩く前にまずは土浦城址を見て歩きましょう」ということで、待ち合わせに指定されたのは亀城公園内にある櫓門(やぐらもん)。「土浦城址(つちうらじょうし)」と記された石碑のある場所からスタートしました。

亀城公園は、遡ること約600年前の室町時代に築かれたと伝わる土浦城の跡地で、現在は市民の憩いの場になっています。

その公園の敷地内にあるのがこの櫓門で、土浦城の名残を感じることができる史跡のひとつです。現存する櫓門としては関東唯一で、茨城県が指定する史跡の第一号でもあります。また、土浦城には西と東の2か所に櫓があり、東櫓は明治時代の火災で失われてしまいましたが、西櫓は1991年(平成3年)に、また東櫓は1998年(平成10年)に復元されました。

西口さん:櫓門は、その名称通り「櫓がついた門」を指しています。「櫓」はお城を守る防御策の一環で、二階部分から敵が来ないかを監視する物見の役割や攻撃をする役割も果たしていました。

土浦市立博物館の資料には1884年(明治17年)当時の櫓門の写真があり、今も現存することに驚かされます。

櫓門の中には、3~4つの太鼓が収められ、城下町に時を告げる役割を果たしていたといいます。太鼓のほとんどが壊れてしまい、現存するのは1つだけ。

「刻の太鼓保存会」では「時の記念日」である6月10日には櫓門に太鼓を戻して、朝と夕方の6時の1日2回、太鼓を叩いて時を知らせる往時の様子を再現しています。

櫓門の先にはもうひとつ門があり、二段階で本丸を守っていました。

「土浦城は、平地に築かれた城のため、厳重にしていたのだと思います」と西口さん。

試行錯誤を繰り返し、手を加えながら固められていった城塞。

現在は緑豊かな公園として親しまれていますが、実際に歩いてみると藩主を守るために門構えに工夫が凝らされていること、土浦の町を守るために防御を固めた城内の造りであることを感じることができます。

<亀城公園>
住所:茨城県土浦市中央1-13 MAP

次回も引き続き、亀城公園内を歩きます。公園内に点在する記念碑にはどのような歴史があるのでしょうか。「そんなところに、こんなものがあったの?」と驚くハッケンスポットをご紹介します。

土浦在住ライター(土浦市)

土浦市在住のフリーランスの編集・ライター。海外・国内の旅行関連のガイドブックや書籍制作をはじめ、ブライダル情報誌の編集にも携わる。食べること・飲むことが好きで、趣味が興じて最近では食を中心にWEB、紙媒体などで取材執筆活動中。地元土浦の飲食パトロール、歴史やカルチャー学習も積極的に行っています。

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