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樋口尚文の千夜千本 第51夜「リップヴァンウィンクルの花嫁」(岩井俊二監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。

偽りの海、午後の曳航

何もこの映画の内容を知らず、タイトルだけ聞かされた時、思わずくすっと笑った。リップヴァンウィンクルといえば、岩井俊二監督や私たち同級生世代の映画ファンなら一も二もなく『野獣死すべし』の松田優作を思い出すだろう。岩井監督に聞けば、やっぱりこの名前は『野獣死すべし』で知ったのだというが、しかしあの映画を観たところでリップヴァンウィンクルが何であるのかはさっぱり判らない。実はリップヴァンウィンクルとはアメリカ人作家によって19世紀初期に著された「浦島太郎」のような物語の主人公で、なんと森鴎外も「新浦島」の邦題で翻訳しているという。

だが、別にそんな知識を持たなくても本作を観るのには困らない。劇中のリップヴァンウインクルとは、Cocco扮する謎の女性・真白が架空のSNS上で名乗るニックネームに過ぎない。確かに彼女は眠り姫のように起きてこないが、別にこのニックネームが何か格別に暗示的であることもない。さしたる意味はないのである。それは黒木華(はまり過ぎなほどの好演)扮する主人公の皆川七海も同様で、彼女もクラムボンとかカムパネルラとかいくつもちょっと笑ってしまうようなニックネームを名乗っているが、なんとなく気分で思いついたものに過ぎないだろう。みんながみんな、そうやって薄い虚構の自分を仮構して、自らを守ったり、あるいは自らを直視することを避けている。本作は、そんな〈現在〉の特異な空気感のなかではたしてどんな切実なドラマを紡ぎ得るのか、その意欲的な試みである。

とにかく全篇にわたる人と人の絆の酷薄さ、胡乱さの表現がいい。ワンクリックで恋人を手に入れ、結婚までしてしまう七海。しかもその結婚式には、離婚している両親がそれを偽って出席し、親族の数を増やして体面を保つべく贋の「代理出席」メンバーが動員される。このメンバーは互いに全く無関係な人々によるバイトの寄せ集めである。この式で新郎の幼少時から現在までを次々とヤラセの子役たちが演じて、親に感謝の念を表明したりするのも本当に気色悪い。あるいは別の結婚式に至っては、客がこの疑似家族であるばかりでなく、すでに家庭のある男性が愛人に真実を話せず式まで挙げてしまっている(この紀里谷和明と中村ゆりの新郎新婦というキャスティングがケッサク)というインチキづくしである。そしてこういう虚構の数々を演出しつづけているのが、これまた「ランバラルの友だち」や「役者・市川RAIZO」(!)を名乗る安室という正体不明の男(綾野剛)である。もう何が何やら、というくらい底なしの虚構一色である。

こうした生活の虚無的なレプリカ感をいつもながらの柔らかなリリカルさの皮膜をもって描く時、岩井俊二の手腕は冴えまくる(結婚式の定番BGM集のクリッシェをもってサントラにした発想もニクい)。数々の実写映画から近作のアニメ『花とアリス殺人事件』に至るまで、この岩井調は踏襲されているが、ここで作品が焦点を結んでゆくのは、嘘だらけの酷薄な関係性のなかでかすかな絆の手ごたえを感じとろうとする一部の人々の挿話である。たとえば「代理出席」のキャストとしてかき集められただけの他人どうしがなぜか肉親以上の思いやりを持っていたり、パソコンを通じたバーチャルな家庭教師の生徒が七海に特別な信頼を示したり・・・といったような意外な出来事があるのだが、そのきわまった例がリップヴァンウインクルこと真白だ。

この嘘臭さの洪水のような世の中で、真白は稀有なイノセントさをもって生きているがゆえに壊れている。彼女がいかなる横顔をもっていて、好意を寄せた七海にどんな意表をつくきっかけを作って接近しようとするのか、そのあたりは観てのお愉しみとしたいが、ガラス細工のごときリップヴァンウインクルの繊細さと優しさ、傷ましさをCoccoが見事に体現してみせる。そしてまた、彼女の母に扮したりりィのたたずまいは圧倒的だった。彼女がとある意外なアクションに打って出て、渾身で無念と痛覚を表現する演技は、ここまで描かれてきた虚構づくしの世界を無言のうちに蹴飛ばし、痛烈に批判してやまない。この泥臭さを隠さない号泣によって、七海と安室がむき出しの感情に「開眼」し「解放」される場面の劇的な高揚は、ちょっとこれまでの岩井作品ではお目にかかれない突出点であった。

それにしても興味深いのは、ファウストに対するメフィストフェレスのごとくに、七海に下手に忠誠を表明しつつ彼女を操作しようとする安室である。そもそも七海が「別れさせ屋」の手管でさんざんなハメられ方をして離婚に追い込まれる時も安室は暗躍しているのだが、かといって彼を全く悪党とは思えないのが不思議だ。実際、安室は七海に悪意はなく、最後まで陰に陽に救いの手を差し伸べ続ける。それゆえに安室が「別れさせ屋」の片棒を担いでいるとしても、インチキな結婚にどこか納得していない七海の本心に応え、彼女の背中を押している感じに見えるのだった。「自分は口説かれない」と思っているのにいつしか安室のそばに接近している七海に対し、安室は「距離を縮めたのはあなたの方ですよ」と言って焦らせる。そんなふうに、安室は七海を翻弄するというよりは、彼女の思うところを引き出して曳航する「触媒」みたいな存在なのかもしれない。この一筋縄ではいかない飄々と浮遊するような安室像を演じて、綾野剛はきわめて印象的であった。

3時間にも及ぶ長尺だが、こうしたユニークな設定と展開によどみなく、岩井俊二のフィルモグラフィにあってすこぶる重要な作品となることだろう。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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