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社会人野球・日本選手権 大阪ガス、大会連覇。四番・末包昇大の涙のわけは……

楊順行スポーツライター
社会人野球の日本選手権決勝が行われた京セラドーム大阪(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「2年前の優勝のときは、試合にも出られなくて……」

 2安打2打点の活躍。2打点目は、決勝点となる勝ち越しの一打だった。そして7回には積極的に走るチームらしく盗塁も決めた。そのことに触れると、「188センチ、110キロですが、足は遅くはないんです!」と上機嫌だった末包昇大が、「よくやった、自分」と自賛してから涙ぐんだのは、ルーキーだった2019年の大会ではまるで出番がなかったのを思い出してのことだ。

 入社1年目から「規格外に飛ばす」(橋口博一監督・当時)と大砲に期待された。東洋大時代には、トレーナーから「ゴルフのドラコンプロになれ」と本気で勧められたほどだ。だが、社会人投手のレベルに太刀打ちできず、フォームを一から見直した。

「入社直後から活躍する同期が多く、出遅れ感がありました。フォーム固めが実りつつあったのが、昨年です」

 たとえば東芝とのオープン戦では、左翼に張られたネットの上部まで飛ばし、「初めて見た」と東芝のスタッフ勢を驚愕させた。コロナ禍で公式戦が少ないなか、シーズン通じて四番に座り、オープン戦では6本塁打を記録した。「今年は公式戦でそれだけ打ちたい」。現在は1本塁打にとどまるが、シーズン本番はこれからだ。

 4試合で16打数7安打と当たっていた末包はこの決勝でも、3回に三塁線を破るタイムリー。2対2と同点で迎えた5回2死二塁では、右前に渋く落として勝ち越し点をたたき出す。9回2死から、優勝のウイニングボールを処理したのもライトの末包だった。

「1年目の悔しさが、この試合にすべて出ました」

小栁は2度目の首位打者賞

 この試合、あえて勝敗の分岐点をあげれば、まずは継投だろう。大阪ガスは、大会初登板の秋山遼太郎が2失点したところで前回大会最高殊勲選手の阪本大樹にスパッとリレーし、8回からはこの大会の最高殊勲選手・河野佳へ。一方の三菱重工は、先発の大野亨輔が5回に4連打されてもガマンした。6回途中から登板した長島彰が残りを1安打と好投しただけに、早めの交代という手もあったかもしれない。

 それと、四番。小栁卓也は4試合で16打数10安打と当たっていたが、この試合ではいずれも無走者の4打席で凡退した。この小栁、三菱重工名古屋が44回大会で優勝したときの首位打者。今季、三菱重工グループの再編で名古屋から横浜に移り、当初は六番を打ったが、3月末から四番に座る。やはり名古屋から移った佐伯功監督は、

「このチームでもう1回勝負するというたくましさを感じる。野球にひたむきで、メンタル面もたくましくなった」

 と小栁を評価する。メンタル面、で思い出したことがあった。

 かつて小栁を取材したときのこと。14年に名古屋に入社し、2年目から四番を任されていたが、17年の都市対抗では補強選手にその座を奪われた。さらにJR東日本との2回戦では、無死満塁のチャンスに田嶋大樹(現オリックス)から空振り三振。チームも結局、完封負けを喫した。

「あれを忘れちゃいけない。外野フライでも、最悪内野ゴロ併殺でも1点という場面なのに、どこかで気負いすぎ、あわよくばヒットを、という中途半端な気持ちもありました。その前年もやはり、チャンスで山岡(泰輔・当時東京ガス、現オリックス)から三振なんです。確かにいい投手ですが、それを打たないと上には行けません」

 そう語っていたものだ。その後は、「自分で勝手にプレッシャーをかけていたのを直すようにしてから、少しずつ結果が出た」と、優勝した18年の日本選手権では首位打者賞に輝いている。そして、今年も。チームは初優勝を逃したが、小栁自身は2度目の首位打者に輝いている。前回は七番だったが、今度は堂々の四番として、だ。そして……山岡や田嶋からの三振がひとつのきっかけだったように、この準優勝が飛躍へのロイター板となるか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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