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何故、サイバー攻撃? ハッカー集団「ラルズ・セック」の当事者が気持ちを吐露(2)

小林恭子ジャーナリスト

「ネット上でいつも面白いことを探していた」

ハッカー集団「アノニマス」の分派として、2011年に活動した「ラルズ・セック」(ラルズ・セキュリティー)。広報担当役としてメッセージを発信した青年ジェイク・デービス(現在21歳)にインタビューした。

現在のジェーク・デービス(撮影 Minako Iwatake)
現在のジェーク・デービス(撮影 Minako Iwatake)

デービスは2年間の実刑判決を受けたが、身柄が拘束されていた期間を加味し、実際に刑務所に入っていたのは38日。出所後には夜間外出禁止令が課され、足には行動を追跡するために電子タグがつけられた。2年間、インターネットの利用が禁止された。

ラルズ・セック参加当時、デービスは18歳。自分でも認める「引きこもり」状態で、コンピューターにかじりつく日々をすごしていた。

以下はデービスのインタビューの後半である。(前半はこちらから。)

―ウィキリークスが2010年ごろから「メガリークス」の発信を開始した。あなたは当時アノニマスにいたのだろうと思う。ウィキリークスについて、どう思った?

当時、自分は17歳ぐらいだった。ネット上でいつも面白いことを探していた。ネットで何かできないものか、と。そして、ウィキリークスが作った「コーラテルマーダー(「巻き添え殺人」)(=イラク米軍による民間人の誤射映像。2010年4月公開)の動画を見た。

とても衝撃的な動画だった。ネットの情報配信力のすごさを示していたと思う。普段は猫の動画を流しているようなユーチューブがすばらしいことを達成できる。その後には米国の外交文書をばらした「ケーブルゲート」事件(2010年11月)があった。大きなパワーを感じた。

「我々はアノニマス」の英語原本と邦訳版
「我々はアノニマス」の英語原本と邦訳版

―アノニマスに関わるようになったのは?

ケーブルゲート事件の後で、あるオンラインの友人がケーブルゲートについての記事のリンクを教えてくれた。ウィキリークスが資金を受け取るために使っていたマスターカードやビザ、ペイパルなどのサービスが使えなくなっているので、アノニマスがこうした企業のサーバーを攻撃しようとしていると書かれてあった。そこで、「トピアリ」として中に入り、どんなものなのか見てみようと思ったんだ。

このときまでに、7000から8000人が参加していたな。みんながウィキリークスのことを話題にしていた。何とかウィキリークスにお金が流れるようにしたがっていた。私は攻撃には参加しなかったが、これほどの数の人がものすごく熱くなっていて、行動を起こそうとしていた状況はこれまでに見たことがなかった。4チャンのようにとても早いスピードで、変化の波が起きていた。

すごいなと思ったよ。でも、一旦は通信を閉じてしまおうと思った。そこでラップトップを閉じて、何か別のことをやって、眠ってしまった。起きてからラップトップを開けてみたら、まだスイッチが入っていたことが分かった。

8000ぐらいの反応が数十万規模に膨れ上がっていた。政治運動に変わっていた。そのときは、「アラブの春」のチュニジアの市民を助けたがっていた。市民がフェイスブックにアクセスできるように、行動を起こそうとしていた。

―自分はハッカーの活動家=ハクティビストであると思っていたか?世界を変えようと?

17か18歳の頃、インターネットは世界を変えるほどの力を持っていると思っていた。だから、反政府の動きを見ているのはとても刺激的だった。政府がネットへのアクセスをブロックできると思っていた国で、状況を変えることができるなんて。この頃から、トピアリとしての活動に熱中するようになった。

―ラルズ・セックの活動を振り返って、どう思うか。

今から3年ほど前のことで、現在の自分にとっては言葉遣いなどについて赤面するばかりだ。ただ、何かは分からないが何かをやろうとしていたのは確かだ。

「逮捕されるかもしれないとは思っていた」

―何故50日間で、活動を停止したのか。

英国に住むメンバーの数人が状況を俯瞰して眺めたとき、思いがけずこんな大きなハッカーの集団を作ってしまったことに驚いた。大きな数の支持者たちができていた。同時に、すべての権威に反抗する人たちが出てきた。特定の個人や組織を過激な手法で攻撃しようとしていた。この時が分かれ目となった。

私は当時16歳の(といっても当時年齢は知らなかった)「Tフロウ」(実名はムスタファ・アルバッサム)とチャットをしていた。普段、私たちは真剣なことを話し合ったりはせず、個人的なことも話さなかったが、ある日、自分たちが思うような方向ではない方向にラルズ・セックが進んでいると2人とも思っていることが分かった。そこで、すべてを止めることにした。逮捕されたのはその直後だ。

―逮捕の予感は?

閉鎖の2-3週間前には逮捕されることもあるかもしれないとは思っていた。

―警察が来たときは、どんな感じだったのか?

他の人間との接触が少ないところで1人で住んでいたので、ドアの外に人がやってきたのを見たとき、自分に起きたことだとは信じられなかった。

トピアリという名前のオンライン上の人物と生身の自分とが乖離していた。オフラインでは、トピアリがまったく存在していないように感じていた。刑事がトピアリとしての自分について話していたが、奇妙な感じがした。

―いつ、ぴんと来たのか。

逮捕から6-7ヵ月後にやっと意味が分かった。あまりにもいろいろな感情があってー。

その後、ネット活動を2年間、禁止された。時々、怒りを感じたが、当初はネットが使えなくなってほっとしたぐらいだった。次に進むための唯一の道だったと思う。誰かに止めて欲しいという思いもあった。

ーネットが使えなくなって、どうやって時間を過ごしたのか?

事件の関連書類を見ながらすごした。検察側が印刷したものを自宅に送ってくれた。ネットの活動を紙で読むという体験だ。裁判のために準備をしたり、仕事を見つけようとしたり。ただ、職探しをするとメールアドレスを聞かれる。何故メールが使えないかを説明しなければならず、複雑になった。

―家族とはどうなったか。

逮捕後は母と一緒に暮らした。夜間外出禁止令があって、足首には電子タグがついた。

家族は非常にサポーティブだった。複雑な事件だったけれど、単に物を盗んだようなことではないと分かってくれた。幸運だったと思う。これほどのサポートを家族から得られない人もいる。

2011年に逮捕され、2013年に2年の実刑判決が出た。フェルタム少年院で38日間を過ごした。

―刑務所での周囲の反応は?

他の受刑者はほとんどの人がギャングやドラッグ関係の犯罪で入っていた。いろいろな人がいたよ。自分はインターネットの犯罪だったということで、一目置かれていた。最初は独房で、次に父の車を壊した青年と共同部屋となった。

―空き時間はどのように使ったか。

ほかの受刑者で単語のつづりを知らない人につづりを教えていた。文章を読んだり書いたりできない人がこんなにも多いことを初めて知った。

どんな受刑者も家族に手紙を送りたがる。家族もどんな様子かを知りたがる。他の受刑者が書いた手紙をチェックしたりした。

―以前は引きこもりで、人との付き合いが苦手だったようだが、刑務所でもまた今も、非常に社交的に見えるが。

2年間、ネットへの接続を禁止されていたので、オフラインでの友達を作るようにしてきた。複雑な、本当の人間と話すのはとても面白い。

―現在、ネット利用にはどのような制限がつくか。

当局が監視していると思う。利用履歴を消すことを禁止されている。ファイルを暗号化して使ったりなどができない。遠隔操作で人のコンピューターを使うことも禁止されている。

2018年5月までは、私のネット上の行動を当局がいつでも必要に応じて見ることができるようにしてある。といっても、テクノロジーの進展はあっと言う間なので、今後2年で規制の中身がどれほど意味を成すのかは分からないがー。

例えば、コンピューターの利用のすべてが暗号化されているのがデフォルト設定になっていたら、どうするか。暗号化されているものはすべて使ってはいけないというのでは、何も使えなくなる。規制は変わってゆくだろうと思う。

こうした規制を非常に厳しいものだと受け止める人もいるが、もっと厳しい条件の人もいる。

「事件についてどう思うかを答えるのは難しい」

―逮捕直前の自分の行動をどう思うか。過去の行動を否定したいという思いはある?

その時々によって、思いは変わる。今からだと3年前の話だ。ずいぶんと昔のことに思える。2-3年前までは話しにくかった。生々しい記憶だったからだ。

どう思うかについて、答えるのは難しい。

多くの若い人が、自分たちがどんな人間で何を到達したいのかを理解する過程で、いろいろな馬鹿げたことをする。

当時自分たちが使っていた言葉とかやっていたことを考えると、寒気がする。困惑する。10代の少年たちの苦悶がぶちまけられるのを見ることになるからだ。自分は非常に未熟だった。

しかし、あんな体験をしてよかったと思う。回復することができた。

アラブの春への支援については、今でもすごいことだったと思っている。ハクティビズムのよい例だった。

検察からの書類を見ながら、自分がやったことを確認していった。どこで間違えたか。知ることには自己治療な意味があると思う。起きた事の良い部分を拾い上げ、これからも続け、悪い部分は後に残していこうと思っている。

―他のメンバーに対してはどう思う?米当局に通報した形になったサブーについては、怒っている?

怒ってはいない。

後でラルズ・セックのメンバーの何人かと英国で会った。以前は互いと連絡を取り合うことを禁止されていたが、この春から許されるようになった。初めて顔を合わせたが、いい感じだった。

サブーがラルズセックの活動に一番思い入れがあった。誰よりも。彼は私たちよりかなり年上だし、何が起きているかを知っていた。私たちは何が起きているかを理解できないままに動いていた。急激にいろいろなことが起きて、それぞれ学びながら対応していた。

サブーはラルズ・セックに一番力を入れた人物だったー。彼が今どう思っているのかは分からないけれど。

―彼に会う予定は?

計画はないが、他のメンバーには会った。ムスタファは、当時16歳で頭脳明晰な男性だった。会ってみると、お互いにルービックスキューブが好きだったことが分かった。ムスタファは頭がいいので、数十秒で完成させてしまう。私は2-3分かかるので、教えてもらっている。互いに互いのことをいろいろ知るようになった。

―今は何をしているのか?

映画や芝居の台詞についてコンサルティングしたり、映画会社でパートタイムで働いている。

「子供たちを助けたい」

―今後は?

いろいろなイベントで話してみたい。パネリストとして出てみたい。テーマはデジタルスキルなど。

今後2-3年は、学校などで多くの若い人に向けて話しても見たい。引きこもりや人と接触することができない症状に悩む子供たちが助けを必要としているかもしれない。

自分が13-14歳の頃、誰か自分と同じような症状を克服した人ととても会いたかった。どうするべきかを教えてもらうというよりも、知識を増やしたかった。だから、自分の経験を共有できればと思う。

14-15歳の少年たちで、何かをやりたくても、実際には何をやったらいいか分からない人たちがいる。報酬をもらうためと言うよりも、ほかのことをやって家賃を払い、それとは別にやってみたい。

―以前に、ラルズ・セックで架空の名前を使ってネット活動をやることで、大きな高揚感、興奮を体験したという話を聞いた。現在、高揚感を持てる対象は見つかったのか?

今何かそういうものがあるかと聞かれれば、今はすべてに、毎日の出来事に触発されている。もっと旅行もしてみたい。13-14歳の頃は、いつか飛行機に乗って、いろんな人に会って、いろんな文化を知りたいと夢見ていたから。今年は、パスポートが返ってきて、外国に行けることになった初めての年だ。人生で初めて外国に行ったのが10歳の時だ。学校でイタリアに旅行に出かけた。今年はアムステルダムに初めて行った。美しい都市だった。パスポートを手にし、普通の市民のように滞在できた。

―ラルズ・セックでは広報担当としてさまざまなメッセージを出していた。言葉遊びもたくさんあった。どこで文学的能力を取得したのか?

自分はとても自分に対する批判が強いので、若いときに書いたものは困惑しすぎて読めないぐらい。怒りに満ちていて、ダークだ。そのときにいた場所の雰囲気を反映している。

―刑務所では読み書きがまともにできないばかりか、きちんと文章を話せない人がいたと聞いたが。

悲しかった。多くの若者は何度も刑務所を出たり入ったりしていた。家がないも同然で、刑務所が家になっていた。言葉を学ぶ機会を持てなかったのだろう。人によって、何が普通かの定義が違う。刑務所にいることが普通だと思う人もいる。

私が刑務所に送られる車の中にいたとき、隣に座っていた人が「家に帰る」という話をしていた。その「家」とは刑務所であることを知るには時間がかかった。

コンピューターのスキルを持っていること、普通に読んだり書けたりすることが特別なことであることを、刑務所に行って実感した。

―たくさん、本を読むのだろうか?言語能力の高さの源を知りたい。

テレビがないので、読むことは読むよ。1つの言語しか分からないので、複数の言語を理解できる人にジェラシーを抱く。他の言葉も勉強したい。

―どんな本を?

本と言うより、学術論文、マニュアルを。古い機械の作り方とか。フィクションなら面白い視点があるもの。村上春樹は好きだよ。娯楽だけではなくて、何か新しい発見がある小説がいい。家には大きな本棚があったことを覚えている。

―日本について

村上を読み、最近は見ていないが、日本のアニメのスタイルが好きだ。日本は一度ぜひ行って見たい国の1つだ。

―日本で見たいものは?

秋葉原のアーケードに行くだろうな。秋葉原の。スーパーモンスターのゲームなど。カラフルな大きな音がするようなものが好きなので。

ーネットについての考え方は、変わったか?

特には変わっていない。

―元CIA職員エドワード・スノーデンのリーク情報を元にして、米英政府が大規模な監視行動をネット上で行っていることがわかった。国家的な監視に対する警戒感が広がったが、これについてどう思うか。

報道によれば、英情報収集機関の1つGCHQでも、意外と若い人が監視員であったりする。諜報機関に勤める人が離婚して、元の妻を監視するために監視機能を使っていたという記事を読んだことがある。誰かがあなたの行動をいつも見ている、すべてを見ている、と。怖い状況だ。

フェイスブックも秘密裏に心理テストをやっていた。将来、政府が秘密裏に収集した情報を使うかもしれない。実際に、政府がどんなことをやっているのかは分からない。こうしたことを若い人に教えるべきだと思う。

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ジェイク・デービスに興味をもたれた方は、ツイッターや「ASKFM」のサイトをのぞいてみてはと思う。

また、アノニマスとラルズ・セックの事件の一部始終は、「我々はアノニマス」という本(邦訳はヒカルランド社から刊行、著者は米フォーブス誌のパーミー・オルソン氏)に詳しい。ご関心のある方は一読をお勧めしたい。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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