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何故、サイバー攻撃?  ーハッカー集団「ラルズ・セック」の当事者が気持ちを吐露(1)  

小林恭子ジャーナリスト
ハッカー集団「ラルズ・セック」のツイッターサイト

「何かをやりたかったけど、それが何か分からなかった」

3-4年ほど前、一定の社会的意図を持って大企業や政府のウェブサイトを攻撃し「泡を吹かせる」-そんな行動に熱狂した若者たちが英語圏で注目を浴びた。話題をさらったのは「アノニマス」、そしてその分派「ラルズ・セキュリティー」(通称「ラルズ・セック」)。「ラルズ」は「Lulz」とつづり、「大笑い」を意味する。「大笑いのセキュリティー」とは、名前からしてユーモラスだ。

今月末まで、ロンドンのロイヤル・コート劇場ではラルズ・セックの活動をドラマ化した芝居「インターネットは真剣なビジネス」が上演されている。

台本を書いたティム・プライスは、アノニマスやラルズ・セックのメンバーたちの行動を一種のハクティビズムと捉えている。ハクティビズムとは「ハッカー行為をする」「問題を解決する」という意味の「ハック(hack)」と社会的・政治的な改革を目指す行動主義「アクティビズム(activism)」を合成させた言葉で、政治的な目的のためにコンピューターを使って行動を起こすことを指す。若者たちは、寝室でラップトップを操りながら「大きな資本主義の権力に集団として戦った」とプライスは見る。

米フォーブス誌のパーミー・オルソン記者によると、アノニマスとは悪ふざけ、あるいは抗議の手段としてインターネットを混乱させる人々の名称で、利用者が匿名を使う画像掲示板「4chan(フォー・チャン)」に書き込むときに、特定のハンドル名を使わずに「アノニマス」(名無し)として投稿することに由来している。アノニマスには明確な指導者はおらず、「ゆるやかなネットのルールを順守する流動的な集まり」だ。

アノニマスの名前が広く知られるようになったのは、内部告発サイト「ウイキリークス」によるメガリーク。サイトの創始者ジュリアン・アサンジは、英ガーディアン、米ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズ、仏ルモンドなど欧米の主要紙と協力し、2010年以降、米軍や米政府の機密書類を続々とリークして、世界中の注目を浴びた。

米クレジットカード会社ビザカード、ネットの決済サービス、ペイパルはウィキリークスがサービスを使えないようにし、資金を得る手段を奪った。このとき、アノニマスのメンバーはビザカードやペイパルのサイトを攻撃し、ウィキリークスを援護射撃的に支援した。

2011年、中東の複数の国で民主化を求める運動が発生。「アラブの春」と呼ばれる現象となってゆく。運動を抑えようとするチュニジア、エジプトなどの政府サイトにアノニマスが攻撃をかけ、一時使えないようにしたこともあった。

ラルズセックの勃興と顛末

ラルズ・セックのツイッターアカウント(現在は停止中)
ラルズ・セックのツイッターアカウント(現在は停止中)

ラルズ・セックはアノニマスの分派として2011年春、活動を開始。ハンドル名「トピアリ」と「サブー」が他数人のアノニマスの参加者とともに立ち上げた。「権威ある対象に恥をかかせ、笑う」目的でのサイバー攻撃を次々と手がけた。

米国のタレント勝ち抜き番組「Xファクター」の出演者のデータベース、米映画会社フォックスのウェブサイトのユーザーのパスワード、ソニー・ピクチャーズのユーザー情報、FBI関連のインフラガード社のウェブサイトなどを攻撃した。米CIAのサイトを一時ダウンさせたのもラルズ・セックだった。

「大笑いセキュリティー」と名づけるだけあって、ラルズ・セックが自分たちのイメージとして使ったイラストもユーモラスだった。シルクハットをかぶり、モノクルをつけた男性が葉巻を吸っているイラストだった。現在も30万人を超えるフォロワーがいるツイッター・アカウント(今は活動停止中)から発信されたつぶやきはユーモアや言葉遊びに満ちていた。

ラルズセックは2011年6月26日、50日間の活動を終了すると宣言した(ただし、7月にもハッキングを一度行っている)。その後、メンバー数人らが続々と逮捕された。後で分かったことだが、リーダー格の米国人ヘクター・ザビエル・モンセガーが米当局に逮捕され、司法取引に応じていた。これがグループのメンバー摘発につながった。

2013年5月、コンピューター関連法に違反したとして有罪となっていた英国在住のライアン・クリアリー(当時21歳)、ライアン・エイクロイド(26歳)、ジェイク・デービス(20歳)、ムスタファ・アルバッサム(18歳)に判決が下された。クリアリーには32ヶ月の禁固刑、エイクロイドには30ヶ月、デービスには24ヶ月、アルバッサムには2年の執行猶予付きの20ヶ月の実刑が下った。

何故?を聞いてみた

その後の英国在住のハッカーたちがどうなったのか?私は気になっていた。何故こうした行為を行ったのか。現在はどう思っているのだろう?

ラルズ・セックの広報担当役として、ユーモラスなメッセージを発信し続けた青年ジェイク・デービス(現在21歳)に昨年秋、あるイベントで出会った。その後、何度か会話を重ね、長いインタビューを記録する機会を得た。

デービスは2年間の実刑判決を受けたが、身柄が拘束されていた期間を加味し、実際にロンドン郊外のフェルタム少年院に入っていたのは38日。出所後には夜間外出禁止令が課され、足には行動を追跡するために電子タグがつけられた。2年間、インターネットの利用が禁止された。

パスポートの利用も禁止されていたが、国外に出ることが許されたのは今年夏以降。現在はネットの利用が可能だが、2018年まで、暗号化ツールを使えないことになっており、ネットの利用状況は当局が監視している。利用履歴を消すことができない状態だ。

ラルズ・セック参加当時、デービスは18歳。自分でも認める「引きこもり」状態で、コンピューターにかじりつく日々をすごしていた。昔、自分が発信していたメッセージや書き込みの文句を目にすると、「ぞっとする」と今では言う。

犯行当時はスコットランドに住んでいたが、生まれはイングランド地方。英国では家庭環境や教育程度によって話し方が変わる。デービスはスコットランド特有のアクセントはなく、ロンドンで生まれ育った、かつ非常に聞きやすい発音で話す。饒舌に、社交的に話す様子を見ていると、かつて引きこもりであったことが信じられないほどだ。

デービスの生の声をお伝えしたい。

英ロイヤル・コート劇場前のデービス(撮影Minako Iwatake)
英ロイヤル・コート劇場前のデービス(撮影Minako Iwatake)

―生まれはどこか?

ジェイク・デービス:イングランド地方だ。それから遠く離れたシェトランド諸島に引っ越した。

―イングランドのことは何か覚えている?

本当に小さい頃だったので、覚えていない。ホステルに住んでいた。転々としていたらしい。普通の家というものはなかった。5歳から6歳の頃、シェットランド諸島に行ったのだけれど、これが最初の記憶かな。町には89人しか住んでいなかったんだよ。孤立した場所だった。そこに12年ぐらい住んでいた。

―最後のほうは1人暮らしだったんだよね。

そうだ。17歳で家族を離れた。1年ぐらいして、逮捕された。当時は1人で住んでいた。一人暮らしをしているといろんな事が起きる。

―10代の頃は数学にとても興味があったと聞くが。

そうだったよ。最初にコンピューターを買ったとき、うれしくて。どうやってウインドウを開けたり、閉じたりできるのか、学んでいた。ある場所をクリックすれば何らかの機能を実行できることは分かったけど、どうしてそうなるのか、知りたかった。

―それは何歳のときか。

12か13歳ぐらい。ダイアルアップ接続がブロードバンドに変わりつつある頃だった。だんだん処理速度が速くなっていた。コンピューターをつけていると、ハミング音が出る。何故こんな音が出るのか、知りたかった。何故ハードライブの中であんな風に部品が回るのか知りたかった。そんな興味がたくさんあった。コンピューターにとりつかれていたと言ってもいい。何故かを知りたかった。

―自分で学習したのか?

そうだよ。学校は13歳でドロップアウトしたから。退屈でたまらなかった。あの学校の教育体制はだめだった。自分は無視されていた。

インターネットは質問をするためには最高だった。だからいろんなフォーラムやヤフーで質問をすれば答えてくれるサービスなどに加入した。答えを知りたかった。

インターネットに行けば、誰かしら必ず専門家がいる。知っている人がいる。たくさんのコミュニティーがある。例えば、どうやって洗濯機を直すのか、100のアイデアを持っている人がいるとかね。

フォーラムなどにたくさん加入して、ばかげた質問をしたよ。何も知らないアマチュアのような、単純な質問だ。きつい言葉がよく返ってきた。でも、試行錯誤を重ねながら、いろいろなことを学んでいた。そうやって何年もが過ぎた。

ー質問をするとき、実名を使っていたの?

うーん、覚えていない。13か14歳の頃は実名を使っていたんじゃないかな。でもどこかで、架空の名前を使うべきと言う投稿を見た。そこで架空の名前をたくさん使った。14歳ぐらいから。17から18歳にかけて、それまでの投稿をすべて消すようにした。投稿それ自体が命を持つようにしたくなかった。ネットの外に本当の生活があるようにしたかった。

―1日中ネットを使っていたとき、どんなことに一番時間を費やしたか?チャットルーム?

チャットとかフォーラムとか。自分は常にいろいろな文化を持つさまざまな種類の人と知り合いたいと思っていた。自分が住んでいた小さな町では不可能だった。だから、コンピューターは「窓」だと思っていた。世界について知るために、世界の違う場所にいる人と友達になるために。チャットルームに集まって、何でも話したよ。これから公開される映画や本のこととか。他の人の視点を知りたかった。知識とか意見とかに飢えていた。とても孤立した住環境、家庭環境だったから。

―家を出て、遠くの都会例えばロンドンに行きたいとか、思わなかったの?

自分はナイーブだったんだ。何か大きなことをやりたかったけど、それがなんだか分からなかった。どこからも遠く離れた場所に住んでいたので、外に出たら何があるのか、想像できなかった。何かやりたいということは分かっていたけど、それが何か分からない。そしてインターネットに吸い込まれていったんだ。

日本語で、こういう状況を説明する言葉があるね。コンピューターづけになって、部屋にずっといること。

―引きこもりのこと?

そうだ。自分は少しそうだったんだ。

ーテレビは見なかったの?

テレビを持っていなかった。インターネットだけだ。ユーチューブで動画を見た。

ー家族(母と弟)は何も言わなかったの?部屋から出てきなさい、インターネットをやめなさいとか?

そう言っていたよ。でも、最後はあきらめたようだ。17歳で1人暮らしを始めるまで、インターネットを1日中やっていた。1人になってからはもっとコンピューターにのめりこんだ。家族は僕をサポートしてくれた。たぶん、僕はコンピューターに時間を割きすぎていたんだと思う。

―自分ではこんなことをしていてはいけない、外に出なきゃとかは思ったのか?

難しいバランスだった。自分では外に出て、いろいろなところに行って見たい。何かしてみたい。でも、それがなんだか分からない。あんなさびしいところでは、何かをすることが難しかった。何かをしようとしてもがいていた。自分に刺激を与えるほどの何かを見つけることができなかった。悪しき循環というわけだ。何かをしたかったけど、町が小さすぎた。はるかに面白いことにインターネットに行けば毎日、出会えた。健康的ではなかっただろうけど、それが現実だった。

ーアノニマスやラルズセックのメンバーたちも出没した4チャン(日本の2チャンネルの英語版)だが、掲示板の書き込みを見ると、会話のスピードがものすごく早い。「このホモ野郎」とか、攻撃的なあるいは差別的な言葉も頻繁に使われている。どう受け止めていたのか?

当時は14か15歳。使っているうちに慣れた。使い始めてすぐに分かったのは、4チャンを使う人はとても攻撃的に、侮辱的に振舞うようにとある意味では期待されているということだった。利用者と4チャンの場以外で会ったことがあって、4チャンというのはインターネット上の舞台なんだと思った。あそこに行って、見世物を演じる。できうる限り攻撃的になるんだ。

4チャンでの言動を実際にオフラインでする人に会ったことがない。4チャンに行けば、あんなふうに発言する。誰しもがそうする。

4チャンを使うなら、あの雰囲気に適合しないと。利用する人はみんなそうしてる。普段利用しない人からすれば、確かに異様かもしれない。誰しもが最も早く、最も攻撃的な言動をしようとするのだから。

―一種のゲームのような感じ?

一瞬、4チャンの場にいるときだけかぶるマスクのようなものだろう。過激な4チャンの場は必要だろう。その後で、穏やかな普通のインターネットの世界に戻るためにも。4チャンもそうだし、アノニマスのイメージボード(掲示板)もそうだ。使うときには一種の仮面が必要となる。

心理学にとても興味を持っている。自分が利用者になるというよりも、どうやって機能しているのか、知りたかった。

―15-16歳ごろ、よく行っていたウェブサイトは?

ソーシャルメディアを使ったことはなかった。ツイッターの人気が出始めた頃だった。時間を最も費やしたのはオンラインゲームだろう。ゲーム類のサイトだな、よく行ったのは。すばやくカーソルを動かすようなサイト。それと、ウィキペディアをよく読んでいた。マニュアル類も毎日のように読んでいた。特に目標があったわけではない。時間をつぶすためだ。ネット上で他の人と話したり、静かに知識を蓄積していた。新しい友達を作ろうとしていた。

友達を作るって言うのが本当に大きな問題だった。引きこもりだったから、実際に友達が誰もいなかった。オンラインで話ができる、最高に面白い人を探していた。スカイプ、音声チャットなんかをやっていたな。ヘッドフォンをつけてね。

―ネットの上では友人たちがいたわけだ。

そうだ。オンラインコミュニティーに参加していた。実際には誰かを互いに知らずに通信していた。

―オンラインの匿名での会話は特別な感情を引き起こすことがある。時として、オンライン上での自分の発言を後悔するとき、リアルの人生で言ったときよりも強い感情を引き起こす。そういう経験はないか?

その意味はよく分かる。その逆の場合もあるだろう。自分の場合は文字の裏に人がいることが実感できなかった。逮捕されてからやっと、人間がいることが実感できた。

―ラルズ・セックでは「トピアリ(Topiary)」という名前を使っていたが、その前にどんな名前をオンライン上で使っていたのか?

覚えていない。14か15歳の頃、仮名を使っていたとき、きっとコンピューターのオタクがするように、異様に長い名前だったんじゃないかな。数字と文字、大文字小文字とかを組み合わせて。

―仮名を使っていると、その仮名が生み出す、1つの性格ができていくね。

そうだ。だから、2-3ヵ月に一度、名前を変えていた。でないと、1つの性格に固まってしまう。周りの人はあるプロフィールを作り上げてしまう、1つの名前に。後でそんなプロフィールにそぐわない発言をしたりするようになる。だから、時々変えた。

でも、トピアリについては長い間使っていた。おそらく、間違いだったと思う(逮捕につながったから)。7-8ヶ月ぐらいだろうか。ほかの名前はたくさんあったので覚えていない。(つづく)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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