【「鬼滅の刃」を読む】遊郭で働く遊女は、どのようにして客引きを行っていたのか
「鬼滅の刃」遊郭編は、当時の情景をうまく描いている。「遊郭編」の予備知識として、遊女がどのようにして客引きを行ったのか紹介することにしよう。
■室町・戦国時代における客引き
室町・戦国時代において、遊女が客引きを行った記録は、いくつかの史料で確認できる。
風狂の禅僧として知られる一休和尚の『狂雲集』には、京都の西洞院辺りで遊女が客引きを行い、自宅に招き入れたことを記している。一休和尚は、遊女と戯れていたことで有名だ。
文中に「地獄(売春行為をする女性の意がある)」あるいは「加世」という、当時遊女がたむろしていた辻子(ずし:十字状の道)の名がみえる。
この頃の遊女は、相手の家を訪ねるのではなく、自宅でことを済ませていたらしい。自宅といっても、あばら家同然のものだったに違いない。
そうした客引きの光景は、朝鮮官人・宋希璟(そうきけい)の日本紀行記『老松堂日本行録』(15世紀初頭の日本の様子を記録)にも描かれており、事実と見てよいであろう。
しかし、自宅に客を招き入れるのは、まだ下級クラスの遊女だった。高級な遊女は、相手の邸宅を訪問していたのである。つまり、高級な遊女の相手は、富裕層だったのだろう。
■手引きの手順
遊女が客を手引きする手順は、『猿源氏草紙(さるげんじそうし)』(室町時代の成立。作者未詳)にその方法が描かれている。
その手順を示すと、まず遊女はそれぞれが源氏名を持っていた。源氏名とは、女性が職業上で用いる別名の一種である。
当初、『源氏物語』の巻名に基づいたネーミングだったが、のちには巻名と関係のない名前も源氏名というようになった。
現在でも風俗関係の店に行けば、よほどのことがない限り、そこに勤務する女性(あるいは男性)が本名を名乗っていることはないだろう。
したがって、源氏名の起源は、少なくとも室町時代までさかのぼることが可能である。
客が初めて遊郭に赴くと、のちの「引き付け」(遊里で、初めての客に遊女を会わせること)と同じように、その店の遊女を集めた。これを「見立」という。客が、自分の好みの遊女を選べるシステムだった。
客はこの中から気に入った遊女を見つけると、盃を与えたのである。盃を与えるというのは、その遊女に決めたという意味である。
当時の作法は、江戸時代に通じるものがあったと指摘されている。
近世以降の京都では、遊女が島原(京都市下京区)へ集住することが義務付けられた。まだ、それ以前は各地に遊女が点在し、客引きを行っていたのであろう。
■まとめ
遊女の客引きのシステムは、江戸時代より前に完成していた。当時はまだ遊郭の規模も小さかったが、江戸時代は各地に遊郭街が誕生し、よりシステマチックなものに変貌したのである。