生まれて来なかったはずの馬がレコード勝ち。そのウィナーズサークルに藤沢調教師が現れなかった理由とは
生まれてこないはずの馬でレコード勝ち
1分19秒4。
レコードの赤い文字が光る。
5月11日、土曜日の東京競馬場。この日のメインレース、京王杯SC(G2)をタワーオブロンドンがレコードタイムで制した。しかし、同馬を迎える伯楽の顔に笑みはなく、それどころかウィナーズサークルにその姿を現わす事もなかった。
タワーオブロンドンの母はスノーパインで、更にその母はShinko Hermesだ。繁殖として海の向こうでスノーパインを産んでいるため英字表記されているがつまりはシンコウエルメスであり、現役競走馬時代は美浦・藤沢和雄厩舎でデビューした。
この馬の物語は先にも記しているが、簡単にではあるが改めて洗ってみよう。
シンコウエルメスは兄姉に本場イギリスのダービー馬ジェネラスや同オークス馬のイマジンを持つ良血馬。しかし、自身は1996年4月28日に東京競馬場の新馬戦で6着したのが唯一の競走成績だった。
2戦目に向かう調教中に重度の骨折を発症してしまい「安楽死やむなし」という診断をくだされてしまったのだ。
しかし、そこで立ち上がったのが藤沢だった。
「これだけの良血馬ですからね。オーナーは繁殖に上がった後の事も考えて購入しているはずなので、なんとか命は取り止められないか?!と交渉しました。その結果、獣医の皆さんがよく頑張ってくれました」
藤沢の熱意に押された獣医師はステンレス製のネジを4本も入れる3時間に及ぶ大手術を施行。術後に苦しむシンコウエルメスに対しては藤沢厩舎のスタッフが全員で一丸となって対処した。すでに競走馬としての復帰はかなわないと分かっていたシンコウエルメスのために馬房と人員を割くこと実に3ヶ月。最終的に一命を取り留めたシンコウエルメスは繁殖に上がる事が出来た。
そうして生まれて来たのが皐月賞馬ディーマジェスティの母エルメスティアラであり、タワーオブロンドンの母スノーパインだった。つまり、ディーマジェスティもタワーオブロンドンも、本来なら生まれて来ないはずの馬だったというわけだ。
そんなタワーオブロンドンは2017年7月の新馬戦を快勝してデビューすると、11月には京王杯2歳S(G2)で重賞初制覇。その直後の朝日杯フューチュリティS(G1)こそダノンプレミアムの3着に敗れたが、翌18年にはアーリントンC(G3)で重賞2勝目。そして重賞3勝目となったこの京王杯SCは冒頭に記したようにレコードタイムで快勝してみせた。
伯楽がウィナーズサークルに行かなかった理由
さて、レース後、私は面白い場面に遭遇した。
後検量を終え、タワーオブロンドンとその関係者がウィナーズサークルへ向かう地下馬道を歩き出した時の事だ。藤沢は全く反対方向へ歩を進め出したのだ。「おや?」と思った私はすぐに駆け寄り、口取りに行かないのか?を問うと、伯楽は言った。
「アレスを見に行ってくる」
この京王杯SCに藤沢はタワーオブロンドンの他にサトノアレスとスターオブペルシャを出走させていた。ところがサトノアレスは馬場入場後、左前肢をハ行したため競走を除外された。だからレース直後、藤沢はサトノアレスの関係者に真っ先に頭を下げていた。そして、勝利したタワーオブロンドンの今後の予定を聞こうとする報道陣の前に姿を現さなかったばかりか、表彰式にすら顔を出さず、サトノアレスの様子を見に行ったのだ。
伝え聞くところによると、サトノアレスは不幸中の幸いでそれほどの重症ではなかった模様だ。また、タワーオブロンドンに関しては安田記念に向かうのか否か、オーナー関係者と相談の上、近日中に結論を出すらしい。いずれにしろ藤沢のことだ。馬優先で最善の道を選ぶ事だろう。今後の彼等の動向に注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)