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オールスターゲームも「新庄劇場」? 過去にもあったファイターズの「球宴ジャック」

阿佐智ベースボールジャーナリスト
エスコンフィールド北海道

 新庄監督率いる北海道日本ハムファイターズがオールスターゲームを席巻しそうだ。両リーグトップの120万票超を集めた外野手の万波中正を筆頭に、指名打者以外の全てのポジションでファイターズ勢がトップを占めているのだ。外野手は3位までが「当選ライン」で、ここだけは2位、3位に首位を独走しているホークス勢力が食い込んできているが、現在のところ、指名打者、外野手2枠以外の9つの枠がファイターズ勢で占められている。

 ファン投票はすでに23日に締め切りを迎えており、最終発表でもファイターズ勢がファン投票を席巻することが確実視されている。

かつて「組織票」で物議をかもしたファイターズ

 実は過去にもオールスター戦で「ファイターズ・フィーバー」が起こったことがある。

 1978年のオールスター戦は、広島、甲子園、そして当時のファイターズの本拠、後楽園で実施された。このとき、ファン投票で9つのポジションの内、当時黄金時代真っ只中だった阪急ブレーブスのリードオフマン、外野手の福本以外の8つのポジションが全てファイターズの選手で埋め尽くされたのだ。

 「地元開催」とは言え、当時、後楽園の主と言えばジャイアンツ。そのジャイアンツの選手でさえ、一塁手の王と外野手の柴田のみの選出。ブレーブスにぶっちぎりの前期優勝を許し(当時パ・リーグは前後期制)、13ゲーム差の3位に終わったファイターズの面々がオールスターのファン投票を独り占めするのはいかにも不自然だった。

 オールスターゲーム組織委員会が調査すると、ファイターズ球団が3万5000人のファンクラブ会員に5枚ずつ投票用紙を送って自軍の選手への投票を促していたことがわかった。自軍のホーム開催に向けた涙ぐましい努力と言えばそうなのだが、このことが明るみになると、球団は、8人のうち2人に出場を辞退させた。そのうちのひとり、ルーキーの古屋英夫は、この悔しさをバネに翌年もレギュラーを死守。ファン投票でオールスターに選出されたが、この時は誰も文句を言わなかった。

圧倒的な人気で「球宴ジャック」したジャイアンツとタイガース

 日本のプロ野球のオールスター戦のファン投票は、個々の選手の活躍度よりも人気球団の選手が選出される傾向が強い。とくにセ・リーグではそうで、1980年代には「全国区」人気を誇っていたジャイアンツの選手の名がとにかく目立った。

 1983年のオールスターでは、外野の山本(広島)、田尾(中日)以外の7つのポジションが巨人の選手で占められた。

 これを上回ったのが昨年の阪神タイガースだ。とにかくこのチームのファンは熱しやすく冷めやすい。チームが好調な年のオールスターゲームとなると、セ・リーグのベンチを黄色に染めてしまう。

 昨年38年ぶりの日本一を成し遂げたこのチームだが、その予兆はすでにオールスターゲームに現れていた。投手3ポジションを含む全11ポジションのうち外野の秋山(広島)を除く10ポジションを虎戦士が席巻したのだ。無論この結果は熱いタイガースファンの自発的な後押しによるもので、誰も意義を唱えることはなかった。

 この勢いのまま行けば、ファイターズ勢の「球宴ジャック」は、これら名門球団のそれに肩を並べるものになる。

オールスターゲームの権威を守るため断固とした措置をとったMLB

 実は「組織票」は海の向こうのメジャーリーグでも起こっている。

 1957年のオールスターゲームはカージナルスの本拠、セントルイスで開催された。日本とは違い、メジャーのオールスターは1試合のみ。当時の球団数でも、2つ球団のある都市は別として、確率的には16年に一度。オールスターゲームに対する開催地の熱狂は、日本の比ではない。したがって、地元ファンの投票熱も高まるのだが、蓋を開けてみると、カージナルスから選出されたのはファーストのスタン・ミュージアルのみ。のこりの7人(投手は投票の対象外)は、遠く離れたシンシナティを本拠とするレッズの選手で占められていた。

 調べてみると、レッズ球団やシンシナティ地元メディアの過剰とも言えるバックアップが発覚した。総投票数の約半数がシンシナティ発のもので、ひとりで1000票以上も投票したファンもいた。これを憂慮したレッズが属するナショナルリーグとMLBコミッショナーは、「当選」したうち2人のオールスター出場を無効とし、その上、ファン投票そのものも廃止してしまった。

 ファン投票は、実に1970年まで12年もの間なしとなり、復活した際には、投票はスタジアムのみでの受付となった。ちなみにこの年の開催地は奇しくもシンシナティ。レッズファンも反省したのか、このときはサードのトニー・ペレスとキャッチャーのジョニー・ベンチの2人だけがスタメンに名を連ねた(メジャーのオールスター戦ではファン投票トップの選手がスタメンを務めることになっている)。

 しかし、こうなると今度はこんな現象が起こった。

 1979年のオールスターのファン投票において、「投票箱設置合戦」が起こったのだ。これは東海岸のチームに多く見られ、通常はせいぜい1桁に落ち着いていたのだったが、フィラデルフィアのベテランズスタジアムには実に56個の投票箱が設置されることになった。この甲斐あって、西海岸のシアトルでの開催にもかかわらず、フィリーズからは4人がスタメンに名を連ねた。

北の大地で過去に行われたオールスターゲームは「無風」

札幌ドームでは3度オールスターゲームが開催された。
札幌ドームでは3度オールスターゲームが開催された。

 地元開催ということで、開催地のファンの投票熱が高まるのは日本でもこれまでもよくあったが、さすがに今年のファイターズのようなフィーバーは過去にはなかった。

 ちなみに北海道でオールスター戦が行われるのは今回で3回目のことである。

 最初に開催されたのは、札幌ドームが開場した2001年のことだ。ただしこのときはまだファイターズは道民にとって「おらがまちのチーム」ではなかった。翌年に控えたサッカー・ワールドカップの会場として建てられたこのドームでは、1992年に始まった「地方球場枠」でオールスター第3戦が実施された。

 2004年シーズンからファイターズは北の大地を本拠とするのだが、各球団の本拠を持ち回りで開催していることもあって、札幌にオールスターゲームがやってくるのは2009年まで待たねばならなかった。ちなみにこのときファイターズからファン投票で選出されたのは、エースのダルビッシュの他、抑えの武田久、外野の稲葉に加え、この年巨人から移籍してきた二岡が、楽天の山崎、ソフトバンクの松中らの強者を抑えてDHとして選出された。

 その後、2013年に札幌ドームにオールスターゲームはやってくるが、これがこの球場最後のオールスターゲームとなった。この時は、ファイターズからは3人がファン投票で選出され、中継ぎ投手として増井浩俊、外野手として中田翔、そして大谷翔平が選ばれている。

 こうやってファイターズの本拠として札幌ドームが使われていた過去2回のオールスターゲームを振り返ると、地元開催ということでとくにフィーバーじみたこともなく、2009年の二岡を除いては、順当な選手がファン投票によって選ばれていることがわかる。そういう意味では、今回のフィーバーぶりは、エスコンフィールドという器、新庄監督によるチームの盛り上げ、それになんと言っても大方の下馬評を覆すチームじたいの躍進を前に、ファイターズファン以外の野球ファンが、新球場初のオールスター戦を後押ししようと「ファイターズびいき」に回ったことが大きな要因だろう。

 最終中間発表の結果を今一度見てみると、ほとんどのポジションが2位に大差をつける「安全圏」にいる。2位に一番迫られているショートの水野でもオリックスの紅林と約9万票差をつけているので、ファイターズの「球宴ジャック」は間違いないだろう。さらに言えば、外野では4位の松本剛がけがで欠場中のソフトバンクの柳田に9000票弱の差にまで迫っており、最後に逆転し、「3枠」に滑りこむこともありうる。

 残念なのは、昨年までのチームの低迷もあって「ボス」である新庄監督がオールスターのフィールドには立たないことだ。就任以来、様々な批判を受けながらも、自分の信念を貫き、ファイターズというチームの「スクラップ&ビルド」を成し遂げたその功績は大きい。テレビ中継の解説くらいでは登場してほしいものだ。

「マイナビオールスターゲーム2024」のファン投票最終結果は7月2日に発表される。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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