グランアレグリアで連覇を狙う藤沢和雄師が、初めて安田記念を制した時の逸話
530キロでデビューして、3年後に安田記念制覇
1994年2月、今でいう3歳時にその馬はデビューした。舞台は東京競馬場のダート1400メートル。この新馬戦での体重は530キロあった。
「最初から大きな馬なので脚元を中心に壊さないよう、普段以上に気にかけました」
管理する藤沢和雄がそう語ったこの馬は、名をタイキブリザードといった。
ダートでおろしたのも馬なり調教に終始したのも、全て大きな馬体を考慮しての事だった。
強く追えない分、惜敗を繰り返す事も多い馬だったが、それでも重賞で2着を繰り返し、オープン入り。デビューから1年と少し後の95年にはGIの安田記念に駒を進めた。
結果、ここは3着に敗れた。しかし、藤沢は一貫して軽めの調教を貫いた。
「まだまだ成長する馬ですからね。壊してしまえば元も子もありませんから……」
まるでコップから溢れた水は戻せないとばかり、理由をそう語った。そして実際に最初の挑戦から2年後の97年の安田記念を見事に優勝させたのだ。
ちなみに安田記念を制した時の馬体重は546キロ。デビュー戦より16キロも増えていた。先頭でゴールするのを見た瞬間、伯楽の「まだまだ成長するし、壊すわけにはいかない」という言葉が鮮やかに脳裏に蘇ったのをよく覚えている。
入厩時から打った手も「ちょっと考えれば分かる事」
最後にもう一つ、細心の注意を払っていた姿勢を記そう。
通常、厩舎の馬房はそれぞれに前扉が付いている。これは当然だが、その馬房の前にはハナマエと呼ばれる廊下があり、そのハナマエと外を隔てる壁にある外扉は馬房の数より明らかに少ない。つまり、①前扉から外扉まで真っ直ぐ歩いて出入り出来る馬房と、②前扉を出た後、ハナマエを歩かせてからでないと外扉から出入り出来ない馬房、があるのだ。
藤沢は大型馬を必ず①に該当する馬房に入れる。勿論タイキブリザードも例外ではなかった。その理由を伯楽は当時、次のように語った。
「大きい馬をクネクネと歩かせれば捻挫する可能性も高くなりますからね」
確かにその通りではあるが、なかなかそこまで考察した話を聞いた事はなかったので、それを伝えると、後の1500勝トレーナーはニコリともせず真顔で答えた。
「馬のためにちょっと考えれば自然と分かる事でしょう」
タイキブリザードが安田記念を制してから干支がふた回りした今年、藤沢はグランアレグリアを同じGⅠに送り込む。デビュー当初は450キロ台だった体が近走では常に500キロ前後。大事に育て成長を促す姿勢は今でも変わっていないという事だろう。3年連続でこのレースを走ったタイキブリザードは3→2→1着という成績だったが、昨年の覇者グランアレグリアは今年、どんなパフォーマンスを披露してくれるだろう。名調教師の手腕に期待したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)