Yahoo!ニュース

ロシア軍のシリア撤退 3つの狙い

小泉悠安全保障アナリスト
撤退式典を行うシリアのロシア空軍部隊(写真:ロシア国防省)

昨年9月、突如としてシリアに軍事介入を行って世界を驚かせたロシアが、今度は突然の撤退発表によって耳目を集めている。その狙いはなんなのか。

シリアを離れていく空軍機の姿から考察してみたい。

突然の撤退発表

3月14日、ロシアのプーチン大統領は、シリアに展開しているロシア空軍部隊主力に撤退を命じたことを明らかにした。理由は、ロシア軍の任務が概ね完遂されたため、としている。

これについては、撤退完了期限が示されていないこと、ロシア軍が展開していたアル・フメイミム航空基地やタルトゥース港の物資補給拠点が「これまでどおり機能する」とされていたことから、実際にはデモンステレーション的な撤退に過ぎないのではないかとの見方もあった。

ところが翌3月15日、ロシア国防省は、アル・フメイミム基地を次々と離陸するロシア空軍機の映像をリリースした。

撤退第一陣となったのは、ロシアがシリアに展開させている中で最も強力な対地攻撃力を有するSu-34戦闘爆撃機である。ロシア軍が現在調達中の新鋭機で、どす黒い迷彩塗装の爆撃機が次々と離陸していく様子はなるほど「撤退」を実感させる。

映像には少なくとも4機のSu-34が写っており、これはシリアに展開していた機体のほぼ全力と思われる。

シリアから帰還し、歓迎を受けるSu-34のパイロット
シリアから帰還し、歓迎を受けるSu-34のパイロット

さらにロシア側の報道によると、今後は12機ずつ配備されていたSu-25攻撃機とSu-24戦闘爆撃機も順次撤退の予定であるという。

ロシア国防省のサイトでも、大型輸送機を先導機にして順次撤退するなど細かい撤退手順を明らかにしており撤退は今後とも続く可能性が高い。

ちなみに第一陣のSu-34はすでにロシア本国の基地に帰還している。

何が「これまでどおり」なのか

しかし、こうなるとアル・フメイミム基地が「これまでどおり機能する」という話はどうなってしまうのか。

実はアル・フメイミム基地には上記の攻撃機や戦闘爆撃機のほかにも、主に対航空機戦闘を任務とするSu-30SM戦闘機とSu-35S戦闘機が配備されており、上記報道ではこれらの撤退について言及がない。

また、アル・フメイミム基地には最新鋭防空システムS-400など複数の防空システムが展開しているが、これも撤退するとの情報が今のところ見られない。

つまり、今回の撤退では地上攻撃部隊が撤退する一方、防空戦力はシリアに残る、ということになる可能性がある。

シリア撤退:3つの狙い

仮にこの見立てが正しかった場合、今回のシリア撤退に関するロシアの狙いははっきりしてくる。

すでに指摘されているように、今回のプーチン大統領によるロシア軍撤退決定は、ジュネーブでのシリア和平協議再開とほぼ同時であった。つまり、ロシアとしては今後のシリア和平を有利に運ぶための撤退であったと言える。しかも、そこには複数の狙いが見て取れる。

1. シリア和平をめぐる対西側関係の改善

第一に、ロシアがシリアでの空爆を継続していることは欧米諸国から非難の的となっており、シリア和平に関するロシアと西側の協力を難しくしていた。これに対してプーチン大統領は、今回の撤退発表に先立ち、オバマ米大統領と電話会談を行って撤退開始の意向を明らかにしていた。撤退を米露関係改善のシグナルとする姿勢が見て取れよう。

2. トルコ・サウジアラビアへの牽制

しかし、第二に、ロシアにとって都合の悪い軍事活動が行われることをロシアは認めるつもりはない。特にロシアの軍事プレゼンス低下の隙をついてトルコやサウジアラビアがシリア領内への軍事介入を行うことは絶対に認められず、それだけに防空戦力は残したものと思われる。サウジアラビアは2月、トルコのインジルリク基地にF-15S戦闘爆撃機を展開させてシリア介入を伺うような動きを見せていたが、ロシアの空軍力が存在する限りは純軍事的にも政治的にもシリア介入は困難であると思われる。トルコも昨年11月のロシア空軍機撃墜事件以来、シリア領内への空爆は行っていないとされる。

3. アサド政権への圧力

第三に、シリアのアサド政権への圧力が考えられる。昨年9月末にロシアが軍事介入を開始して以降、一時は崩壊寸前とまで見られていたアサド政権軍は大きく勢力を盛り返すことに成功していた。それだけにアサド政権は停戦に消極的と見られ、アサド大統領はプーチン大統領による退陣勧告をはねつけてきたと伝えられる。こうした中でロシア空軍の対地攻撃部隊が撤退してしまえば、停戦が破られた場合、アサド政権軍は再び劣勢に陥りかねない。

このように、米国、トルコ、サウジアラビア、そしてアサド政権への複合的な影響力を狙ったのが今回の撤退劇なのではないか、というのが現時点での筆者の見方である(もっとも、以上は現時点での観測であり、今後は撤退の実際を注意深く観察する必要があろう)。

戦費負担軽減の狙いも

もちろん、シリアでの戦費が膨大な負担になっていることも事実である。

ロシア経済の危機は歳入のおよそ半分を占める原油価格の下落という構造的な要因によるものであり、当面は劇的な改善は望めない。

シリアでの軍事作戦の費用は1日200万ドルとも800万ドルとも言われており、このような経済状況下でいつまでも続けられないことは明らかであった。プーチン政権は当初、国防費だけは経済危機下でも削減しないとしていたが、昨年は予算補正でついに国防費削減に踏み切り、今年も国防費の5%カットが予定されている。

この意味でも、シリアでの軍事作戦縮小が必要とされていたことは間違いないと思われる。

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

小泉悠の最近の記事