その悲劇は避けられたかもしれない。10代による殺人事件の衝撃から生まれた青春物語『最初で最後のキス』
王道青春ラブストーリーを想像させるタイトルですが、イヴァン・コトロネーオ監督のイタリア映画『最初で最後のキス』(原題:Un Bacio)は、いわゆる青春ストーリーとは一味違います。青春の甘さも苦さもポップな映像をふんだんに交えて描かれますが、脚色も手がけたコトロネーオによる原作小説は、2008年にアメリカで起きたティーンエイジャーによる殺人事件に衝撃を受けて書きあげたものなのですから。
高校で浮いた存在だった3人の生徒がかけがえのない絆で結ばれたにもかかわらず、その恋と友情がある出来事をきっかけに軋みはじめる物語は、彼らを襲う悲劇の原因も見つめさせてくれるのです。
北部の地方都市ウーディネ。トリノから愛情深い里親のもとにやってきたロレンツォ(リマウ・グリッロ・リッツベルガー)。ある噂から“ヤリマン”と呼ばれているブルー(ヴァレンティーナ・ロマーニ)。バスケ部の主力選手でありながら内向的な性格ゆえに“トロい”と、部内でもバカにされているアントニオ(レオナルド・パッザッリ)。
男女3人のティーンエイジャーを描く青春映画では恋のトライアングルは定番ですが、最近はそのうちの1人が性的マイノリティというのも珍しくありません。本作では、ロレンツォがそう。転校初日から派手な服装で “オカマ”と呼ばれても、臆せず自分らしさを貫く強さを持っています。ゲイである彼を受け入れない生徒たちの意地悪な視線を、自分への賞賛に脳内で変換してしまうことで、ポジティブなエネルギーを作品に漲らせる存在でもあります。
転校初日に意気投合したブルーも、陰口を叩く連中を相手にしない強さの持ち主。下品な落書きをされるのも、自分が女子たちの憧れの先輩と付き合っていて妬まれているからだというあたりには、同級生たちへの優越感すらうかがえるほど。
やがてアントニオも仲間に加わり、3人は常に行動をともにするようになるのですが、もちろん、ここにも恋のトライアングルが。想う人には想われず、想わぬ人に想われるという恋愛のままならなさが、まだまだ人生に不器用なティーンエイジャーであるがゆえの一層のもどかしさやせつなさを募らせながらも、彼らが過ごす時間のなんと眩しいことか。
自分たちを仲間外れにする生徒たちへ仕掛ける、やり過ぎな攻撃に不安が募ったりするものの、崇拝するレディー・ガガの『Born This Way』などヒット曲とともに繰り広げられるロレンツォのポジティブ妄想が随所に挿入されることとあいまって、映像はポップ。その軽快さは、ときに、彼らの未来に悲劇が待ち受けていることを忘れさせるほど。
その一方で、自分とは対照的に優秀で人気者だった亡き兄の幻影と自分の部屋で何かにつけて対話するアントニオがまとう重苦しい空気や、決して取り戻すことのできない日々を振り返るブルーによる内省的なモノローグは、彼らを待ち受ける悲劇への不安をかきたてずにいません。
そんな三者三様の個性を映し出すトーンは、紋切り型ではないそれぞれの家族の関係や描写とあいまって、親と子の関係を見つめさせるものにもなっています。
そんなふうに丁寧に描かれる3人の幸福な時間が眩しければ眩しいほど、彼らが招く事態は衝撃的で痛ましい。けれども、コトロネーオ監督は、この物語を悲劇のままで終わらせません。
誰しも世間の偏見や誤解は恐ろしい。でも、もうちょっとだけ勇気と知恵と、そして自分とは違う他者を受け入れる寛容さがあれば、この悲痛な出来事は避けられたのではないかということを見せてくれるのです。
それも、物語の余韻をポジティブなものに変える方法で。
そこにこそ、この作品の素晴らしさがある。
そして、それは、悲劇を避けるための勇気や知恵や寛容さが、主人公たちのようなティーンエイジャーだけではなく、一人前になったつもりの大人にも必要なものだと改めて気づかせてくれるのです。
原作にはなかった映画オリジナルのキャラクターであるブルー。自分が置かれていた酷い現実を知り、深く傷つきながらも、立ち上がる彼女の存在が効いています。
『最初で最後のキス』
6月2日(土)より新宿シネマカリテほか公開中。全国順次ロードショー。