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「ブッチャーブラザーズ」、今や副社長&コミッショナー!一番弟子「アンジャッシュ」に贈る言葉とは?

島田薫フリーアナウンサー/リポーター
「ブッチャーブラザーズ」リッキーさん(左)とぶっちゃあさん(撮影:すべて島田薫)

 デビュー直後から、若手の登竜門となるお笑いコンテストで二冠を達成するなど、勢いに乗っていた「ブッチャーブラザーズ」。芸歴41年を迎え、リッキーさんは芸能事務所「株式会社 サンミュージックプロダクション(以下、サンミュージック)」の副社長に、ブッチャーさんは芸人草野球リーグのコミッショナーになりました。講師としても多数の後輩を導いてきた実績があり、生徒第1号は「アンジャッシュ」。コンビ活動を再開させた今の2人に何が必要か、力強い言葉を贈ります。

—リッキーさんは、去年4月に「サンミュージック」の副社長に就任。経緯は?

リッキー:かいつまんで話しますと、「サンミュージック」にお笑い部門ができて、僕らが戻ってきて24年になります。最初は5年半ぐらい誰も売れなかったんですけど、ダンディ坂野が思いのほか大ブレイクして、その後、ヒロシ、カンニング竹山、小島よしお…などが続いて、お笑い部門のプロデューサーとして僕も会議に出ていたんです。社長や幹部社員もいる中で、僕の話に説得力があったんでしょうね(笑)。社長に「会議もリードしてしゃべってくれるし、裏の方はどうか」と言われたのが11年前。それが取締役だったんです。

 最初は「あくまでも芸人のスタンスであり、芸人プロデューサーなので、それに相方も、師匠の森田健作もいますし、できません」と答えたんです。ぶっちゃあは「えーっ」と驚きつつも、「いや、よかった。頑張ってくれよ!」と。去年、副社長になった時は「クビにしないでくれ」と言われました(笑)。

ぶっちゃあ:そうそう。言った、言った。

リッキー:森田健作氏は喜んでくれましたね。最初は、森田氏の部屋に住み込みの付き人でしたから。

ぶっちゃあ:付き人が副社長になるって、木下藤吉郎(豊臣秀吉)みたいなもんですね。

—ぶっちゃあさんも肩書きが増えていると?

ぶっちゃあ:私は草野球のコミッショナーをやっていまして、事務所の垣根を越えた「お笑い芸人草野球リーグ」を2006年に立ち上げました。それが、4チームから今10チームまで増えまして、きょうも雨が降って(活動を)中止にするのかどうするのか、朝から電話がかかってきて大忙しです。

—副社長の仕事はどんなことを?

リッキー:いろいろなことをやります。書類にハンコを押す仕事もありますし、重い決断、つらいことも多いです。プレイヤー・マネジャーのことも分かっているので、現場から上がってきた案件の最終判断、長く所属してきた人に今後の話、予算に関しては今まで通らなかったライブ・コンサートを通したりしていますね。

—芸人と役員の両立は大変なのでは?

リッキー:僕は、最初は映画の制作やカメラに興味を持ってこの世界に入ってきたので、もともと裏方志向があるんです。それに役員としての大変さと、芸人としての大変さは種類が違うので、どっちが大変ということもないですね。

—割合は?

リッキー:感覚としては、9:1で会社のことですね。これでも一応経営の一端を担っているので(笑)。「1しか芸のこと考えないのか?」と思われるかもしれないけど、40年もやっていると、生活の1割、芸のことを考えていたら十分ですよ。ぶっちゃあさんは0.5くらいですよ(笑)。

ぶっちゃあ:僕は99.5は野球のことを考えています(笑)。年に2~3回はライブをやっていますし、周年ライブは5年ごとと、間隔は五輪よりちょっと長い程度でやっていますから。

—育てた後輩で“化けた”なと思うのは?

リッキー:「アンジャッシュ」渡部建です。児嶋一哉と渡部建は、僕らが「プロダクション人力舎(以下、人力舎)」に所属していた時代の生徒第1号。僕らが最初にお笑い学校の講師をやった時の、初めての弟子なんです。

 児嶋は最初、あいさつはできないわ、昼頃しか家を出ないような日々を送っていたのが、そのうち朝からお母さんの弁当を持って学校に来るようになって。特に、ぶっちゃあさんはそこら辺は厳しく指導していたので、お母さんが「うちの子が普通の生活をするようになりました」と、八王子から菓子折りを持ってあいさつにこられました。

 1年経った頃、児嶋は3人目の相方として、「高校の同級生です」と渡部を連れてきたんです。渡部は、児嶋とはまるで違って如才なく、あいさつはできるし、きちっとしていました。それがどこかで歪んでいったんでしょうね。

ぶっちゃあ:そこは言わんでいいとこや。

—彼らが再生するためにはどうしたらいいと思われますか?

ぶっちゃあ:まず、ライブをやった方がいいですね。僕らも1ヵ月ぐらいずっと稽古をしているとしんどいですけど、やはり芸人はネタをやったら楽しいんです。

リッキー:こう言うと、番組関係者で手を差し伸べて復活を考えている人とは相反するかもしれませんけど、テレビだと、どうしてもまだ反感を買ってしまう。まず本人たちがしっかりコンビとして舞台をやることが大事で、客席からヤジを飛ばされてもちゃんとしゃべる、ちゃんとコントをやっている、という状況を作る。芸人を救うのは、やはり芸だと思います。

ぶっちゃあ:芸人は、ネタをやるというところに戻った方が絶対いいし、僕はやるべきだと思います。お客さんにも見てもらえますし、ネタをやると相方と向き合えるんですよ。

リッキー:ネタでぶつかっていると、「お前何であんなことしたんだ」とか、「お前の生活は、遊び方はどうだ」とか「性格が」みたいな余計な話にならないんです。ネタの話でガンガンやるので、ネタが終わったらそのまま帰ってもいいんです。

ぶっちゃあ:だから僕は、ネタをやることが、すべてがスムーズに動く可能性につながると思います。そうなってほしいです。「アンジャッシュ」はせっかくコンビなんですからね。児嶋がピンでやっていた頃から見ていますから、知っているからこそ、2人一緒にやってほしいんです。

—コンビで長く続ける秘訣は?

ぶっちゃあ:以前、渡部が“『売れるためにはやめないこと』、これが「ブッチャーブラザーズ」に言われた一番大事なことです”と言っていたんです。そんなこと言ったかなと思いましたけどね、僕の座右の銘にしました(笑)。

リッキー:「続ける」と決めているのなら、ケンカしようが何をしようが「続ける」というところに戻ればいい。シンプルな理由ですね。僕らも嫌なことがあったら「もうやめや」とケンカしたことはありますけど、稽古したりネタの話をしたら終わるんですよ。だから、続ける秘訣は「考えすぎないこと」ですかね。

—今後の事務所の展望を教えてください

リッキー:やはり、歌を売りたいです。うちの会社には「平成」という時代がない!平成の時代の31年、1人もNHK『紅白歌合戦』に出てないでしょ。昭和から平成になる前は、最高で4〜5人出ていたんです。それは誇りでした。「サンミュージック」という名前ですから、僕は歌を売りたいと思っています。だから、今後は『紅白』と言わず、ジャンルを問わず、歌のシーンをにぎわせたいです。

—「ブッチャーブラザーズ」の目標は?

ぶっちゃあ:どれだけ地面に当たらないように“低空飛行”を続けるかですね。結構大変なんですよ、上の売れていてる人からも、下の若手からも見えないところをずっと飛んでいくのは。

リッキー:ギリギリ生活できるところね。この航路を見つけるのは難しいです。「売れないのによく何十年も続いてるよね」とか「東京芸人界の七不思議だよね」と失礼なことを言う人もいますけど、ほっといてくれ!

—解散の話が出たことは?

リッキー:若い時は合わないこともありましたけど、今は全くないです。僕らは芸人になる前は、東映・京都でチャンバラをやっていました。NHK連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』に出てくる「条映」のモデルとなった、「東映」の先輩後輩なんです。

 ぶっちゃあさんは優等生で、映画村のポスターの初代モデルなんですよ。僕が下級生で、あそこでは鍛えられました。東映時代を含めると、もう47年ぐらいの付き合いですから、親兄弟や今の家族よりも長く付き合ってますんでね。お互いに何を考えているかも分かります。

—コンビは永遠ですか?

リッキー:やめる気はないです。どっちかが先に死んでしまうまでですね。おもしろいじゃないですか。ずっとやっている人がいるのも。

ぶっちゃあ:僕は今60代後半ですけど、70代80代でネタをやっていたらおもしろいなと思いますね。どんな風になるのかやってみたいです。

リッキー:どちらかが体が動かなくなっても、車いすを使ってでも、2人でコントをやりたいです。

【インタビュー後記】

リッキーさんの副社長就任は、その人柄と経営手腕を買われての抜擢だったそうです。決してお飾りではない本物なのだと、事務所幹部も胸を張ります。リッキーさんの、常に落ち着いて全体を見てくれているような安心感。ぶっちゃあさんの底抜けに明るく、いてくれるだけで笑顔になってしまうような存在感。どちらかが軸でしゃべっている時は、もう一方が絶妙な合いの手を入れながら、話が肉付けされていきます。自然に主軸を変えながら話が進んでいくのが心地よく、話が逸れてもリッキーさんが、しっかり質問の答えが出るように導いてくれます。50年近く一緒にいてあの穏やかな空気感は、それ自体が宝物に思えました。

■「ブッチャーブラザーズ」

東映京都撮影所で出会う。大部屋俳優の斬られ役として活動中、森田健作の付き人として上京し、1981年「ブッチャーブラザーズ」を結成。『お笑いスター誕生』など、若手登竜門といわれるコンテストに出場し、『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ」で12代目チャンピオン、『ザ・テレビ演芸』で第4回グランドチャンピオンになる。「サンミュージック」がお笑いから撤退した時期には「人力舎」へ移籍。スクールの講師を務め、多数の生徒を抱える。1997年11月、「サンミュージック」のお笑い部門設立に伴い、再び所属。2022年4月「ブッチャーブラザーズ40周年+1記念単独ライブ 副社長とコミッショナー」を開催した。

■リッキー(本名:岡博之) 1958年9月8日生まれ、京都府出身。2021年4月1日、サンミュージックプロダクション副社長に就任。

■ぶっちゃあ(本名:山部薫) 1954年11月25日生まれ、京都府出身。2006年、「お笑い芸人草野球リーグ」を立ち上げコミッショナーに。

フリーアナウンサー/リポーター

東京都出身。渋谷でエンタメに囲まれて育つ。大学卒業後、舞台芸術学院でミュージカルを学び、ジャズバレエ団、声優事務所の研究生などを経て情報番組のリポーターを始める。事件から芸能まで、走り続けて四半世紀以上。国内だけでなく、NYのブロードウェイや北朝鮮の芸能学校まで幅広く取材。TBS「モーニングEye」、テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド!スクランブル」で専属リポーターを務めた後、現在はABC「newsおかえり」、中京テレビ「キャッチ!」などの番組で芸能情報を伝えている。

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