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五輪サッカー 回想・25年前、マイアミの奇跡【その1】

楊順行スポーツライター
1996年アトランタ五輪での中田英寿(写真:アフロ)

「ボールは丸いアルヨ。だから、なにが起こるかわからないね。ニッポン、歴史を作るかもしれないよ」

 隣に座っているおっちゃんは、トルコから来たとか。親日国でもあるし、アジアのよしみでの外交辞令だろう。なにしろ日本の相手はブラジル。当時の大相撲でいえば、小兵・舞の海が怪力無双の大男、横綱・曙に挑むようなものだ。

 1996年7月21日、米国はフロリダ州マイアミのオレンジボウル。28年ぶりのオリンピック出場だった日本は、初戦でブラジルと対戦する。いわずと知れたサッカー王国だ。フル代表は94年のW杯で優勝したばかり。ただし五輪ではまだ金メダルがないためベベット、リバウド、アウダイールといったばりばりのA代表をオーバーエイジで加入させ、しかも23歳以下にもロベルト・カルロス、ジュニーニョ・パウリスタ、サヴィオ、ロナウジーニョ、フラビオ・コンセイソンというこれもA代表の主力が。つまりは、ドリームチームである。

 僕はあるサッカー雑誌の企画で、日本代表の取材に出かけていた。当時の出版界は、まだまだ活況だったのだ。といっても取材のIDパスは取れず、書くのはオリンピックの空気とスタンドからの観戦記。初めてのマイアミに到着するとき、飛行機から見た町の明かりが宝石箱をちりばめたようだったことをよく覚えている。

 約5万人を詰め込んだスタンドは、ブラジルのカナリアカラーに染まっていた。9割方は、ブラジルの応援だろう。日本戦を前に、女子の中国対スウェーデン戦が行われているのに、早くも試合展開そっちのけで太鼓を叩き、歓声を張り上げるのがラテンのノリか。ウェーブはするわ、多勢に無勢の日本サポーターにブーイングはするわ、いっせいに足を踏みならすわ……のお祭り騒ぎだ。

「5点ぐらいでカンベンしたろか」的雰囲気

 試合が近づくと、陣取っていた2階席がどんどんカナリア色に浸食されてくる。このままここで日本を応援するのは、かなりの勇気が必要だ。なにしろ前後左右、

「ニッポン? まあ今日は5点ぐらいでカンベンしたろか」

 的雰囲気なのである。なにかの手違いで、甲子園の一塁側にまぎれ込んだ巨人ファンの心境だ。トルコのおっちゃんが声をかけてきたのは、ブラジルサポーターから逃れようと移動した3階席でのことだった。

 そうだ、ボールは丸いのだ。なにが起こるかわからない。いっそ舞の海ばりに、ネコだまし(舞の海が巨漢力士相手にときどき見せていたんです)でもかまそうか……といい気分でビールを飲んでいると、

「ニッポン、なかなかいいチームです。この前のメキシコとの練習マッチを見ました。1対1の引き分けで、カワグチ(川口能活)、イイネ」

 と、ブラジルからマイアミに来て3年というアンちゃん。ますますいい気分になり、

「いえいえなにをおっしゃる、ブラジル様は横綱ですから……」

 とにかく、2階席の荒々しいムードと比べると、ずいぶん友好的な空気のなか、試合開始のホイッスルが鳴った。

 予想どおり、日本はディフェンシブなシステム。服部年宏をボランチに置き、左のウイングバックには路木龍次で城彰二のワントップ。全身、これすべて守備である。チャンスが少ないのは百も承知、相手に点を与えなきゃ負けはない。でも、ほとんど守備に専念しても、ブラジルのドリームチームはいとも簡単に必死の包囲網を突破する。2人でプレッシャーをかければ、おちょくるようにその狭い間を抜けるし、ちょっとトラップでもたつけばすぐさまブラジルボールだ。

 ただ圧倒的にボールを支配されながら、前線にいるべき前園真聖や中田英寿の必死の戻り(そういえばこの2人、「ヒデ」「ゾノ」と呼び合い、カップ麺かなんかのCMに出ていたっけ)、リベロ・田中誠の冷静な指示、そして最後は守護神・川口のスーパーセーブでゴールだけは割らせない。

 舞の海たちの体を張った防御は、誠実ですらあった。会心の一撃を止められたベベットは、賞賛するように川口の頭をなでるし、3階席の友好的隣人たちは、敵味方問わずに拍手を惜しまない。しのいでしのいで前半を0対0で折り返したときは、記念にスコアボードを写真に撮った。(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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