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32歳でトップリーグに挑戦するオールドルーキー。サラリーマンと両立の日々も「特別なことはしていない」

高木遊スポーツライター
大手企業での勤務を終えた氏橋祐太(横浜グリッツ)に新橋で話を聞いた(筆者撮影)

 東京・新橋。そこにフラリと現れた長身のサラリーマン。体格を観ればスポーツマンと分かるが、トップリーグで挑戦する32歳のオールドルーキーと知れば驚くかもしれない。

 氏橋祐太(うじはし・ゆうた)は、今季からアイスホッケー・アジアリーグ(※)に参戦する横浜GRITS(以下、横浜グリッツ)に入団した大型FWだ。

※新型コロナ禍の影響で国内5チームでジャパンカップとして開催中

 横浜グリッツは所属選手が各企業でフルタイムの仕事を持ちながらプロ選手として活動するデュアルキャリアを実践していることが大きな特徴だ。氏橋も大手企業にフルタイムで勤めながら、国内トップリーグで激しく体をぶつけ合っている。そんなハードな生活を選んだのはなぜなのか。仕事を終えた氏橋に話を聞いた。

各国を転々、13歳から日本に

 1988年にアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれた氏橋。商社に勤めていた父の影響で、幼少期はチェコやウクライナでも過ごした。アイスホッケーが国技とも言えるチェコのプラハで兄の後に付いていくような形で4歳の頃に競技を始め、転勤で国が変わってもスティックを握り続けた。

「(いろんな場所で過ごしたので)どんな環境でも頑張れるというか、周りの環境が変わることは当然だし、その変化や自分と違う考えに文句言っても仕方ないなっていう“ざっくりマインド”は身につきました(笑)」

 13歳からは継続して日本におり、高校からは慶應義塾に入学。そこでもアイスホッケーを続けたが「基本的に試合は負ける」という生活だった。初心者も多いチームで、競技経験者で構成される他校には歯が立たなかった。主将であり主力選手としてのやりがいは感じる一方で試合に勝てない無力感に苛まれることもあった。「どうせ勝てない」と思ってしまうチームを変えるべく、多くのローカル大会を見つけてきては参加することを進言。こうして場数を踏み、徐々にプレーに自信が生まれたチームは同じ神奈川県内の強豪・武相高校との対戦で1年時に大差で負けていた点差が僅差になるまでには差を縮めることができた。周りを変えていく喜びを得た。

 慶應義塾大では関東大学リーグのディビジョン1にはいたが1部相当のAリーグに3年時には昇格を決めたものの4年時にはAリーグで結果を残せずに2部相当であるBリーグへの降格を経験した。ここでは優秀なGKもおりチーム全員でハードワークするホッケーをする中でスキルも向上。3年時には国内トップリーグであるアジアリーグのチームから勧誘を受けるまでになった。

氏橋祐太(うじはし・ゆうた)・・・1988年7月7日生まれ。身長188cm体重96kgの大型FW。新規参入チームの中心選手として活躍している。
氏橋祐太(うじはし・ゆうた)・・・1988年7月7日生まれ。身長188cm体重96kgの大型FW。新規参入チームの中心選手として活躍している。

アジアリーグの誘いを断り大学院へ

 さらなる高みへの挑戦のチャンスを掴める立場になったが氏橋はその誘いを断った。

「ずっとやってきたホッケーをもっと上手くなるチャンスが生まれてすごく迷いましたけど大学院に行くことを決めました。その時の将来のビジョンにホッケーはありませんでした。基本的にセカンドキャリアなんてものは無いと考えているので、一生ホッケー界で生きていく覚悟とモチベーションがあるのか?という問いを立てた時、現役中は高いモチベーションでも引退後にそこまでのものを保てる自信はありませんでした」

 最後のインカレを終えた際には「これで氷とはお別れ。良い仲間とスタッフに恵まれ、家庭の大きな協力や理解があってやることができた」と充実した思いで競技を離れた。

 そして院を出た後、大手企業に勤めて妻と長男と暮らす平穏な日々を過ごしていた。アイスホッケーはクラブチームで続けていて全国優勝を目指していたが、それは「趣味の楽しむホッケー」。第一線からは離れていた。

 そんな中で転機が訪れたのは一昨年だ。スケート靴の研磨を行いにアイスホッケーショップを訪ねた際、横浜グリッツの御子柴高視GMに勧誘を受けた。32歳、会社では部下もでき、家庭もあった。心は揺れたが「大学卒業時の決心を覆すことができない」と一度は断った。それでも御子柴GMは諦めなかった。練習試合に誘い氏橋も有休を使って参加した。そんな生活を半年続ける中で、仕事とトップレベルでの競技の両立に手応えを掴んできた。

「もし自分がこれをできたら、続く後輩のためにも力強い後押しになるんじゃないか。言い方は悪いですけど“氏橋でできたなら俺もできる”と起爆剤になれるんじゃないかと思ったんです」

 それは高校でも大学でも自らが背中を通じて「やればできる」と周りの行動を変えるような好影響を与えてきたからこそ生まれたメンタリティーだろう。また「仕事も競技も中途半端ではダメ」と言い訳にしないことも決めて決心した。

欲張っている分だけ努力する

「デュアルキャリアだからといって特別ではないと思っています」

 昨年11月21日の東北フリーブレイズ戦で初ゴールを決めて試合後の記者会見に呼ばれた際に氏橋が言った言葉だ。家庭や所属企業の理解もあって始めた仕事と競技の両立。10月の開幕からしばらく経ったが「無限の向上心と自己管理能力が求められます」という日々だ。

 主な平日のスケジュールは朝6時に起床して長男が起きたらオムツも取り替えてから7時半に朝練習に向けて出発し11時半に帰宅。そこから自宅でリモートワークを21時頃まで。ハードな日々に思えるが「同じくらい仕事をしてらっしゃる方もたくさんいますから24時間をどう使うかだと思います」と、やはり言い訳にすることなく充実の表情できっぱりと話す。

「プロとしてやっている以上“デュアルだから結果が出ませんでした”とは死んでも言っちゃいけないと思います。やっていることが違うだけで皆苦労や上手くいかないことはあって、それがどこで発生するかだけ。僕らは特別な存在ではありません。欲張っている分だけ努力しなければいけないということです」

 現在の日本の男子アイスホッケー界は開催国枠で出場した1998年の長野を除けば、1980年のレークプラシッドを最後に自力での五輪出場は40年遠ざかる。長年支えてきた企業チームが来季のアジアリーグからはすべて無くなり国内トップ5チームが全てクラブチームとなる変革期だ。

 そんな中でデュアルキャリアを掲げる横浜グリッツでプレーし「アイスホッケー界が活気づくような存在になりたいと考えています」と氏橋は強い決意を滲ませる。

 参戦初年度の今季は0勝14敗と未だ勝利は無いが、2点差以内の試合は8試合と待望の白星は掴めそうな位置まで来ている。1月9日から始まる2021年の試合でも一心不乱に勝利を目指していく。それを支える原動力は高校時代から抱く「周囲に良い影響を与えたい」という使命感だ。

※1月9日、10日の試合はリモートマッチ(無観客試合)にて行われる。

※追記:1月7日に両日の試合中止が発表。

文・写真=高木遊

取材協力=横浜GRITS

スポーツライター

1988年10月19日生まれ、東京都出身。幼い頃から様々なスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、ライター活動を開始。大学野球を中心に、中学野球、高校野球などのアマチュア野球を主に取材。スポーツナビ、BASEBALL GATE、webスポルティーバ、『野球太郎』『中学野球太郎』『ホームラン』、文春野球コラム、侍ジャパンオフィシャルサイトなどに寄稿している。書籍『ライバル 高校野球 切磋琢磨する名将の戦術と指導論』では茨城編(常総学院×霞ヶ浦×明秀日立…佐々木力×高橋祐二×金沢成奉)を担当。趣味は取材先近くの美味しいものを食べること(特にラーメン)。

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