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【難民危機ルポ】シリア難民アラン君の死がもたらした変化 海岸では子供たちが海水浴を楽しんでいた

木村正人在英国際ジャーナリスト
ギリシャ・コス島の海岸では難民の子供たちが海水浴を楽しんでいた(筆者撮影)

金色にキラキラ光る集団

[ギリシャ・コス島発]ギリシャ・コス島に渡ろうとしてボートが沈没、クルド人のシリア難民アラン・クルディ君(3歳)の遺体がトルコの海岸に打ち上げられたのは今月2日。そのコス島には今もボート難民が毎朝、漂着する。アラン君の眠るような「静かな死」は状況をどう変えたのか。ロンドンからコス島に飛んだ。

双眼鏡で海上を見つめるオランダの「ボート難民基金」のメンバー(筆者撮影)
双眼鏡で海上を見つめるオランダの「ボート難民基金」のメンバー(筆者撮影)

「漁船かな?」「いや、違う。ボートよ。難民が乗っているわ」。14日午前7時すぎ、コス島の砂浜をパトロールしていた3人の女性が走りだした。オランダの難民支援団体「ボート難民基金オランダ」のメレル・バアビークさんたちだ。

同基金の支援チームは2カ月前からコス島で活動を続けている。毎朝、午前5時半から砂浜をパトロールして、双眼鏡で海上を眺めている。バアビークさんはフリーランスのプロジェクトマネージャー。「仕事を入れるのを止めて、コス島にやって来ました」という。

難民を乗せたボートを見つけると、支援チームは車に飛び乗り、漂着地点に急行、難民に食料や水、衣服を提供している。ギリシャの沿岸警備隊だけでなく、応援のイタリア沿岸警備隊も仮設の医療施設がある埠頭にボートを誘導している。

埠頭には密航に使われたボートが乗り捨てられていた(筆者撮影)
埠頭には密航に使われたボートが乗り捨てられていた(筆者撮影)

車で移動したバアビークさんら3人の後を追いかけると、朝日を受けて金色にキラキラ光る集団が埠頭の上に見えた。最初は何かわからなかった。金色のシートを手にした難民のグループが向こうから歩いてくる。短髪の青年に英語で声をかけられた。

手にはサムスン製スマホと500ユーロ札

「どこから来たの?」と尋ねると、「シリアです」という答えが返ってきた。「いつ着いたの?」「10分前だよ」。シリアの大学生ウィッサム・ハミードさん、26歳。サムスン製のスマートフォンと何枚かの500ユーロ(約6万8千円)札を握りしめていた。

「ここはどこですか?」とハミードさんは確かめる。「ギリシャのコス島です」と筆者。「過激派組織『イスラム国』が来て、シリアはすべてがダメになってしまいました。とにかく求めるのは安全です。それ以外にありません」とハミードさんはいう。

ハミードさんはスマホでシリアに残してきた母親に電話をかけようとしたが、つながらなかった。「キラキラした金色のシートは何ですか?」と尋ねてみた。「トルコの海岸を真夜中に出ます。とても寒いので、金色の保温シートにくるまって暖を取るのです」

欧州に渡るルートの安全を確かめたら、ハミードさんは母親を呼び寄せるという。

「1文無しになった」

トラックの日陰で休んでいた家族に声をかけた。トルコ国境に近いシリア北部の要衝コバニからやって来たという。自宅も金も売り払って作った1万ドル(約120万円)はコス島に来るまでに使い果たしてしまった。「もう1文もありません。文字通りの1文無しです。シリア内戦が始まって、仕事も収入もなくなってしまいました」

シリア北部コバニからやって来たアブドルカーデルさんの家族(筆者撮影)
シリア北部コバニからやって来たアブドルカーデルさんの家族(筆者撮影)

塗装工のナーデル・アブドルカーデルさん(40)=写真左から2人目=、妻のファーティマさん(39)=右から2人目=、ディルダさん(14)=左端=、ディルシャート君(9歳)。写真右はファーティマさんの弟、フセインさん(22)だ。

コバニから「イスラム国」は掃討されたが、すべてが破壊された。コバニからイラク、トルコ、ギリシャ・コス島経由で、これからアルバニアを目指すという。午前3時にトルコの海岸を出発し、午前7時にコス島にたどり着いた。「ボートには40人ぐらいが乗っていました。エンジンは着いていなっかたので、みんなで漕ぎました」とファーティマさんはたどたどしい英語で話した。

警官がやって来て、「今夜12時から難民登録の申請を受け付けるから、警察署の近くに移動した方が良い」と、トラックの陰で休んでいたグループに声をかけた。欧州連合(EU)のルールでは、難民が最初に到着した加盟国で登録申請が行われる。個人識別のため指紋採取と写真撮影を済ませた後、登録証が発行される。

「観光客は7割減」

埠頭で釣りをしていたギリシャ人のバス運転手、チョカス・ディミトリスさん(39)は「昨日、フェリーが来て大量の難民をギリシャのピレウス港に運んだのでコス島に滞留している難民の数は大幅に減りました」という。

コス島にテント村をつくる難民。パキスタン、バングラデシュ系が多いという(筆者撮影)
コス島にテント村をつくる難民。パキスタン、バングラデシュ系が多いという(筆者撮影)

ディミトリスさんによると、冬は風が強く、トルコからやってくるボートの数もそれほど多くなかったが、波が穏やかな夏になると激増した。「多い日で700人ぐらいコス島にやって来ました。1年のうち夏が稼ぎ時なのに、この難民騒ぎで今年は昨年に比べて70%も観光客が減りました」

「シリアの難民は自宅や財産をすべて売り払ってきているので、私よりお金を持っている人もいるほどです。コス島に着いたらホテルに滞在するシリア難民もいます。シリアは内戦に陥っているので亡命申請が認められやすくなっています。コス島に滞留するケースは少ないはずです」

張り出されたリストで自分の名前を確かめる難民(筆者撮影)
張り出されたリストで自分の名前を確かめる難民(筆者撮影)

登録申請を受け付けている警察署の近くに貼りだされたリストを見ると、出身地の半分がシリア、次にパキスタン、イラク、バングラデシュ、イラン、アフガニスタンの順に多かった。宗教的迫害を恐れてイランから逃れてきた家族連れが登録証の発行を木陰で待っていた。日本で24年間過ごし、片言の日本語を話すイラン人男性もいた。

ディミトリスさんは続ける。「欧米の主要メディアは、コス島に殺到したシリア難民と警官隊が衝突したように報じましたが、シリア難民が警官隊ともめるようなことはありません。亡命申請が認められないパキスタンやバングラデシュの難民が長い間、待たされ、不満を募らせているのです。彼らはシリア難民ほどお金を持っていません」

シリアやイランからの難民は英語で取材できたが、パキスタンやバングラデシュからの難民とはコミュニケーションが取れなかった。彼らの多くがテント暮らしを続けている。ディミトリスさんによると、パキスタンやバングラデシュからの難民は10年前から続いており、コス島に居着いて働いているケースも少なくない。

待ち時間は2~3日に改善

コス島の状況は8月に欧米の主要メディアが報じた時に比べ、随分、改善していた。前出の「ボート難民基金」のバアビークさんが解説する。「まだ25日待ちというケースもありますが、平均すると2~3日で手続きが終わります。コス島に限って言えば、状況は大幅に改善しています」

「トルコが国境管理を強化したため、コス島にやってくる難民の数が激減しました。それと同時に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が地元の警察と協力して、1日300人だった登録申請の受け付けを1日700人に増やしました」

アラン君の死がトルコ国内で報じられ、衝撃を広げた。11月に今年2度目の総選挙を控えるエルドアン大統領が世論を鎮めるため、国境管理を強化したともささやかれている。

警察署の前で登録申請を待つ難民の列(筆者撮影)
警察署の前で登録申請を待つ難民の列(筆者撮影)

同基金でバアビークさんと一緒に働く看護婦のブレンダさんはこう語る。「アラン君の死が特別なものではないことを私たちは以前から知っていました。しかし1枚の写真はオランダでも大きな影響力を持ちました」

「もちろん移民排斥を唱える自由党のヘルト・ウィルダース党首のような人を支持する人は相変わらずいます。しかしアラン君の死を撮らえた1枚の写真が世界に伝えられたことで、もっと難民を支援しようという声が広がったのは間違いありません」

こうした変化は国際世論の批判をかわすための、その場しのぎに過ぎないのか。難民問題の根源はまだ何一つ解決されていない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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