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俳優の田中邦衛さん死去。中国で有名なのは『北の国から』よりも、あの日本映画だった

中島恵ジャーナリスト
北海道・富良野のラベンダー畑(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

中国からも富良野に観光客が押し寄せた

 俳優の田中邦衛さんが3月24日にお亡くなりになりました。田中さんといえば1961年に始まった映画『若大将』シリーズや、1981年から2002年まで続いたフジテレビのドラマ『北の国から』を思い出す日本人が多いと思います。

 とくに『北の国から』は北海道・富良野の大自然を舞台に、地元の素朴な人々と交流しながら、不器用な父親(黒板五郎)が男手ひとつで、苦労して2人の子ども(純と蛍)を育てるというストーリーで、多くの人々の心に深く残っていることでしょう。

 田中さん死去のニュースは、もちろん日本でトップニュースとして報道されましたが、中国や台湾など海外でも、すぐに報道されました。中国や台湾でも『北の国から』はとても有名で、リアルタイムではありませんが、のちにネットなどで見た人が多く、ドラマの影響で、富良野のロケ地には大勢の観光客が押し寄せ、大人気となったからです。

 中国人に『北国之恋』(『北の国から』の中国語タイトル)といえば、多くの人が日本人と同じように、懐かしく思い出すと思います。

 しかし、中国の報道を見ていたとき、田中さんの代表作として、もう1つ別の作品名が挙げられていることに気がつきました。それは1976年(昭和51年)に日本で公開された『君よ憤怒(ふんど)の河を渉(わた)れ』という日本映画なのですが、実はこの映画、中国では『北の国から』よりもずっと有名な作品なのです。

 今から45年も前の映画で、しかも、日本ではあまりヒットしなかったので、知らない人が多いかもしれませんが、田中さんはこの映画に短時間ながら重要な役柄で出演していたことから、今回の訃報を受けて、この映画名を田中さんの代表作の一つとしてわざわざ挙げている報道がいくつもありました。

中国人の8割が見た大ヒット映画

 なぜ、日本映画『君よ憤怒の河を渉れ』はそれほど中国で有名になったのでしょうか?

 いくつかの理由があります。まず、中国で上映されたのは日本での公開から3年後の1979年。中国語タイトルは『追捕』といいますが、日中平和友好条約が締結された翌年で、中国で初めて公開されることになった日本映画がこの映画だったことが挙げられます。

 その頃、中国では文化大革命(文革)の後で、社会全体がまだ疲弊していたこともあり、初めて上映された日本映画を観た中国人は、高倉健のカッコよさ、映画の端々に垣間見える日本社会の豊かさ、中国映画にはない描写やシーン、日本の建物やファッションなどに熱狂し、夢中になり、なんと全中国人の8割がこの映画を観たとまでいわれています。

 現在、50代後半以上の中国人なら、ほぼ確実にこの映画のことを知っている、といっても過言ではないでしょう。

中国で有名な日本映画の中国語タイトル『追捕』(中国のサイト『中国配音網』より筆者引用)
中国で有名な日本映画の中国語タイトル『追捕』(中国のサイト『中国配音網』より筆者引用)

ストーリーの内容に共感した

 映画の詳細なストーリーは省略しますが、この映画は、主演の高倉健さんが演じる検事(役名は杜丘「もりおか」)が無実の罪で突然、警察から追われることになってしまい、日本全国を逃亡し続けるという内容です。

 高倉さん演じる杜丘を強盗犯として告発するのが、田中邦衛さん演じる横路敬二という役なのです。今回の訃報を伝える報道でも、この役名まで記載されていました。他に杜丘の逃亡を助け、恋人(役名は真由美)となる女性を演じるのが中野良子さん、警部役で原田芳雄さんなどが出演しています。

 中国であまりにもこの映画が大ヒットしたため、多くの中国人は「杜丘」「真由美」という日本名を(中国語読みで)覚えたり、セリフを真似して役になり切ったりしたといいます。

 また、この映画が大ヒットした他の理由として、中国の人々は、ストーリーの内容(無実なのに理不尽な思いをする)と文革中に起きた出来事とを重ね合わせて共感したから、などともいわれています。

 私はこの映画を、高倉健さんが亡くなった2014年頃に、テレビの追悼映画特集で見たのですが、現在の日本人の目から見ると、中国でのあそこまでの熱狂ぶりは「なぜ、それほど……?」と思ってしまう面もあります。

 しかし、当時の中国人は海外(西側)との接点はまったくなく、娯楽や情報もほとんどなく、抑圧された生活を送っていたので、初めて上映された日本映画の何もかもが珍しく、興味深く、彼らの目に新鮮に映ったのではないか、と感じました。

 中国では“伝説”にまでなっている日本映画がこの作品だったからこそ、それに出演していた田中さんの追悼記事の中に、中国人にとって懐かしい役名「横路敬二」までが、書かれていたのだと思います。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「日本のなかの中国」「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミア)、「中国人のお金の使い道」(PHP新書)、「中国人は見ている。」「日本の『中国人』社会」「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国を取材。

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