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「父を返して」中国系女子学生の願い 弾圧される香港の自由 タイで暗躍する中国の公安

木村正人在英国際ジャーナリスト
香港の民主化デモ(写真:ロイター/アフロ)

父が消えて480日

「私の父がタイで中国当局に不当に拘束されて480日。いまだスウェーデン当局も家族も父に連絡が取れません。誰も父に連絡が取れない状況が続いています」。イギリスで歴史を学ぶ中国系スウェーデン人の女子学生(修士課程)アンジェラ桂さんは英下院で開かれた集会で証言したあと、筆者にこう話しました。

英下院で開かれた集会で証言したアンジェラ桂さん(筆者撮影)
英下院で開かれた集会で証言したアンジェラ桂さん(筆者撮影)

アンジェラさんが開設している父、桂民海(本名、桂敏海)さん(52)の支援サイトによると、桂民海さんは22歳のとき中国の北京大学を卒業。トウ小平の「改革開放」路線で中国はもっと開かれ、民主的になると胸を膨らませていたと言います。

スウェーデンで研究を続けないかというオファーに桂さんは北京からモスクワ行きシベリア鉄道に乗り込みます。モスクワで靴を売り、スウェーデンまでの切符を手に入れます。1989年に天安門事件が起き、スウェーデンでの永住権を与えられました。

桂さんは現地で結婚し、スウェーデン国籍を取得して中国籍を放棄。民主主義と表現の自由を尊重し、人権大会に積極的に参加するようになります。アンジェラさんが子供の頃、両親は別居、桂さんは香港で出版社「巨流」と書店「銅羅湾書店」を立ち上げます。

父が中国当局に拘束されるまでの9年間に出版した書籍は200冊。権力闘争に破れて失脚した重慶市党委員会書記の薄熙来、汚職で無期懲役刑を受けた常務委員の周永康、そして国家主席の習近平についても「2017年、習近平が失墜する」と、共産党指導者たちのゴシップを遠慮なく取り上げました。

表現の自由というより「売らんかな」の金儲け主義だったと揶揄する声も周辺から聞こえてきます。習近平のラブストーリーの出版を何者かが止めようとしたというウワサも立ったそうです。

「香港では出版は合法」

アンジェラさんが中国当局ににらまれないか心配すると、父は「心配しなくて良い。安全だよ。香港でしていることは違法でも何でもなく、しかも私はスウェーデン国籍を持っている。中国当局がどのように私を罰しようというのか想像もつかない」と一笑に付しました。

2人は定期的にスカイプで連絡を取り合っていましたが、15年10月13日が最後の会話となります。アンジェラさんは大学のこと、父は仕事のことを話し、いつもと変わりませんでした。父は改装した台所の写真を添付ファイルで送ってきました。しかし、それを最後に父からの連絡は途絶えたのです。

3週間後、出版社の同僚から「桂さんが行方不明になって20日間以上たつ。出版に関して中国の公安に連行されたんじゃないか」と安否を気遣う電話がかかってきました。

10月17日、タイ・バンコク近郊のリゾート地パタヤにある桂さんの休日用アパートメントの防犯カメラには縞模様のTシャツを着た不審な男が写っていました。男は中国語を話し、桂さんと車に乗り込んだあと、2人の行方は分からなくなりました。

10月から12月にかけ「巨流」の関係者4人が次々と失跡します。すべてがナゾに包まれていました。11月13日、アンジェラさんは父からスカイプでメッセージを受け取ります。「香港の銀行口座に送金しておいたから。すべてがうまく行っていることを祈っているよ」

テレビで泣きながら自白した父

しかし昨年1月17日、父が03年に飲酒運転で女子学生を死なせた交通事故の「法的責任を取る」ため中国に自発的に帰国したと泣きながら自白する衝撃的な映像が国営・中国中央テレビ局(CCTV)で放送されます。それと前後して父親からは「静かにしているように」というメッセージが2回もスカイプに届きます。

「父は自らの意思で中国に渡ったと自白していますが、タイを出国した記録は残っていません。自白は強要です。中国は国内法と国際法を堂々と破っています。中国が国際社会に約束した『一国二制度』は全く守られていません。接見もできず、弁護士も認められないとは」とアンジェラさんは声を落としました。

父は静かにしているように言いましたが、アンジェラさんは語ることこそ父を救う唯一の道だと決意します。5月、ワシントンで開かれた中国問題に関する米連邦議会・行政府委員会で「米国が中国に対し父の釈放を呼びかけるよう」要望し、9月には国連人権理事会でも証言します。

「米国はスウェーデンや他の国々と協力して父の即時釈放を中国政府に働きかけてほしい。外国の地で中国当局が違法な作戦を展開するのを許してはなりません。これは父の問題だけにとどまらないのです」

香港民主化デモを主導した黄之鋒さんとアンジェラさん(筆者撮影)
香港民主化デモを主導した黄之鋒さんとアンジェラさん(筆者撮影)

16年9月、22歳になったアンジェラさんは大学を卒業しましたが、卒業式を一緒に過ごす予定だった父の姿はありませんでした。父のスカイプはずっとログインしたままです。「いつか連絡してくる」とアンジェラさんは返事を待ち続けています。

中国公安の手先と化したタイ

桂さんを除く「巨流」関係者4人は釈放され、香港に戻りましたが、4人のうち1人は香港で中国公安に拘束された疑いがあります。桂さんが拉致されたタイは少し前まで中国共産党を批判する活動家の亡命先でした。しかし今や中国公安の手先と化したかのようです。

黄さん(筆者撮影)
黄さん(筆者撮影)

香港民主化デモ「雨傘運動」を主導した黄之鋒さん(20)は16 年 10 月、タイに入国しようとして12時間も拘束されました。タイの大学で講演する予定でしたが、入国を拒否され、香港に送還されました。マレーシアへの入国も拒否されたことがあります。

黄さんは仲間たちと昨年4月、香港の民主主義を守る政党「デモシスト」を立ち上げました。アンジェラさんとともに英下院で開かれた集会で証言した黄さんは筆者にこう訴えました。

「米国やイギリスで香港の人権や民主主義を支援しようという動きが広がっています。日本の国会は香港の状況にもっと関心を持ってほしい。できれば日本でも香港の現状を訴えたい」

「東南アジアが団結して中国の権威主義体制に対抗していくことを期待しています。これは人権、自由、民主主義を守る長い、長い戦いだ。日本もそうした価値を信じているなら国際社会のスクラムに参加してほしい」

イギリスと中国は1984年、香港返還に際して共同宣言を出し、香港の社会経済システムとライフスタイルが維持されるだけでなく、人権、表現の自由、出版の自由、集会の自由、協会の自由、旅行の自由、移動の自由、通信の自由、ストライキの自由、職業選択の自由、信教の自由は法律によって守られることを明記しています。

しかし中国が経済的にも軍事的にも大国になり、イギリスと中国の共同宣言は反故にされたも同然です。今ほど日米欧の結束が求められている時はありません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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