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『週刊新潮』の新聞広告が黒塗りに。でも「不敬」はどっち?という気も

篠田博之月刊『創』編集長
黒塗りだらけの『週刊新潮』の新聞広告(筆者撮影)

 久々に皇室記事の新聞広告が黒塗りになった。しかも相当のスペースが真っ黒で意味が通らなくなっている。3月1日発売『週刊新潮』3月8日号の広告だ。上に掲げたのがそれだが、元の見出しは「『昭和天皇』のピンク映画」だ。「昭和天皇」という文字が黒塗りになったのだが、同時に昭和天皇の顔写真も黒塗りになった。広告を見た人は意味がわからなかったに違いない。

 かつて、それこそ昭和天皇が元気だったころは、こういうケースは結構あったが、ここしばらくは新聞広告の黒塗りと言えば大半が性表現だった。『週刊現代』や『週刊ポスト』の「女性器」とか「巨乳」といった表現が、新聞広告で黒塗りになるケースだった。

 しかし、それらも今回ほど黒塗りの部分が大きいケースはあまりなかったと思う。そのくらい今回の黒塗りは異様なのだ。

 特筆すべきは、在京紙のうち、東京新聞と産経新聞だけは黒塗りされず、広告がそのまま掲載されたことだ。冒頭に掲げたのは読売新聞の広告だが、朝日新聞も全く同じ。毎日新聞や日本経済新聞もスペースは半分だが、全く同じ場所が同じように黒塗りされた。こういう横並びも何だかなあと思うが、それゆえに驚いたのが東京と産経という、スタンスで言うと両極が黒塗りをしなかったことだ。

東京新聞と産経新聞は黒塗りなしだった(筆者撮影)
東京新聞と産経新聞は黒塗りなしだった(筆者撮影)

 電車の車内吊りもJRなどは黒塗りをしていない。だからこれは黒塗りをするかどうか意見の分かれる事例なのだろう。それにしては黒塗り広告の、その黒塗りの多さに驚いていまう。

 そんなに黒塗りがなされた記事はどれほどすごい内容かと思うだろう。しかし、これが全く拍子抜け。あるピンク映画で、登場人物のセリフが例えば自分を「朕」と呼ぶなど、明らかに昭和天皇をイメージさせるように描かれていた、という指摘だ。しかし、実はそれゆえ危ないと思ったのだろう。製作側の自主規制で上映されずに終わった、という。

『週刊新潮』3月8日号(筆者撮影)
『週刊新潮』3月8日号(筆者撮影)

 だからこれは『週刊新潮』がこんなふうに騒ぎ立てなければ、誰も知らなかった話なのだ。しかも、天皇を彷彿とさせるような設定がなされていたとはいえ、そう明示していたわけではない。それに対して『週刊新潮』は、わざわざそれが昭和天皇をイメージしていたとタイトルに明示し、新聞広告に昭和天皇の顔写真まで載せていた。つまり実際に製作した側はそれが昭和天皇をイメージして作ったなどと言っていないのに、『週刊新潮』が「昭和天皇のピンク映画」と訳ありな見出しをつけ、昭和天皇の写真をわざわざつけた、ということなのだ。

 実は、そんなふうに『週刊新潮』が煽り、右翼が動き出すというケースがかつては幾つもあった。例えば1983年、河出書房新社の雑誌『文藝』に掲載された小説「パルチザン伝説」は、『週刊新潮』が問題にしたのを機に連日、右翼が街宣車で抗議行動を展開、河出からの単行本化が中止になった。あるいは2008年、映画「靖国」が一時上映中止になったのも、『週刊新潮』が記事にして右派が動いたからだった。それは同誌のスタンスだからあれこれ言う筋合いではないが、でも今回の事例は、あまりにも無理筋すぎる。その映画が仮に上映されていたならともかく、自主規制で上映もされなかったというケースなのだ。

 それ以上に気になるのは、例えば「不敬描写で2月公開が突如延期!」などと「不敬」という表現をカギカッコなしで使っていることだ。「不敬」とか「売国奴」などという文句で右翼が言論を攻撃してきた歴史を知っているならば、仮にも言論機関が、そうした表現をカギカッコなしで地の文で使うことにためらいがないというのはどう考えてもまずいのではないか。

 ご丁寧にも記事には、「『不敬映画』の主なケース」などという表が掲げられているのだが、何と古典的名作として評価されている原一男監督のドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」や、これもドキュメンタリー映画として評価されている「天皇と軍隊」などが挙げられている。右翼がそれらを「不敬」映画と攻撃するのはわからんでもないが、言論機関がそういうレッテルを貼るのは、どうなんだろうか。

 ちなみにその表にも入れられているのが渡辺文樹監督の「天皇伝説」だが、『創』は渡辺監督のこの映画については、上映会に全国の右翼団体が押し掛けた様子を2008年に連続して取材・報道、その騒動については監督のインタビューも含めて、相当回数、誌面化した。作品としての評価は別として、その上映をめぐって渡辺監督は、ある意味で命がけ。筋金入りなのだ。観客よりも押し掛けた右翼の方が人数が多いのではと思われるくらい激しい街宣攻撃が毎回行われ、上映予定前日に監督が逮捕されるという事態も何度も起きた。

 もちろん映画館が上映してくれるはずもないから、監督は妻と子どもを連れて家族全員で車を運転しながら全国を自主上映して回り、各地で右翼と激突したのだった。時には自主上映会場に入り込んだ右翼に、監督がパイプ椅子を持って応戦したこともあった。

 映画が始まる前に監督はいつも、「万が一、塩酸をかけられたりして途中で上映できなくなったら入場料はお返しします」と口上を語るのが名物なのだが、会場に塩酸をまかれるような事態になったら入場料を返すどころですまないわけで、このブラックジョークに観客から笑いが起こって映画が始まるというのが恒例だった。

「天皇伝説」上映中の渡辺監督(筆者撮影)
「天皇伝説」上映中の渡辺監督(筆者撮影)

 最近は「天皇伝説」の上映騒動もしばらく起きていないので知らない人も多いだろう。以前、その渡辺監督と鈴木邦男さんの対論を私の司会でロフトプラスワンで行い、そこへ右翼が多数押し掛けて激しい応酬となったやり取りを『創』2009年1月号に載せているので、ヤフーニュース雑誌に公開しておこう。一時は本当に流血の事態になるかと思われた緊迫したトークイベントだった。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180302-00010000-tsukuru-soci

 昔は、皇室問題がテーマとなると右翼が抗議に押し掛けるといった事態がよく起きていたのだが、近年は様変わりした。何よりも大きいのは、天皇自身が憲法遵守を掲げ、リベラルなスタンスをとっていることで、天皇のためにという名目で右翼が言論を攻撃したりすることがやりにくくなったためだろう。

 そんな状況だからこそ、今回の『週刊新潮』の記事には違和感を覚えざるをえなかった。だって、天皇を曖昧にイメージさせただけ、かつ上映もされなかった映画を引っ張りだして、「昭和天皇のピンク映画」と見出しを掲げ、昭和天皇の顔写真も掲げるというのでは、映画が「不敬」なのか、『週刊新潮』が「不敬」なのかわからないではないだろうか。

 私はこの1年ほど、宮本太一編集長に替わった『週刊新潮』をそれなりに評価してきたし、眞子さま結婚延期報道を含め、この間の皇室報道についても、そのスタンスは別として同誌が一番取材もしているし、内容も踏み込んでいると思っている。でも、そんなふうに『週刊新潮』を評価しているがゆえに、今回の「鬼面、人を驚かす」ふうの記事を残念に思うのだ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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