『不適切にもほどがある!』最終話も考察が白熱、続編への期待高まる「未回収の物事」と「適切な終わり方」
3月29日に最終話が放送されたテレビドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)。同作は、1986年(昭和61年)から2024年(令和6年)へとタイムスリップした51歳の中学校教師・小川市郎(阿部サダヲ)が、時代とともに変化した考え方や文化に翻弄される物語だ。
ジェンダー平等、ハラスメント、LINEでのコミュニケーションなど、令和で見直されているものを題材にしながら、脚本家の宮藤官九郎がさまざまな仕掛けをちりばめたことで、視聴者は考察意欲がかき立てられた。その結果、毎回放送中から放送後にかけてSNSやネットニュースなどで大きな盛り上がりをみせることに。もちろん最終話も考察が白熱した。
※以下、ネタバレに触れている箇所もございますので、作品未鑑賞の方はご注意ください
タイムトンネルに足を踏み出す市郎、解釈が飛び交うテロップ演出
最終話では、令和の考え方にすっかり馴染んだ市郎が、“最後のタイムスリップ”で昭和へと戻るが、その時代の人々の考え方に違和感を持つ日々を送る。やがて教頭へ昇格する市郎だが、そんな彼の前に現れたのが、後のタイムスリップの発明者である教え子・井上昌和(小野武彦)。老年姿の井上は2054年からやって来て、どの時代にも行けるタイムトンネルを開通させたと話す。そして市郎がそのタイムトンネルへ足を踏み入れたところで、最終話は終了した。
想像の余地をたっぷり残したエンディングもあって、当然ながら続編制作への期待も高まった。なにより最終回では未回収の出来事や、続編を示唆する演出もいくつか見られた。
まず前述した結末。市郎は、娘の純子(河合優実)と1995年に震災でこの世を去る。それは避けては通れない(避けて通ってはならない)“史実”である。もし自分たちの死を回避すると、歴史が改ざんされて2024年に出会って絆を深めた孫・犬島渚(仲里依紗)らの存在もどうなるのか分からなくなる。ただ、それでも最後にタイムトンネルで別の時代へと向かおうとする市郎の行動は、いったいなにを意味するのか。そして彼はどの時間軸でこれから生きていくのか。そこでプツッと物語が途絶えたことで、市郎たちがたどる運命が気になって仕方がなくなった。
さらに最後「この作品は不適切なセリフが多く含まれますが 時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み 2024年当時の表現をあえて使用して放送しました」と、2054年の視点と思われるテロップが表示された。これにより視聴者の解釈がさらに飛び交うことに。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』へのオマージュで続編を示唆?
最終回では、『不適切にもほどがある!』のモチーフの一つになっているタイムスリップ映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズへのオマージュがより強く表現されていた。その点も続編制作を予感させた。
2024年から1986年へ、渚を連れて“最後のタイムスリップ”を試みる市郎。その往路に、『不適切にもほどがある!』の主題歌「二度寝」を担当するラップユニット、Creepy Nutsが紛れ込む(キャラクター設定は井上を手伝う大学生役)。Creepy Nutsはタイムスリップの復路の時間に間に合わず、そのまま昭和に居残ることに。そして卒業式を終えた市郎の副担任クラスの教室にゲストとして登場し、“未来の音楽”として「二度寝」を歌って盛り上げる。
これは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の1作目(1985年)にあった、1985年に生きる主人公のマーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)が、タイムスリップした1955年の若者たちに「ジョニー・B・グッド」(1958年)を“先取り”で演奏して聴かせる場面をモデルにしていると思われる。
また市郎が、発明家の井上に誘われて別の時代へタイムスリップしようとするところで物語が終わるのも、同1作目そのもの。そんな『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は1989年に2作目、1990年に3作目が作られたことから、『不適切にもほどがある!』も同様にシリーズ化するのではないかと考えられる。
『不適切にもほどがある!』の適切な終わり方とは?
なにより令和に戻れず、昭和に取り残されたCreepy Nutsはどうなってしまうのか。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の1作目でマーティが「ジョニー・B・グッド」を“先取り”で演奏した際には、実際に同曲を作詞・作曲したチャック・ベリーがその場に居合わせ、“自分のモノ”にしてヒットに繋げたという風に描かれていた。
もしこのエピソードをなぞっているなら、1986年の市郎の副担任クラスの生徒が「二度寝」を聴いて“自分のモノ”にして2024年に歌う…と考えられるが、そうなるとその生徒は2024年には50歳をこえていることになるので、同場面の“謎解き”にはならない。もしかすると2054年に開通したタイムトンネルで、Creepy Nutsは本来生きるべき時代へ戻れたのかもしれないし、それこそ別の誰かが「二度寝」を2024年に持ち込むのかもしれない。ともあれ『不適切にもほどがある!』最大の“未回収”として、あれこれと分析が膨らむ。
ただ、最終話でいくつかの物事を広げたままにし、その後、続編を作らないパターンも十分あり得る。いや、続編ナシの方が現実的ではないか。そもそも第7話(3月8日放送)で「ドラマなどを作る際は伏線を回収しなければならないのか」という問いかけがすでにおこなわれている。そういった回を作ることで、すでに宮藤官九郎は自分の首元を緩めているのだ。
なにより、これだけ各話放送後に考察や分析が繰り広げられたドラマである。最後も、視聴者の想像に委ねて終えるのが「適切」と言えるのではないだろうか。