「名古屋=金シャチ」のイメージを創った男! 追悼、呉竹商事・竹村照男さん
“ファンシー系金シャチ”の誕生は1980年代
名古屋のお土産といえば金シャチ。名古屋城などの観光地の売店、名古屋駅のキヨスクなどに行けば、金シャチをモチーフにしたグッズや、金シャチをパッケージにあしらったスナックなどがズラリと並んでいます。
名古屋城天守に輝く金の鯱そのままのリアルなものもありますが、それ以上に目立つのが、かわいく、愛嬌のある表情にアレンジされた金シャチ。お土産品の他、名古屋市の公共のマスコットでも、金シャチをモデルに親しみやすくキャラクター化したものが名古屋中にあふれています。
今でこそ当たり前に目にするかわいらしい金シャチですが、実はこの“ファンシー化”(大ヒット新書『京都ぎらい』の著者・井上章一さんが著作『名古屋と金シャチ』内で命名)が進んだのは今から30年ほど前のこと。そして、それを推し進めたのは名古屋のおみやげ専門商社でした。
金シャチを親しみやすい存在に“キャラ変”させた人物こそ、呉竹商事(名古屋市昭和区)の2代目社長だった竹村照男さんでした。竹村さんは今年6月に72歳で逝去。ユニークな金シャチグッズを世に送り出すことで名古屋を盛り上げてきた竹村さんへの追悼の意を込めて、ヒット商品の数々やの功績をふり返りたいと思います。
ファンシー路線を決定づけたデザイン博と「しゃちボン」
呉竹商事は1973(昭和48)年創業。当初はリアルな金シャチの置物などを中心に扱っていました。その後、徐々に金シャチのキャラクター化に取り組み始めます。商社でありながらオリジナル商品の開発にも力を入れ、キーホルダー、ぬいぐるみなど、シャチをかわいらしくアレンジした商品をつくっては少しずつ市場に投入していきました。
先の『名古屋と金シャチ』内で竹村社長は「(アニメ風のシャチの人気は)デザイン博(1989{平成元}年の世界デザイン博覧会)からでしょう。かわいいシャチやおどけたシャチが売れるようになりましたよ」と発言。これを受けて著者の井上章一さんは1989年を「シャチのファンシー革命が成就した年」と評しています。
このファンシー路線をさらに決定づけたのが2000(平成12)年に誕生したしゃちボンでした。これは名古屋のイラストレーター・藤原まゆみさん(愛知県民には蒲郡ボートレースのマスコット「トトまる」がおなじみ)がデザインしたマスコットキャラクター。本来はいかつい顔つきの金シャチを目いっぱいかわいらしくし、ぬいぐるみやキーホルダー、ハンドタオルなど様々なグッズに商品化されました。
「マスコット風にデフォルメする際には、両目を顔の正面に並べてかわいらしさを演出します」。生前、竹村社長は金シャチのファンシー化のポイントをこんな風に解説してくれました。
さらにお土産品としての金シャチの長所を「名古屋のシンボルとしてお客さんにアピールしやすい。ピカピカしているから売り場でも目立つんです」とも語ってくれました。
しゃちボンで確立されたファンシー系の流れは、同社では2008(平成20)年に新キャラクター「しゃちのすけ」に継承。その他、サンリオのキティちゃんをはじめ有名キャラクターと金シャチとのコラボグッズも次々発売。他社もこの流れに追随し、かわいらしい金シャチグッズが巷にあふれるようになりました。
同社では年間およそ100種類の新商品を手がけ、うち半分近くが金シャチ関連グッズ。これを45年間続けているので、これまで取り扱った金シャチ系おみやげは1500アイテムほどに上るといいます。
あの定番は絶滅危惧種に? 金シャチグッズの売れ筋・今昔
さて、ここからは3代目社長の竹村弘嗣さんのインタビュー。生前の照男社長の人柄や、近年のおみやげ&金シャチ市場の傾向についてお聞きしました。
――照男社長には何度も取材に協力してもらい、いつもにこやかに対応していただきました。長男の弘嗣さんから見て、どんなお人柄でしたか?
竹村弘嗣さん(以下「竹村」)「どんな人にも気さくに接する、というのは心がけていたと思います。一方、会社では自分が決めたことは曲げない頑固なところもありました。でも、だからこそ他にはない商品も生み出せたのだと思います」
――照男社長が手がけた金シャチグッズの特色は?
竹村「金シャチは“体は魚で頭は虎”という想像上の生き物で本来は怖い顔をしている。それをどうやったらかわいくできるか、を真剣に考えていました。その完成形がしゃちボンでした。金シャチだけでなく、味噌煮込みうどんや天むすなどの名古屋めしにも目をつけてキャラクター化しています」
――金シャチグッズは最初からおみやげ市場で受け入れられたのでしょうか?
竹村「1984年の『名城博1984』、1989年の『世界デザイン博覧会』、2005年の『愛・地球博』『新世紀・名城博2005』と名古屋では博覧会がしばしば開催されていて、そのたびにたくさんの観光客が訪れました。当社もその都度、金シャチをからめたお土産を販売していて、徐々に“名古屋=金シャチ”というイメージも強くなっていったのではないでしょうか」
――近年の金シャチグッズの売れ筋、傾向は?
竹村「父の代の頃は携帯電話のストラップが人気でしたが、今は皆さんスマホにアクセサリーをつけないので、ニーズはほとんどなくなりました。近年はタオル、文具、靴下など実用的なアイテムが増えています。一方で、コロナ禍による外国人観光客の激減で、彼らにウケていた金シャチのリアルな置物は売れなくなってしまいました。加えて、産地だった瀬戸ではこれをつくれる職人がほとんどいなくなってしまった。国内でなら100個単位で生産できていましたが、海外に発注すると最少ロットが万単位になってしまうので企画しにくい。昔ながらの金シャチの置物をどうやって残していくかは大きな課題です」
――今後、手がけていきたい金シャチグッズは?
竹村「当社が扱うおみやげ商品は、基本的に県外や海外の人が買うものです。販売先も観光地のお土産品売り場などに限られます。したがって名古屋で企画して名古屋で販売しているものでありながら、地元の人の目にふれる機会がほとんどない。一度でいいから、名古屋の人たちの間でヒットする金シャチグッズを生み出せたら…!と思っています」
名古屋人に売れる金シャチグッズとは…?
「名古屋の人たちの間でヒットする金シャチグッズ」。これは筆者も常日ごろ、何とかして生み出せないかと考えているものです。ご当地のシンボルはあまたありますが、ひと目でここだ!と全国の人が分かるのは「名古屋の金シャチ」と「沖縄のシーサー」くらいではないでしょうか?
しかし、沖縄では民家の軒先などにシーサーをよく見かけるのに対し、名古屋の金シャチが一般家庭で飾られているケースはほとんどありません。シーサーは陶芸作家によるデザイン性に優れた置物も多いのですが、金シャチの置物はリアルなものばかりでインテリアとしておしゃれさに欠けることが原因と思われます。金シャチは、ベタなリアル型とかわいらしいファンシー系に両極化していて、その中間がないのです。
その空白を埋めるアイテムを生み出せれば、地元の人が飾りたくなる、身につけたくなる、そんなニーズも掘り起こせるのでは? 故・竹村社長が切り拓いた市場を次のフェーズへとステップアップさせる。そんな新しい金シャチグッズの誕生を期待したいと思います(というか、筆者も一枚かみたいです)!
(写真撮影/すべて筆者)