ネット甲子園 第2日 履正社が達成した1試合5HRのウンチク
右方向にぐんぐん伸びる。履正社(大阪)の先頭打者・桃谷惟吹が霞ヶ浦(茨城)の好投手・鈴木寛人の5球目、145キロの真っ直ぐをはじき返すと、打球は右翼ポールぎりぎりに飛び込んだ。先頭打者本塁打を1回表に限れば、大会史上19本目の快挙を桃谷は、こう振り返る。
「追い込まれましたが、相手のスライダーをうまく見極められたので、次のストレートを上からしっかりたたけました。(鈴木寛は)けっこうボールがきていて、怖いくらいの感じでしたが、センバツで奥川(恭伸・星稜)との対戦経験があったので、打てない感じはしなかった」
この一打を皮切りに履正社は、派手にアーチを架けた。初回にはさらに2死から、高校通算46本の主砲・井上広大がレフトポール際にソロ、3回には八番の野上聖喜が左中間に2ランして鈴木寛をノックアウト。5回には七番・西川黎が左中間に、そして9回には桃谷が、この試合2本目のアーチをやはり左中間に架けた。結局履正社は、先発全員&毎回の17安打で、夏の大会ではチーム最多の11得点を挙げ、11対6と難敵に圧勝することになる。そして特筆モノは、1試合チーム最多5本塁打という、大会タイ記録の達成……。
履正社は夏の大会史上2校目
この大記録、大会史上2度目のことだが、では最初はいつ、どのチームが記録したかご存じか。答えは2006年夏、智弁和歌山が帝京(東東京)との準々決勝で記録したものだ。馬場一平2本、上羽清継、廣井亮介、橋本良平がそれぞれホームランを打ち、13対12で帝京にサヨナラ勝ち。そう、この試合は、史上まれに見る大逆転試合として語り継がれている。帝京は、4対8と4点差で迎えた9回表、2死からつないで8点を挙げ大逆転するが、その裏の智弁はさらに4点差をひっくり返し、サヨナラで勝利するのだ。
ちなみにこのときの帝京は、9回の表に投手の打順で代打を出したため、もう投げる投手がいずに智弁和歌山の逆襲を浴びた……といわれているが、実はそうじゃない。前田三夫監督に、こんな話を聞いたことがある。
「あのとき、皆さんは知らなかったと思うけど、センターからリリーフさせた勝見亮祐は、前の年の夏のエースなんです。バッティングを生かすのに背番号1は重荷なのでセンターにした。だけど、夏前の練習試合でも投げたし、甲子園に入ってからも毎日のようにピッチングはしていたんです。ボールも速いし、スライダーも切れる。甲子園では投げていないから、確かに投手のところで代打を出すのは迷ったけど、かりにリードが1点でもなんとかしてくれるという信頼が勝見にはあった。ですから、僕も選手も“ウチには勝見がいる。しかも4点もリードしている”と、勝ちを確信したんですよ」
まあ結局は、緊急登板した勝見が制球を乱し、その目論見も崩れてしまうのだが……。付け加えればこの試合、帝京打線も2本のホームランを打っており、1試合7本塁打は今も残る記録である。
履正社、チーム最多の夏の11得点
それはそれとして、その智弁和歌山以来の1試合5本塁打を達成した履正社。桃谷によると、先頭打者ホームランは会心の当たりではなかったという。ただセンバツで、奥川に17三振を喫して3安打で完封されてから、チームはそれまで以上にトレーニングを強化するようになった。桃谷はその成果を「体重は変わらなくても、筋肉の量が増えた。右方向の打球が強くなったし、飛距離も伸びたんです」。さらには、打撃練習では各ゲージごとに「低い打球」「飛距離」などとテーマを設定し、状況に応じた対応力を磨く。また岡田龍生監督は、
「打力強化の方法について人にたずねると、100人が100人、バットスイングの量だといいます。ですがウチは基本的に自宅からの通学ですから、指導者にはそこまでの時間管理はできません。となると、1打席1打席の質を上げるしかない」
ということで、練習といえども「適当な狙いで打席に入ることはありません。こういう根拠でこの球を狙う、という意図を持って打席に入ることで、対応力が磨かれる」と、桃谷は証言する。かくして、「狙い球は各自の判断」(岡田監督)ながら、鈴木寛人のボールになる低めスライダーを見極め、記録ずくめの猛打につなげたわけだ。
過去、センバツは2回の準優勝があるものの、夏はまだ8強進出がない履正社。大阪で2強を形成する大阪桐蔭を物差しにすれば、それはいささか物足りないところだ。次戦の相手は、好投手・前佑囲斗を擁する津田学園(三重)である。