前川喜平・前文科事務次官の告発で同時に問われるマスコミの対応
加計学園問題をめぐる前川喜平・前文科事務次官の証言が「前川砲」「前川の乱」などと呼ばれ、連日報じられている。
前川次官のこの間の発言には「あったものをなかったと言うわけにはいかない」「座右の銘は『面従腹背』」など名言といえるものが数々あるが、そのひとつに「国民の公僕なのか権力の下僕なのか」というものがある。
直接は後輩の官僚たちに向けて言ったものだが、同時にこれはマスコミに対しても向けられているように思う。市民の側に立つのか権力の顔色を窺って報道をしているのか。前川さんは、この間のマスコミの対応についても節々で言及しているのだが、その前川問題をマスコミがどう報じ、あるいは報じなかったか。この約2週間の経緯を整理してみよう。
「前川の乱」の発端は5月17日(水)に朝日新聞が一面トップで報じた「加計学園の新学部『総理のご意向』文科省に記録文書」だった。実は前日の16日、同じ文書を入手していたと思われるNHKも夜9時台のニュースで報じていたのだが、扱いが朝日ほど派手でなかったので話題にならなかった。というのもちょうどその16日夜は「眞子さま婚約へ」というあのスクープがNHKで報じられた日で、報道局の関心もそちらへ向いていたのだろう。逆に朝日はNHKの報道を見て、先を越されてはまずいと判断したようで、翌日17日の朝刊では一面トップで「総理の意向」報道を行ったとも思える。
その日の紙面を比べて見ると明らかなのだが、他紙が一面トップに「眞子さま婚約へ」を置いている中で朝日だけがそのニュースを押しのけて加計学園問題の「総理の意向」文書をトップに置いている。朝日のその問題追及への決意を示していたといえよう。
実はその時点で、朝日もNHKも前川さんに接触しており、『週刊プレイボーイ』6月19日号によると、NHKは前川さんのインタビュー収録まで終わっていたという。その時点でそこまで行っていたかどうか真偽は不明だが、NHKがある時点で前川インタビューを収録していたことは事実で、前川さん本人が後にTBSなどの取材にそう答えている。
この間の報道をめぐる議論の中で論点のひとつになっているのが、NHKが前川インタビューを放送しなかったという、そのことだ。5月22日の読売新聞の前川スキャンダル報道で官邸の「前川潰し」の姿勢が明らかになるのだが、NHKはそれにひるんで放送を見送ってしまったらしい。NHKの政権への萎縮ぶりを如実に示すエピソードだ。前出『週刊プレイボーイ』では匿名のNHK記者が「局上層部からのお達しで…報道できなくなった」と語っている(ちなみにこの記事「政権『忖度メディア』の現場記者に今、何が起きてるのか!?」は、報道をめぐる問題がなかなかよく書けている)。
NHKのその対応について最初に記事にしたのは『週刊新潮』6月1日号だ。それによると、NHKは「5月16日の夜9時32分、ネットニュースで配信。さらに『ニュースチェック11』でも文書を映像で流した」という。報道現場の取り組みではNHKが明らかにリードしていたのだ。
ところがそのNHKの収録済の前川インタビューは結局、放送見送りとされる。それが上層部から告げられたのは、5月22日(月)朝刊で読売新聞が「前川前次官出会い系バー通い」という記事を社会面で大きく報じたのが原因だった。このまま前川さんの話に乗って官邸を追及するのは危険ではないかという判断がなされたという。
そうした経緯を報じた『週刊新潮』の記事タイトルは「安倍官邸が暴露した『文書リーク官僚』の風俗通い」だった。文科省の内部文書を漏らしたのは前川さんではないかと疑った官邸がスキャンダルを流して“前川潰し”を図ったという経緯を書いたものだ。
この記事を読むと、前川さんをめぐって読売新聞に流された情報は『週刊新潮』にも流れていたようだ。ただ、読売の方が動きが早かったようで、同誌記者が問題の出会い系バーに取材に入った時点で、既に読売の記者が来ていたと告げられた。同誌は記事中でこう書いている。
《“出会い系バー“にいた20代後半の女性によると、「あなたが来る2日前から、読売新聞の2人組がここに来ていた。最初は名乗らず、あなたと同じ写真を見せながら”同じ会社のすごい人なんだ“とか言って、何人もの女の子を食事に連れ出し、色々と話を聞き出そうとしていたよ」》
同誌の締切は、読売新聞が前川スキャンダルを報じた22日(月)だ(最終校了は翌23日)。その前に“出会い系バー”を取材した時に「既に読売は2日前に来た」と教えられたというから、読売新聞は、17日に「総理の意向」文書の存在が報じられてすぐに動き出していたことがわかる。実は官邸は、菅官房長官が表向き「怪文書だ」と意に介さないふうを装いながら、裏では事態が拡大するのを恐れてすぐに対応を始めたらしい。
それを記事にしているのが『週刊現代』6月10日号「『前川の乱』に激怒して安倍が使った『秘密警察』」だ。記事でこう書いている。
《朝日新聞が、文科省の内部文書について第一報を出してすぐ、菅官房長官は官邸に出入りする警察関係幹部と接触した。内調を統括する内閣情報官で、ユダヤ人虐殺を指揮したナチスの将校になぞらえて「官邸のアイヒマン」とも呼ばれる北村滋氏と、第二次安倍政権発足時、菅氏の官房長官秘書官を務めた中村格(いたる)警察庁組織犯罪対策部長だ。》
接触したのが本当にその2人だったかという真偽は不明だが、その後の経緯を見れば菅官房長官が迅速に対応したのは確かだろう。この話には伏線があって、実は前川さん自身が、昨年秋に杉田和博官房副長官から、出会い系バーに出入りしていることを注意されていた。
前川さんはなぜそんなことを知っているのか驚いたと語っているが、『サンデー毎日』6月18日号で青木理さんが、杉田官房副長官は警察庁出身で、公安警察の中枢を歩んできた経歴を持つと書いている。つまり公安が既に官僚トップの前川さんの身辺調査を行っており、官邸はその情報を入手し得る立場にあったわけだ。5月17日の朝日新聞の報道を受けて官邸がすぐに動いたのは、そうした背景があったからだろう。
そして5月22日に読売新聞に「前川前次官出会い系バー通い」なるスキャンダル記事が掲載された。官邸が本格的に“前川潰し”に打って出たわけで、それを見たNHKが尻込みして前川インタビューを放送延期したのは前述した通りだ。
この読売新聞の記事はその後、多くの批判を浴びるのだが、もちろん加計学園の加の字も出てこない。どうしてそのタイミングでこれを報じるのかわからない奇妙な記事だ。出会い系バーは売春の温床と書いており、あたかも前川さんがそういうことをやっていたかのように匂わせてはいるのだが、確たる証拠が書かれているわけでもない。
見る人が見ればいったいこの記事は何なのだと疑問が湧くような代物で、前川さん自身『アエラ』6月5日号でこう語っている。
《「記事を読み、『加計学園のことは話すな。話すとひどいことになる。こうして実際に起こったでしょ』と、私に対する威嚇と感じました」》
ある種の政治的思惑に乗った報道であるがゆえに、経緯によっては報道のスタンスが問われかねない。その意味ではちょっと危ない記事とも言えるのだが、読売に続いて出会い系バーを取材していた『週刊新潮』は5月25日発売の6月1日号でそれを報じた。報道のスタンスをめぐっては、さすがにもう少し工夫をこらしている。読売と同じように店を訪れ“出会い系バー”の取材を報じて前川さんが出入りしていたことを書いているのだが、同時にその前川スキャンダルを暴露したのが官邸であることも書いていた。スキャンダルが飛び出した背景も含めて書くことで、官邸サイドからも少し距離を取った記事にしたのである。
ただそうはいってもその『週刊新潮』の記事の結びはこうだ。
《もしかすると、安倍政権は政権発足以来最大の窮地に立たされかねなかった。しかし、告発者である前川前次官の下半身のスキャンダルを暴くという防衛策を講じたために、不発弾として処理できそうなのである。》
つまり、スキャンダル暴きによって官邸が事態を乗り切ったという内容で、その根拠としてNHKが前川インタビューの放送を見送ったことも書かれていた。どちらかというと官邸サイドに立ったようなトーンだった。
確かに、ここで前川さん自身が恐れをなして萎縮してしまったら、事態は官邸の思うがままに決着していたかもしれない。しかし、実際には、当の前川氏は臆するどころか、全面対決に打って出たのだった。その『週刊新潮』6月1日号が発売された5月25日(木)、前川さんは同日発売の『週刊文春』6月1日号と朝日新聞に実名で登場(朝日のインタビュー収録は読売報道翌日の23日だったという)。さらにその25日、記者会見も行って、全マスコミに顔をさらして官邸との対決姿勢を鮮明にしたのだった。会見では、出会い系バーに行っていた事実も認め、ドキュメンタリー番組を見て、そういう店に通っている女性の話を聞いてみたいと思った、と説明した。
しかし菅官房長官は「強い違和感を覚えた」と、この説明を一蹴。『週刊新潮』6月8日号によると、オフレコで記者団に、店に一回行っただけならともかく「繰り返し行ってるんだよ」「とんでもない輩だ」などと前川氏を強く非難したという。
いずれにせよ前川さんは25日以降、捨て身の戦法に打って出たわけだが、確かにその局面で官邸と闘うにはその戦法しかなかったかもしれない。顔を出したおかげで会見の後も様々なマスコミに精力的に登場し、官邸の説明に逐一反論する機会を得られたからだ。新たな内部文書も次々と暴かれ、加計学園問題については、一歩一歩、官邸に痛打を与えていったといえよう。
“出会い系バー”への出入りについては、真相は藪の中かと思いきや、6月1日発売の『週刊文春』6月8日号に、前川氏と3年間で30~40回会っていたという「出会い系バー相手女性」本人が登場した。26歳のその女性は前川氏との男女の関係を否定したうえで、いろいろな相談に乗ってもらったことを告白。今回取材に応じたのは、「お父さんとテレビ見て『これは前川さん、かわいそうすぎるな』と思ってお話しすることにしました」という。いわば前川さんの助っ人として本人が名乗り出た形で、『週刊文春』の後、6月4日夜のフジテレビ『Mr.サンデー』でも女性の証言が放送された(顔は隠したままだが)。
『アエラ』6月5日号などによると、前川さんは文科省を辞めた後、夜間中学の先生などボランティア活動に従事、貧困問題に関心を強めているという。つまり実態を知ろうと出会い系バーに行ったという話も荒唐無稽ではないというわけだ。菅官房長官は、教育に携わる文科省のトップがそういう店に出入りしていたのはとんでもないことだと責め立てるのだが、逆に考えれば教育に携わる官僚のトップがお忍びでそういう現場に足を運んでいたというのはすごいことだという見方も成り立つ。
安倍政権との全面対決という闘いに打って出てから約2週間の推移を見る限り、前川さんはかなりよく闘っているし、幾つかの世論調査で安倍内閣の支持率が落ちたという結果が出ているように、国民も巨大な権力と闘う前川さんを支持する空気が強い。マスコミもそういう空気に反応して、政権批判を強めている。『週刊新潮』までもが6月8日号の記事タイトルは「『安倍官邸』一強で日本が失ったもの」である。
もちろん安倍政権の強大な権力を考えれば簡単に政権が崩壊するとは思えない。この闘いが今後どう推移していくかについてはマスコミや野党がどこまで疑惑追及できるかにかかっているといえよう。前川さん自身、前出『アエラ』でこう語っている。
《「今、一番恐れているのは、マスコミも官邸側に遠慮し、報じるべきことを報じないことだ。これは国民の知る権利の大きな危機と考えます」》
マスコミもまた市民の代弁者なのか、権力の方を向いて報道を行っているのか、そのあり方が問われていると言えよう。
でもこの一連の経過を見て思うのだが、政権側は味方のはずの官僚トップのプライバシー情報も監視して、いざという時にはこんなふうに使うのだというわけだ。国会審議中の共謀罪法案について、安倍政権はこれが一般の人の監視に使われることはない、と言っているが、そんなはずはないというのがよくわかる。味方のはずの官僚に対してもこれだけのことをするのだから、政権批判の勢力に対しては公安警察的手法が際限なく使われるだろうことを、ほかならぬ安倍政権自身が証明したのが今回の前川さんの告発をめぐる事態だといえよう。