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映画『ジョーカー』にみる「ピエロ恐怖症」の光と闇

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 米国で映画『ジョーカー(JOKER)』が上映され、各地で子どもに見せないよう警告が発せられたり、警察による厳戒態勢が強化されるなどの余波が広がっている。ピエロ(クラウン、道化師)に分した暴力的な主人公に影響を受けた犯罪が起きるのではないかというのが理由だが、その根底には我々の深層心理に潜むピエロへの恐怖心があるのかもしれない。

ピエロというトリックスター

 ジョーカーというキャラクターは、映画『バットマン』シリーズに出てくる悪役だ。このシリーズ中の「ダークナイト」3部作の最終作『ダークナイトライジング(The Dark Knight Rises)』(2012)が上映されていた米国コロラド州オーロラという街の映画館で銃の乱射事件が起き、12名が死亡、59名が負傷した。この事件の犯人がジョーカーを名乗って犯行におよんだため(※1)、今回の『ジョーカー』の公開で厳戒態勢が敷かれるような事態になったというわけだ。

 ジョーカーは悪役だがトリックスター(Trickster)でもある。ピエロ(クラウン、道化師)のメーキャップをし、映画のスクリーンの中を縦横無尽に駆け回り、主人公のバットマンはもちろん観客をからかい、抜け目なく振り回し、既存の社会や秩序を否定し、破壊するような存在だ。

 本来のピエロは、滑稽で笑いを誘う役回りだ。道化師は、権力のそばで権力に媚びつつ近習し、しかも権力の虚しさをあざ笑い、権力の横暴をシニカルに風刺し、叱責されて逃げ回る。つまり、ユング心理学が述べる元型(Archetype、アーキタイプ)に属するトリックスターだ(※2)。

 こうした存在は古今東西のフィクションに登場する。仮面(ペルソナ)劇やシェークスピア劇にも出てくるし、日本の狂言の太郎冠者もそうだ。マンガ『ゲゲゲの鬼太郎』のネズミ男もそうだろう。ひょっとすると、公共放送を破壊するというワンイシューで参院に議席を獲得した人物などもトリックスターかもしれない。

 だが、トリックスターとしてのピエロは、あくまでも道化であり、笑いの対象でしかなかった。サーカスのピエロも滑稽な仕草で観客を笑わせる存在であり、やがて映画の中のチャーリー・チャップリンが演じる役柄になり、テレビの登場でコメディアンへ役回りが引き継がれていく。

スティーブン・キングの『It』

 多くのフィクションには悪役(ヴィラン=Villain)が登場するが、ジョーカーのようなピエロが悪役になったのはいつ頃のことだろうか。ある研究によれば、小説とマスメディアが悪役としてのピエロを形作っていったのだという(※3)。

 この小説というのはホラー小説の大家、スティーブン・キングの『It』(1986)だ。映画化もされたこの作品では思春期の通過儀礼が描かれるが、その中に風船を持ったピエロ、ペニーワイズ(Pennywise)が登場する。

 ペニーワイズは、派手なピエロの衣装と化粧をし、ハメルンの笛吹きさながら子どもを風船やキャンディで引きつけ、さらって殺す。キングはピエロのイメージを真逆にし、諧謔、風刺、憫笑の対象から恐怖のイメージへと転換させた。

 ピエロになぜ恐怖が宿っているのだろうか。

 ユング心理学の元型としてのトリックスターの中にすでにそうした要素が入っているのだが、既存の価値観や善悪から逸脱した存在であるがゆえに、トリックスターも長く人類の「物語」の世界に生きてきた。新大陸の先住民のシャーマンもトリックスターだが、シャーマンというのは超自然的な世界と現世を結びつける。

 キングの『It』で思春期の通過儀礼が描かれるように、我々の深層心理に原始的で宗教的な恐怖心と祭礼の高揚感があり、乗り越えるべき未開の情動反応や無意識の衝動の象徴としてピエロが配置されているのかもしれない。ピエロの派手な衣装と化粧は、人獣を超えた異形の存在である証であり、異界と現実を結びつけるための装置である。

 いじめられっ子の少年少女にとって、子どもを誘い出して殺すピエロは協力して打ち倒すべき存在だった。キングがピエロを恐怖の対象にした理由は、トリックスターとしての何を考えているのかわからない不気味さ、化粧の下の隠された表情、見るものを不安にさせるような唐突で奇妙な動作、子どもへの異常な執着と接近といった要素からだろう(※4)。

 彼らはピエロに勝つが、27年後に再びピエロによる殺人事件が起きる。ピエロは象徴であり、少年少女一人ひとりの恐怖の対象に姿を変える。ピエロの恐怖は時間を経て繰り返し蘇ってくるが、我々は大人になっても再び、それを乗り越えなければならないのだ。

ピエロ恐怖症は誰が作ったか

 だが、キングが『It』で意図したものから、ピエロはまた別の役割を演じるようになる。より大きく社会規範を逸脱するようになり、より凶悪さを増し、さらに嗜虐的になっていった。

 多くはマスメディアによるイメージ操作のせいだが、これは我々の深層心理が求める存在に変身していくというトリックスターの宿命でもある。ピエロを道化から悪の化身にしてしまったのは我々ともいえるだろう。

 こうしてピエロは恐怖症の対象になるまでに変化した。閉ざされた心と隠された表情を持った不安であいまいな存在としてのピエロは、恐怖を身にまとい、映画の主役をはるまでになる。

 だが、キングが『It』で描きたかったのは悪役のピエロではない。少年少女の友情、家族や地域とのつながりの大切さ、そして恐怖心の克服だ。ところで、今回の『ジョーカー』は、ホアキン・フェニックスが演じる。これは『スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)』(1986)への一種のオマージュなのだろうか。

※1:Keith Coffman, Stephanie Simon, "Gunman kills 12, wounds 59 at 'Batman' premiere in Colorado." REUTERS, July 20, 2012

※2-1:Carl Gsutav Jung, "Four Aechetypes-Mother, Reberth, Spirit, Trickster." Bollingen Foundation, 1953

※2-2:Carl Gsutav Jung, "Archetypes and the Collective Unconscious." Princeton University Press, 1969

※3:Joseph Durwin, "Coulrophobia and the Trickster." Trickster's Way: Vol. 3: Iss. 1, Article 4, 2004

※4:Francis T. McAndrew, Sara S. Koehnke, "On the nature of creepiness." New Ideas in Psychology, Vol.43, 10-15, 2016

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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