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ともに役者としても活動中!国内映画祭で入選相次ぐ注目の女性創作ユニット「点と」とは?

水上賢治映画ライター
創作ユニット「点と」の豊島晴香(左)と加藤紗希(右)  筆者撮影

 先月9月に開催された<ぴあフィルムフェスティバル>(以下PFF)に入選し、見事に観客賞を受賞した「距ててて」。

 その後も同作は、第15回 田辺・弁慶映画祭、第22回TAMA NEW WAVEで入選。いわゆる若手映像作家の登竜門とされる国内コンペティションへの出品が相次いで決まり、注目を集めている。

 同作を作り上げたのは、ともに俳優としても活動する加藤紗希と豊島晴香。

 映画美学校のアクターズコースの同期である二人は、加藤が監督を務め、豊島が脚本を担当するスタイルの「点と」という創作ユニットを結成。

 「距ててて」は同ユニットによる映画で、加藤にとっては初長編監督作品になる。

 ちなみに前作にあたる短編「泥濘む」もPFF2019に入選。どちらも映画美学校アクターズコースの同期の俳優仲間とともに作り上げている。

 現在劇場公開に向けて動きはじめた二人にユニット結成からここまでの道のりを訊く。(全五回)

映画美学校アクターズコースへ進んだ理由

 さきほど触れたように二人は映画美学校アクターズコースの同期。2017年に同校へ進んだきっかけをこう明かす。

加藤「私は5歳からずっとダンスを続けていて、当時は舞台をメインに活動していました。

 舞台の製作、振り付け、演出を主にしていたんですけど、周りに映画を作っている友だちがけっこういたんです。その関係で、20歳ぐらいから、彼らの自主映画にちょこちょこ出たりしていました。

 その中で、2017年公開の古澤健監督の映画『ReLIFE リライフ』に、振り付けと出演で関わったときに、なんか映画の現場がめちゃくちゃおもしろかった。

 同じころ、『ビルヂング』というダンスカンパニーも作って活動していたんですけど、現段階、最後にやった舞台がいろいろと大変で、疲れ果ててしまった。

 現在活動休止中の『ビルヂング』はいずれ再始動しようと思っているんですけど、当時はちょっと時間を置きたくなりました。

 つまり舞台にちょっと疲れた一方で、映画の現場にすごく可能性を見出した時期で。映画をちょっと真剣にやってみたいと思ったんです。

 そんなことを考えていたとき、古澤監督が映画美学校アクターズコースのオープンスクールがあることをツイッターでつぶやいていて、そのスクールが近藤強さんのクラスだった。

 近藤強さんは、ニューヨークで演技のメソッドを学んでいて、それをアクターズコースでも授業としてやっている。

 それまで10年ぐらいダンスの活動をしてきましたけど、そういう演技のメソッドは経験しないできたので、いま自分にとってこういうことを学ぶことは必要かもしれないと思って美学校のアクターズコースに進みました。

 あと、周りに美学校出身の人も多かったりしたのも大きかった気がします」

豊島「わたしは加藤さんとは違って、映画に興味はあんまりなかったです。今も続けているんですけど、演劇のことが学びたくて進みました。

 わたしが個人的に注目している現代演劇の作品に出てる俳優さんが美学校出身の方が多くて、講師が青年団の方々でだったので、その講師の方々に習いたくて入ったっていう感じです。

 なので、当時、映画は参加したことがありませんでした。

 美学校内でフィクションコースの人たちとコラボして作品を作る、みたいなのが初めての映画出演というか。映画の創作に初めて触れた場でした。

 ですから、いま、自分がこうして映画を作るユニットを組んでいるのがすごく不思議です(笑)」

「距ててて」より 
「距ててて」より 

ユニットを組んだきっかけ

 実は、このフィクションコースとアクターズコースのコラボ創作がのちにユニットを組むきっかけになっている。

加藤「このコラボ創作のとき、豊島さんと一緒の班になった。たまたまですけど」

豊島「そうそう。で、フィクションコースの講師、大工原(正樹)さんがちょっとおもしろいというか」

加藤「大工原さんが『アクターズコースの人たちも、プロットや脚本を出してみてください』と。

 そこで豊島さんが書いてきた脚本がまじでおもしろかった。『何なの、この人!』と驚きました。

 それで実際に採用されて撮ったんです」

豊島「あのときは、なかなか台本が決まらなかったんです。

 フィクションコースの人たちが書いてくれたものがあったんですけど、何回会議をしてもなかなかまとまらなかった。

 で、最初から書いてもいいよとはいわれていたんですけど、大工原さんが『アクターズクラスでも書いてほしい』とさらにプッシュしてきた(笑)。

 じゃあということで物は試しで書いてみたら、かなりの部分が採用されて。わたしとしては『あれ?』みたいな感じでした。

 脚本を書きたいとかまったく思ってなかったし、『書いてみたら』と言われることはありましたけど、書けるとも思っていませんでした。

 それがいきなり採用されて、『なんで?』とびっくりしましたね」

加藤「前日まで脚本ができていなかったんですけど、豊島さんが書いてきたもので一気に進んで、その日の夕方には脚本が確定したと記憶しています。

 でも、それも納得で。ほんとうに豊島さんが書いてきた脚本はおもしろかった」

「距ててて」より
「距ててて」より

実は、アクターズコースに入る前に出会っていました

 このころ、互いにどんな印象をもっていたのだろうか?

豊島「同期の中で、唯一の同い年だったんですよ」

加藤「そう、同期は14人いるんですけど」

豊島「最初のころから、加藤さんからは『映画を作りたい』みたいなことをお茶をしながら聞いていた記憶があります。

 なんか作ることになったら、『わたしエキストラで出してね』みたいなことをいっていた気がします。

 加藤さんはそのころから、舞台で活躍していたので、わたしにとってはまぶしい存在でした。

 アクターズコースに入る前まで、わたしは新劇系の養成所にかよっていたんですけど、全然うまくいってなかった。

 けっこうメンタルをやられた状態で、アクターズコースに入っていたので(苦笑)、当時は講義でなにかするにも『わたしもうダメダメなんで』みたいな感じで受けていたところがありました。やる気がないわけではないんですけど。

 そういうこともあって、加藤さんがいろいろな舞台に出ていたする話を訊くと、もうなんか輝いてみえて。

 『加藤さんが映画を作るんだったらモブキャラで出してほしい』ぐらいの気持ちでした。

 だから、脚本を書いてほしいといわれたときはうれしかったし、『泥濘む』でメインキャストで出てほしいといわれたときはありがたかったです」

加藤「実は、豊島さんとはアクターズコースに入る前に会っているんです。

 劇団『サンプル』の主宰、松井(周)さんの体験ワークショップで会っている。

 2班に分かれて、同じ物語を演じるようなことになったんですけど、豊島さんとわたしが同じ役を演じることになった。

 わたしは最初から、『この人、すごいうまい』と思って、すごく印象に残っていたんです。

 だから、アクターズコースに入って、豊島さんをみたときに『あの時のあの人だ』と思ってうれしかったんですけど…。

 豊島さんにはなんか遠ざけられたというか」

豊島「いや、もうわたしは、さっきもいいましたけど、当時、どん底で人生の闇に迷い込んでいたので、加藤さんはキラキラしていてまぶしすぎて直視できなかっただけ(笑)。

 わたしも松井さんのワークショップのときに会ったのは覚えていました。

 ただ、そのワークショップのとき、加藤さんは知り合いだったみたいで、自分がふだん見ている舞台の先輩俳優さんと超親し気に話しをしているんですよ。

 で、わたしのちょっとしたひがみもはいって、加藤さんは体験入学はひやかしで来ていて。

 松井さんは有名な演出家なので、ひょっとして売り込みに来た芸能人?とか思ったんです」

加藤「そんなはずないでしょ(苦笑)」

豊島「だから、実はアクターズコースで加藤さんの姿をみたときは、もう土下座ですよ。

 『真面目に演技のこと学ぼうとしていたんだ、ごめん』と(笑)」

「距ててて」より
「距ててて」より

 こうした出会いを経て、二人は親密さを増していった。

加藤「先に触れたコラボ創作で豊島さんの脚本に触れて、映画を作るのならば彼女と一緒に作りたいと思いました。

 アクターズコースは修了公演をもって終わるんですけど、その打ち上げの席で、意を決して、『一緒に映画を作らない?』と伝えました。

 ただ、作る予定はまったくの未定。

 なのに、ちょっとお酒が入っていたのもあると思うんですけど、豊島さんは『今度、加藤さんと映画作るんだ』みたいなことを周囲に言いふらしはじめたので『おいおい、何も決まってないぞ』と(笑)。

 わたしはすべてが決まってからではないと口にできない性格。だから、離れたところから『あの人、まだ何も決まってないのにいっちゃっている』とドキドキしながらみていました」

豊島「わたしとしては、あまり大事にはとらえていなくて。仲間内でちょっと作れたらいいなみたい気持ちだったので、そんな隠すことではないと思ったんですよね」

加藤「でも、この姿をみて、『あっ、やっぱり豊島さんはわたしにできないことをできる人だ!』と思って、これからいっしょにやっていけると妙に確信もしました」

 そこからユニット結成に至る過程をこう振り返る。

加藤「映画美学校で、わたしは演技の勉強がを主体としながら、もう少し映画のことも実践的なところで学べるのかなと思っていたんです。

 たとえば、実習で短編を作ってみるようなことがあるのかなと。

 でも、授業の中でそういう機会は限られていた。

 で、実際に映画を作ってみようとなって、豊島さんに脚本を書いてもらい、ほかの同期も誘って2018年に完成させたのが『泥濘む』だったんですけど、それが、思いがけず2019年のPFFで入選して。

 さらに自分たちの作品なのに、思っても見ないような感想をたくさんいただきました。

 それで、ちょっとこのスタイルで続けたいなと思って、ユニットを組もうかと話したような…。あれ?違う気が…」

豊島「違う、違う(笑)。映画美学校映画祭で上映したときだよ。

 『泥濘む』を撮影して、けっこう長いこと編集していたんです。

 その間、二人でいろいろとやりとりをするようになって、その年に加藤さんが青ヶ島という島で仕事することになったとき、私がちょっとついていって。

 即興的に『島』という作品を作ったりと、ちょこちょこ一緒に創作することが増えたんです。

 で、2018年の12月に『映画美学校映画祭2018』があった。

 この映画祭は映画美学校出身ならば誰でも出品できる。ただ、実際は当たり前といえば当たり前ですが、映画のフィクションコースを受講している人たちの作品がほぼ占める。

 わたしたちはアクターズコースで気がひけたんですけど、完成したので、思い切って出してみることにしたんです。

 自分たちは映画のノウハウもなにもない中で、ほんとうにみよう見真似で作りましたから『フィクションコースのみなさん、すいません』みたいな気持ちでしたけど、出すこと決めたんです。

 『こんなの出しちゃっていいかな』と思いつつ。

 そのときに、ユニット(で作ったこと)にしようという話になったと思います。確か渋谷のギョーザ屋で(笑)」

加藤「そうだっけ?すっかり忘れている(苦笑)」

豊島「ただ、その前からユニットを組もうか、みたいな話はしていました。

 ただ、正式にじゃあユニットにして、ユニット名を考えようとなったのは、その日で。

 2019年の1月に正式に『点と』というユニット名に決めた。PFFに入選したタイミングで『点と』のホームページに特設ページを作ったりしているから、それより前にユニットを結成したのは確実です(笑)」

加藤「失礼しました」

(※第二回に続く)

「距ててて」より
「距ててて」より

「距ててて」

第43回ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2021」にて観客賞受賞

「PFFアワード2021」DOKUSO映画館とU-NEXTで、

10/31(日)までオンライン配信中!

https://filmfestival.dokuso.co.jp/festival/detail/99

https://video.unext.jp/browse/feature/FET0010145?nfignore=1&rid=OF00277

第22回 TAMA NEW WAVE コンペティション部門に入選

11/13(土)多摩/ヴィータホールにて上映

https://www.tamaeiga.org/2021/newwave/

田辺・弁慶映画祭2021に入選

11月19(金)〜21日(日) オンライン開催

https://tbff.jp/movie_category/competition/

「距ててて」と「泥濘む」の場面写真はすべて(C)点と

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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