この20数年の改革で見過ごしてきた、もう一つのこと
先の記事「『日本国』の経営診断…「経営」こそが、今の日本のキーワード」において、PHP総研が『「日本国」の経営診断』というタイトルの報告書を公表し、その中では、バブル崩壊以降の政治・行政改革の成果を分析していることを述べた。
その中で、日本は、特に政治や行政では、新しいことをする事業や新しい制度をはじめたり、創ることは好きであるが、その後それらについてほとんど検証したり、評価し、それを改善したり、次の政策づくりなどに活かすようなことがないことなどについても論じた。
実は、日本におけるバブル崩壊以降改革の中で実施されてきていないことがもう一つある。それは、政治家(国会議員)の育成だ。
この20年以上にわたる改革は、大きく分けると2つあった。
まずは、非効率かつ肥大化すると共に、硬直的な縦割りで時代の要請に応じ難くなった行政を改革し、コントロールすることであった。そのために、行政改革、中央省庁の再編、公務員制度改革、郵政民営化、道路公団民営化、三位一体改革、行政事業レビューなどの改革が行われた。
また行政組織、官僚機構は、継続性を重視し、積み上げ方式で予算編成や政策形成等を行うために、今日のような社会や時代の大きな変化に対応しにくい。それに対しては、政治による大きな変化が可能になる制度、全体感を持ちやすい仕組み、政治的リーダーシップを発揮しやすい仕組み等が必要であるとされた。そこで、小選挙区制度の導入、内閣府の新設、政治指導による行政のコントロールの仕組み(たとえば政治三役、国会答弁の仕組みの変更など)の導入、官邸主導により首相のリーダーシップを発揮しやすい仕組み(たとえば官邸機能の強化、経済財政諮問会議や国家戦略室など)の制度改革が行われたのである。その結果、報告書にも書かれているように「政治・行政両制度において、大胆な政策転換を可能とする基盤はできた」が、他方「政策の振れ幅が広がった」のである。
以上のように、これまでの改革は、政治が全体感をつかみつつ、行政つまり官僚機構をコントロールし、スピード感を持ち、時代や社会の要請に応じた、政策や社会・政治的方向性を打ち出せるようにしてきたということである。またそのことは、要は行政・官僚は悪で、政治は国民の代表であり善だという前提に基づいていたということがいえる。それは、別言すれば、政治に任せておけば全体はうまくいくという性善説である。
ところが、である。最近の若手国会議員にまつわる失言・行動・姿勢・生き方、また国会における大臣や総理等の言動等々を見るにつけ、聞くにつけ、政治に物事を任せておけばそれでうまくいくというのはどうも間違いだと考えないわけにはいかない。そして、よくよく考えてみると、この20数年間の改革では、全体や行政・官僚をコントロールし、マネージする政治の側の質の担保や向上に関しては必ずしも考えてこなかった。否、まったく考慮してきていないことがわかる。
政治も、人間によって行われる限りは、その質の担保や向上の点を十分に対応しない限りは、それがより有効に機能しうる制度をつくっても、良好かつ有効に機能するわけがないのだ。特に小選挙区制度の導入により、従来所属議員の質の担保および向上の役割を担ってきた派閥もその役割を著しく低下してきている。その課題に対応し、補完できる機能や役割が、政党にも国会等にも実際どこにも生まれてきていないのだ。
筆者は、個人的には、その問題・課題こそが、この20十年以上にわたりあの手この手を変えて繰り返し改革が行われてきたが、報告書は指摘するように「それぞれの改革には一定の効果は認められるが、全体としての経営状況は予断を許さない」という状況を生み出してきている問題の根幹であると考えざるをえないのである。